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チャンジャーハン、グッドナイトストーリー映像公開!「海水が青くなるまで泳ぐ」(7/12公開分)

ハンハンが一昨日、YouTubeで公開した「映像版グッドナイトストーリー」。
遅ればせで恐縮ですが😅 今日は、この詳細からご紹介しますww

目次

チャンジャーハンが朗読した「海水が青くなるまで泳ぐ」映像公開

ではでは さっそく。一昨日(12日)に公開された、映像版「グッドナイトストーリー」。
今回、ハンハンが朗読したのは、ちょっと変わったお話でした。

※朗読した書籍のタイトルは「一直游到海水变蓝」作者:余华。
和訳すると、『ずっと海が青くなるまで泳いで』作者:余華(ユー・ホア)

作家が、映画製作者とのやりとりを記録した、エッセイのような作品でした。

チャンジャーハン朗読『ずっと海が青くなるまで泳いで』VTR 内容詳細

以下 ハンハンが朗読した部分の和訳。

チャンジャーハンが詠んだ部分の「内容和訳」

『ずっと海が青くなるまで泳いで』
作者:余華(ユー・ホア)

2019年のこと、筋金入りの文学愛好家である賈樟柯(ジャ・ジャンクー)は、
作家の成長をテーマにした長編作品を撮ることを決め、
筋金入りの映画好きである私にも参加してほしいと声をかけてくれた。

ちょうどその頃、賈樟柯(ジャ・ジャンクー)は故郷で第1回呂梁文学祭を開催しており、
多くの作家や詩人たちが集まっていた。
賈樟柯(ジャ・ジャンクー)はこの機会を利用して映画の撮影を賈家庄で開始し、
仮題を『ある村の文学』とした。

当初、私は行く予定ではなかった。

四月下旬、呂梁文学祭が賈家庄で開幕した頃、
父が杭州で手術を受ける予定だったため、私は賈樟柯(ジャ・ジャンクー)に杭州を離れられないと伝えた。

ところが執刀医が突然、
学術会議に出席するため海外へ行くことになり、父の手術は五月へ延期された。

私は賈樟柯(ジャ・ジャンクー)に「行けるようになった」と伝えた。
すると彼は「先生(医師)に感謝ですね」と言った。

私たちは呂梁で一日撮影を行った。

私は自分の撮影はこれで終わったと思っていたが、
六月になると賈樟柯(ジャ・ジャンクー)からWeChatで連絡があり
「まだ君の撮影は終わっていない。今どこにいる?」と聞かれた。

私は「海塩です」と答えた。
父は杭州で手術を終えたあと、海塩へ戻って入院していた。

梅雨入りの頃、賈樟柯(ジャ・ジャンクー)は撮影チームを連れて海塩へやって来た。
私たちは海塩でも一日撮影を行い、最後の場面は海辺で撮影した。

そこは杭州湾の海辺だった。

海の水は黄色かった。

撮影が終わると、私は葉巻をくわえ、
モニターを見つめている賈樟柯(ジャ・ジャンクー)の隣に腰を下ろし、

「葉巻を一本ください」

と言った。

葉巻を吸っているとき、
賈樟柯(ジャ・ジャンクー)はモニターの中で揺れる海を指差しながら言った。

「フィルターを使って、
この黄色い海を青い海に変えるよ。」

私は彼に言った。

「子どもの頃、ずっと不思議だったんです。
どうして教科書には海の水は青いと書かれているのに、
実際に目にする海は黄色いんだろう
と。

一度だけ、私は沖へ沖へと泳ぎ続けました。
海の水が青くなるところまで泳いでみたいと思ったんです」

賈樟柯(ジャ・ジャンクー)は、その場での反応が非常に速い監督だった。

私の話を聞き終えると、彼はすぐに言った。

「余兄(ユー兄さん)、
あそこからもう一度歩いてきてください。さっきの話をもう一度話してください。

この映画はもう『ある村の文学』ではありません。
タイトルは『一直游到海水变蓝(海の水が青くなるまで泳ぎ続ける)』です。
」

その頃には、もう夕暮れが近づいていた。

私は彼と少し駆け引きをした。

「一回でOKにしてください。」

すると彼はうなずいて言った。

「一回でOK。」

私は立ち上がって歩き始めた。

撮影班と録音班が機材を担いで前へ走っていく後ろ姿が見えた。

現場監督は少し離れた場所に立ち、私が歩くルートを指示していた。

私は堤防に沿って少し歩き、先ほど話したことをもう一度繰り返した。

賈樟柯(ジャ・ジャンクー)は言った。

「いいですね。このカットでOKです。」

そして続けて言った。

「余兄、念のためもう一本撮りましょう。もう一度歩いてください。」

「海の水が青くなるまで泳ぎ続けたい」
という願いが生まれたのは、たぶん私が中学生の頃だった。

なぜ教科書に描かれている海の水は青いのに、私たちのところの海の水は黄色いのだろう。

多くの疑問は、成長するうちに消えていく。
しかし、この疑問は消えず、私の子ども時代から少年時代まで、ずっとついてきた。

小学校の教科書で海の水は青いと知ってから、
宣伝画で見る海も、ニュース映画で見る海も、すべて青かった。

けれど現実の海、私が実際に目にすることのできる海の水は黄色かった。

中学生の頃のことだった。たしか夏の夕暮れだったと思う。

堤防の上では人が歩き、
人が話していた。私はそこに立ち、果てしなく広がる海を眺めていた。

夕日の残光が遠くの海面を照らし、波を光らせていた。

そのとき、ある考えが浮かんだ。

あそこの海の水は、きっと青いはずだ。

小学校三年生くらいの頃だったと思う。

両親は、私が溺れて死ぬことを心配し、
泳ぐことを禁じていた。
そんななか、私はこっそり池で泳ぎを覚えた。

当時、私たちの家は、楊家弄十一号、現在の八十四号にあった。

家は二階にあり、
窓の向こうには広々とした田野が広がっていた。

田野の中には農家が点々と散らばり、
池もまた点々と散らばっていた。

あの頃、昼の景色の中には人影がなく、静まり返っていた。

蝉の鳴き声が、夏の暑さをいっそう暑く感じさせた。

私はよく真昼の炎天下、家から遠く離れた池まで歩いていった。

両親が窓辺に立って見たとしても、
私の姿がはっきりとは見えないほど遠い池だった。

私たちの家には虫眼鏡はあったが、望遠鏡はなかった。

私は周囲を見回し、
誰もいないことを確かめると、シャツと短パンを脱ぎ、裸で水の中へ入った。

初めのうちは池の縁で動き、深いところへは行こうとしなかった。

足の裏で水底の泥と、
泥の中にある尖った石を踏みながら、
両腕を力いっぱい動かし、半分歩き、半分泳いだ。

まるで映画『地雷戦』で
日本兵が村へ入っていくときのように、用心深く進んだ。

やがて水の中で足を蹴ることを覚え、身体が浮かぶようになった。

これで泳げる身体になった。

その夏休み、私はほとんど毎日、
昼になると池へ行き、一人で泳ぎを覚えた。

毎回一時間ほど泳いでから池を出て、あぜ道へ上がった。

裸のまま立ち、日差しに身体を乾かしてもらい、
地面に置いていた短パンとシャツを拾って着ると、家へ帰った。

私は池で泳ぎを覚えた。

そして私の泳ぎは池に別れを告げ、川へ出ていった。

私たちの江南地方では、
川がそれぞれの小さな町を通り抜けており、
かつて川は唯一の交通手段だった。

私が子どもの頃、
海塩には上海や杭州へ通じる道路が一本あったが、
県城からほかの郷や鎮へ行くには、依然として水路しかなかった。

私はそのような水路で、泳ぎの2.0版を始めた。

泳ぐ区域は向陽橋一帯に集中していたが、
ときにはその区域を越えることもあった。

当時、夏の川は活気に満ちていた。
そこには、泳いでいる私たち子どもがいた。
川辺にしゃがんで洗濯をする女たちがいた。
身体じゅうを石鹸の泡だらけにして、
川辺に立って身体を洗う男たちがいた。

農民がコンクリート船を漕いで行き来し、
長い曳船が「トットットッ」と音を立てて通っていった。

曳船の音は大きかったが、進む速度は遅かった。

私たちが向陽橋の区域を越え、
遠くまで泳いでいくのは、曳船がやって来たときだった。

曳船が来ると、
私たちは力いっぱい泳いで船べりをつかみ、身体を水に浮かせた。

そして「トットットッ」と音を立てる曳船に、
県城の外へ、遠くへと連れていってもらった。

私の記憶では、本当に遠くまで行けたのは一度だけだった。

それ以外のときは、
いつも船の上の人に竹竿でたたかれ、曳船から引き離された。

それに対する私たちの抵抗は、
船の上で竹竿を振り回す人に唾を吐くことだった。

しかし唾はしばしば風に吹き戻され、自分の顔にかかった。

私たちの罵り言葉は風に吹き戻されることなく、
無事、船上で竹竿を持つ人の耳へ入っていった。

ただ一度だけ、私たちは竹竿で追い払われなかったことがある。

どうしてだったのかは分からない。

おそらく船の上で、私たち子どもを追い払う役目の人が、
竹竿を抱えたまま昼寝をしていたのだろう。

私たちは便乗した船に乗り、武原鎮の外まで出た。
川の両側に田野が広がっているのを見て、遠くまで来たと感じた。

私たちは田野の間を流れる川を進み、
道で天秤棒を担いで歩く農民を、一人また一人と追い越していった。

私たちはうれしくて、わあわあと大声を上げた。

その声は、さらに遠い場所へ飛んでいった。
やがて私たちは満足し、さらに先へ進むことをやめた。

船べりから手を離し、岸まで泳ぎ、青草の上へ上がって座った。
足や脚に這い上がってきた蟻をたたき落としながら、
それぞれが興奮した感想を話した。

私たちの感想はどれも似たり寄ったりだった。

まさに似ていたからこそ、
私たちの興奮は一つに合流し、一本の縄のようにより合わさった。

私たちは興奮したまま、こちらへやって来る曳船を待った。
その曳船に、向陽橋まで連れて帰ってもらうためだった。

当時、川には曳船が頻繁に現れ、
少し時間がたつと、長い船が一隻やって来た。

私たちは泳いでいって船べりをつかみ、
竹竿で追い払われ、船の上の人と罵り合った。

そのようなことを何度も繰り返し、
何度か挫折した末、勝利を収めて向陽橋へ戻った。

その後、私たちは潜水競争を始めた。

向陽橋のコンクリートの欄干に立ち、曳船やコンクリート船が通り過ぎた合間を見計らって、水へ飛び込んだ。頭から川へ突っ込み、潜ったまま泳ぎ始め、誰がいちばん長く潜っていられるかを競った。

そのために私は、息を止める練習を懸命にした。
泳がないときにも、よく洗面器の水に顔をつけた。
しかし肺活量が足りず、長くても一分ほどだった。

だから私は、潜水競争で一度も勝ったことがなかった。

あるとき、私はいたずらをした。
水へ飛び込んだあと、前へ潜っていかず、
反対方向へ進み、橋の下まで潜っていって水面に顔を出した。

そして、橋の上で仲間たちが話しているのを聞いていた。
私がいつまでたっても現れないので、彼らは最初、驚いた。

今度は普段以上の力を発揮したのだと思った。

数分たっても私が水面に出てこないと、彼らは不安になった。
私に何かあったのだと思い、飛び込んで助けるべきか話し合い始めた。

そのとき彼らは、橋の下から聞こえてくる、私の大笑いする声を耳にした。

(終わり)

※この話自体には まだ続きがあるのだけど ハンハンが朗読したのはここまででした😅

これ たぶんだけど、 この続きを また映像で公開するんじゃないかな? という気がしています。
※この話の続きに 「海は青くなく、緑だった」というラストがある模様。
また続編が出てきたら 随時ご紹介します😅

チャンジャーハン関係のこの他の話題 ちょこっとまとめ

この他の話題も少しだけ😅

チャンジャーハン公式Youtubeで「テニス動画VOL10」公開!

まずは今日公開された YouTube版から。※先日、ハンハンのインスタで公開されたのと同じ動画です。

▶張哲瀚|ちょっと待って! できるようになったかも!|テニスVlog #10

生ライブでも言ってた通り 3.5で優勝したみたい…😅
(全部解読するには時間がかかりすぎるので ひとまず内容の全部掌握は断念します…ww)

スクリーンの公式サイトに新登場!「チャンジャーハン、読者が選んだスター1位」

そしてこちらは、先月紹介した スクリーンの読者投票1位の話なんだけど😅

6/20投稿 チャンジャーハン、3年連続でスター部門1位に!(日本の映画誌「SCREEN」読者が選ぶ海外ドラマ大賞2026)

この話が 今日、スクリーンの公式サイトで、ウエブ記事になりましたww
それで 海外の海哲さんたちの間で 結構 話題に😅 

リンク先だけおいときますネ。

詳細は>>スクリーン公式サイト スクリーン読者が選んだスター
みなぎる才気と美貌で魅了する、不屈のカリスマ!/ 1位:チャン・ジャーハン/張哲瀚

※約1か月遅れのウエブ掲載なんだけど…
雑誌の販売期間が終わってから、ウエブ記事になってる模様。
ウエブで見れちゃうと 本が売れないからじゃないかな たぶん😅

ということで 以上 ちょこっとまとめでした。

ではでは今日はこのへんで。ここまでご覧くださりありがとうございましたww

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