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チャンジャーハンのママがブログ更新!「成長は、決して成熟と同じではありません」(全文和訳)

ハンハンのママが、10日にブログを更新!
気づくのが遅れて 紹介できていなかった内容を、全文和訳でご紹介します。(〃▽〃)ポッ

目次

張ママブログ(7/10更新)「成长,从来不等同于成熟」

ではでは さっそく。今回も冒頭から、ハンハンの話が出てきます。

土曜日のインスタライブで ハンハンがたくさんママの話をしていたんだけど…
ハンハンが「年を重ねても進歩するママはすごい」という理由が よくわかる投稿でした。 

以下全文和訳でご紹介します。

成長は、決して成熟と同じではありません 全文和訳

数日前、息子と何気なく話をしながら、
自分がこれまで歩んできた人生を振り返っていました。

するとふと、今の年齢になって、
ようやく本当の意味で
「成熟」とはどのようなものなのか が分かった
ように思いました。

この遅れて得た気付きは、
私の人生の大半にわたる考え方の変化につながっています。

結局のところ、
それは二つの心境が大きく変わったということに尽きます。

そして、それこそが
長い歳月を経て私の中に積み重なった、
最も確かな人生の実感なのです。

若い頃の私は、
頑固なまでに、一つの処世の原則を守っていました。

まず道理を考え、次に人情を考え、
最後に利益を考える。

人と付き合う時も、物事に対処する時も、
まず何が正しく、何が間違っているのかをはっきりさせ、
その後で人情や世間の事情を考え、
自分の損得はいつも最後に置いていました。

当時の私は、道理が正しく、
心がまっすぐでさえあれば、
何事も後ろめたさなく、
順調に進んでいくものだと思っていました。

しかし、人生の大半を生き、
さまざまな風雨を経験して、ようやく気付いたのです。

このような、白か黒かをはっきりさせ、
まず道理を優先し、
その後に人情を考えるという思い込みは、
あまりにも世間知らずで単純なものであり、
複雑な人間関係や世の中の現実には、
とても対応できるものではありませんでした。

以前の私は、
意見の食い違いや争いが起きると、
必ず正しいか間違っているかをはっきりさせ、
勝ち負けを決めようとしていました。

少しも譲ろうとはしませんでした。

けれども、少しずつ年齢を重ねるうちに、
ようやく分かるようになりました。

世の中の多くのもめ事には、
もともと絶対的な正しさや間違いなどありません。

ただ、立場が違い、
置かれている状況が異なるだけなのです。

世間でよく言われる
「座る位置が考え方を決める」という言葉は、
おそらくこのことを表しているのでしょう。

立つ場所が変われば、
人の心も、選び方も、物事の見方も、自然と変わっていくのです。

息子は、
私が心の中のさまざまな心境の変化を
一つひとつ話していくのを聞き、
笑いながら冗談交じりにこう言いました。

「もうすぐ七十歳になるのに、
今になってようやくそういう道理が分かったなんて、
成熟するのがずいぶん遅かったね」

私はその言葉を聞いて、
ただ穏やかに笑いながらこう答えました。

「心の優しい人というのは、もともと大半が晩熟なのよ」

けれど心の中では、
子どもの言葉は率直で的を射ていて、
一つひとつが本当に「その通りだ」と、
認めざるを得ませんでした。

人生の半分以上を生き、
数々の苦労を重ねてきたにもかかわらず、
私の本質は今でも、
純真で世間知らずな、
歳を重ねただけの子どものようなままなのです。

私は昔から、ある名言がとても好きです。

「もし人が八十歳から人生を始め、
そこからゆっくりと少年時代へ向かって生きられるなら、
誰もが偉人になれる」

この言葉を読むたびに、
胸にはさまざまな思いが込み上げてきます。

人生最大の残念なことは、
若い頃は何も分からず、
年を重ねてからようやく
後悔することではないでしょうか。

もし時間を巻き戻すことができ、
誰もが八十年分の人生経験と知恵を携えたまま、
未熟だった青春時代や、
忙しく働き続けた中年時代をもう一度歩むことができたなら、
若気の至りや視野の狭さから
遠回りをすることもなく、
多くの後悔を残さずに済むのでしょう。

歳月が与えてくれた「寛容さと冷静さ」を持って人と接し、
人の情の温かさも冷たさも理解し、
得ることや失うことにも執着しなくなれば、
きっと穏やかで、のびのびと、心豊かに生きていけるはずです。

けれども、人生にやり直しの機会はありません。

私はまだ八十歳には達しておらず、
歳月が磨き上げるような深い知恵も、
十分に身につけたとは言えません。

人生の半分以上を過ごしてきましたが、
年齢だけを重ね、
心は十分に成熟してこなかったのです。

今になって振り返ると、
この遅れて訪れた成熟も、
ゆっくりと育まれた物事への理解も、
決して突然手に入ったものではありません。

それはずっと以前から、
私の成長してきた環境や、生きてきた日々、
そして積み重ねてきた人生経験の中に、
深く根を下ろしていたのです。

①人生を振り返り、成熟というものを悟る
歳月を振り返りながら過去を心の中で静かに整理し、成長と成熟の本質を理解する。

私は、家風が厳正な幹部家庭に生まれました。
両親は生涯、公のために職務を果たし、
誠実で正しい生き方を貫いた人たちでした。

幼い頃から毎日のように、
両親が勤勉に職務を果たし、
責任を全うする姿を見て育ちました。

家庭をしっかりと支え、責任を担い、
人には寛大で、善良かつ誠実に接する姿も見続けてきました。

両親は一生を通して地道に仕事に励み、
潔白な人として生きました。

近道を選ぶことも、人の心を利用して立ち回ることもなく、
常に自分の信念を大切にし、
真心をもって人と接していました。

そのような純粋で清らかな家庭環境は、
知らず知らずのうちに私の価値観を育んでくれました。

私は幼い頃から「努力は必ず報われる」
「真心は何よりも尊い」と信じ、
何事も自分の良心に従うことだけを考え、
回り道や駆け引きを意識することなく生きてきました。

そして、人の心の複雑さや
世の中のさまざまな現実を、
ほとんど知ることなく過ごしてきたのです。

成人してからの人生もまた、
一貫してまっすぐで、純粋なものでした。

農村へ下放されて心身を鍛え、
公安の仕事に就いて初心を守り、
その後再び学校へ戻って学びを深め、
さらに組織部門へ異動して職務に励みました。

人生の半分以上を過ごしてきた環境は、
どこも風紀が正しく、規律がしっかりとしていました。

周囲の人たちも皆、実直によく働き、
率直で誠実な人ばかりで、
腹の探り合いや利益争いに出会うことは
ほとんどありませんでした。

そうした単純で清らかな環境の中で長く過ごした私は、
いつまでも素朴な信念を持ち続けていました。

誠実に努力し、心を尽くして仕事をすれば、
必ず願いはかない、それに応える結果も返ってくる。

私は生涯、損得を計算することが苦手で、
人を出し抜くことも好みませんでした。

心は純粋で飾り気がなく、
駆け引きとは無縁でした。
だからこそ、単純に生きる一方で、
自分の考えを曲げない頑固さも持ち合わせていました。

私の人生の大半は、文字とともにありました。

若い頃から文学を愛し、
とりわけ散文や詩を好み、
よく文章に思いを託し、
筆を通して心情を表現していました。

書いた作品は新聞や雑誌に掲載されることも多く、
故郷では少し名前を知られる存在でもありました。

そうした文章を書く力があったおかげで、
私は組織部に配属される機会を得ることができ、
それが人生の大きな転機となりました。

その後の数十年間、
私は毎日のように机に向かい、
指導者の講話原稿や調査報告、業務報告、
理論資料などを書き続けてきました。

生涯を通して注いできた力のほとんどは、
一枚一枚の紙と、
一文字一文字の文章の中に費やされてきたのです。

長年、文章と理論、
そして仕事に向き合う日々を送ってきたため、
心はいつも原稿に向いており、
人情の機微を読み取ったり、
世渡りを学んだりする余裕はほとんどありませんでした。

私たちの時代の人間は、
多くが実直で素朴、そして心が純粋でした。

人と人との付き合いも単純で、
何より大切だったのは真心と誠意でした。

そこに利益や打算が入り込むことはありませんでした。

そうして長い年月を過ごすうちに、
私の考え方は、
率直で型にはまった
「一つの枠の中」に閉じ込められてしまいました。

物事を白か黒かで判断し、
人との関わりも
単純で純粋なものとして捉え続けてきたため、
心の成長はなかなか
本当の意味で広がることもなく、
物事の本質を見抜く境地にも至れませんでした。

前半生を穏やかで
純粋な環境の中で過ごしてきたことが、
結果として、
人生において最も貴重な
「世の中にもまれて学ぶ経験」を、
私から遠ざけてしまったのかもしれません。

本当の意味で私の考え方を変え、
殻を破って成長し、
自分自身を大きく変えるきっかけとなったのは、
深圳へ渡って挑戦したあの日々でした。

この街は、包容力がある一方で現実は厳しく、
優しさと厳しさをあわせ持つ場所です。

私はこの街で、何度も浮き沈みを経験し、
人の温かさや冷たさに触れながら鍛えられました。

そして、幾度となく壁にぶつかっては挫折し、
そのたびに振り返って考え、
自分を見つめ直すことを繰り返す中で、
前半生ではどうしても理解できなかった
「人生の真実」を、
少しずつ悟るようになったのです。

かつての私は、何か問題が起きるたびに、
必ず道理を貫こうとしていました。

誠意を尽くして相手と議論し、
何が正しく、何が間違っているのかを
分かってもらおうとしました。

けれど、どれほど言葉を尽くし、
心の中で悔しさを抱え、
理屈も根拠も十分にあったとしても、
相手の考えを少しでも変えることは、
ほとんどできませんでした。

また、私はいつも人に心を開き、
持てる限りの誠意を尽くして接してきました。

真心だけを頼りに、
人との関係を築こうとしてきましたが、
最後には何度も、人の心が離れていく現実を経験しました。

そうした一つひとつの出来事、
一つひとつの経験は、
まるで切れ味は鋭くないものの、
じっくりと削り続ける一本の刃のようでした。

焦ることなく、
少しずつ私の尖った部分や、
譲れない思い込み、
そして世間知らずだった若さを
削り落としていったのです。

私はようやく、
大人の世界で最も素朴で、
そして最も現実的なルールを理解しました。

人生は、決して
「与えたものと同じだけ返ってくる」ものではありません。

どれほど全力を尽くしても、
すべてが思いどおりに実るとは限りません。

どれほど真心を尽くしても、
同じだけの善意が返ってくるとは限らないのです。

成熟とは、
年齢を重ねれば自然に与えられるものではありません。

時がたてば勝手に育つものでもありません。

それは、数え切れない人生経験が心に刻んだ年輪であり、
人生の試練を積み重ねることで得られる深い理解であり、
この世の風雨に鍛えられて育まれる、
人としての器なのです。

眠れぬ夜に何度も自分を見つめ直し、
何度倒れても立ち上がり続けた、
その積み重ねによって、
私は少しずつ、この複雑な世界と穏やかに向き合い、
肩の力を抜いて生きられるようになりました。

そして、少しずつ分かるようになったのです。

人に尽くしても、
その見返りに執着する必要はないこと。

誠実であるからこそ、
自分の譲れない一線は守らなければならないこと。

人を信じることは大切でも、
その信頼には「適度な距離感も必要だ」ということ。

今の私は、
変わらず優しい心を持ち、
本来の純粋な気持ちも失ってはいません。

けれど、以前のように
自分の心の柔らかい部分を
何もかもさらけ出すことはなくなりました。

真心には冷静さを添え、
優しさには、自分を守るための鎧を
一枚まとわせることを覚えたのです。

②さまざまな人生経験を経て、大地を破る芽のように成長する
人生の試練の中で心を鍛え、浮き沈みを経験する中で、物事への深い理解と知恵を得る。

これまで歩んできた道のりを振り返ると、
数々の苦労や挫折がありました。

当時は私を苦しめ、落ち込ませ、
悲しませた出来事も、
今では心を育み、
人としての器を広げてくれた
大切な糧だったと
思えるようになりました。

深圳が私に与えてくれたものは、
生活していくための力だけではありません。

それは、
人生を穏やかに磨き上げる
修行のような時間でもありました。

さまざまな人生経験を重ねてもなお
初心を失わず、
複雑な世の中に身を置きながらも
落ち着いて向き合い、
人間らしい日常の中で
自分自身を見失うことなく、
本質を見据えた人生を歩めるようになったのです。

私はようやく、
若い頃の「白か黒か」という極端な考え方や、
狭い価値観へのこだわりを手放しました。

世の中の多くの選択や、
多くの好みには、もともと優劣も正誤もありません。

たとえば、唐辛子が好きな人は
辛いものが好きだからであり、
苦手な人は辛さが苦手だからです。

そこに正しいも間違っているもありません。

ただ人それぞれ好みが違い、
置かれた環境が違うだけなのです。

だからこそ、無理に言い争う必要もなく、
自分の考えを押しつける必要もありません。

かつては忘れられなかった得失や勝ち負け、
正しいか間違っているかということも、
今振り返れば、人生という大きな流れの中では、
ほんの一瞬きらめいて消えていく小さな波にすぎず、
ごくありふれた出来事だったのだと思えます。

私は少しずつ分かるようになりました。

本当の成長とは、
何ものにも傷つかない強さを身につけることでも、
どんな苦しみにも動じなくなることでもありません。

風雨を経験し、
人生のさまざまな苦労を知り尽くしても、
なお心の柔らかさを失わず、
勇気を持って前へ進み続けることなのです。

苦しみに押しつぶされることなく
守り続けてきた優しさや純粋さこそが、
人にとって最も強く、最も尊い力なのだと思います。

私は少しずつ、
「不完全な自分を受け入れられる」ようになりました。

そして、人生の思いどおりにならないことや、
未来が分からないことも、
穏やかに受け入れられるようになりました。

空に浮かぶ雲のように、
出会いも別れも自然の流れに任せ、
広がるのも縮まるのも思いのまま。

決まった形はなくても、そ
れぞれに美しさがあります。

私はもう、
人生の究極の意味を
必死に求めることもありません。

過去の後悔にとらわれたり、
先の見えない未来に
不安を抱き続けたりすることもありません。

ただ静かに心を落ち着け、
一日一日を大切にし、
日々の暮らしの温もりを味わいながら、
平凡な毎日の中で、
穏やかさと深い理解、
そして「あるがままを受け入れる心」
と出会っていきたいと思っています。

時間にゆとりがある日は、
朝はお茶をいれて静かに腰を下ろし、
歳月がもたらすささやかな幸せを味わいます。

夜は机に向かって本を読み、
静かな時間をゆっくりと過ごします。

そして時間がある時には、
自分の心の声に耳を傾け、
この世の日常の温もりをゆっくりと味わいます。

かつて自分を縛っていた「こうあるべき」
「こうしなければならない」という思いは、
少しずつ
「私はこうしたい」
「私は喜んでそうしたい」
という自然な気持ちへと変わっていきました。

こうして私にとって人生は、
何かを追い求めて
慌ただしく走り続けるものではなくなりました。

肩の力を抜き、
焦ることなく、
一歩一歩を味わいながら歩いていく、
穏やかな散歩のようなものになったのです。

③人生の無常を受け入れ、心を軽くして前へ進む
人生の不完全さと無常を受け入れ、「今」を大切にし、穏やかな心で未来へ歩んでいく。

人生の半分以上をかけて数々の経験を積み、
世の中にもまれてきたことで、
私はようやく、
長年縛られてきた考え方の枠を打ち破り、
大人として人と接する順序を整理できるようになりました。

まず利益、次に人情、最後に道理。

人と付き合い、
共に仕事をする時には、まず相手が何を望み、
何を期待しているのかを理解することが大切
です。

相手が求めていることと、
自分にできることを見極め、
お互いに利益を得られる関係を築けるのか、
相手の期待に応えられるのかを考えます。

そのうえで、
人と人との温かいつながりを大切にし、
良好な関係を築いていきます。

そして最後に、
物事の道理を考え、
何が正しく何が間違っているのかを判断する
のです。

道理は、もともと人として生き、
物事を進めていくうえで 最も大切な土台です。

けれども、人の思いや人情を離れてしまえば、
どれほど公平で正しい道理であっても、
どこか冷たく堅苦しいものとなり、
人の心には届かず、
素直に受け入れてもらうことはできません。

それは木を育てることによく似ています。

まず、その木に合った土にしっかり根を張り、
養分を吸収し、季節の流れに従ってこそ、
枝葉は豊かに茂り、
太陽へ向かって伸びていくことができます。

人との関わりも同じです。

まず相手の気持ちに寄り添い、
その人が何を必要としているのかを理解する
こと。

そのあとで道理を説明し、
何が正しく何が間違っているのかを伝える。

そうして初めて、
物事は円満に収まり、人との関係も穏やかになり、
自分自身の心にも無理のない、納得できる生き方ができるのです。

④利益・人情・道理のバランスを大切にし、人との関わり方を心得る
まず相手が何を求めているのかを理解し、次に人と人との温かいつながりを大切にし、最後に物事の道理を見極める。そうすることで、互いにとって良い結果と、自分自身の心の安らぎを得ることができる。

今では、人と接し、話し合い、
一緒に仕事をする時、
私は自分の考えを急いで伝えたり、
正しいか間違っているかを言い争ったり、
自分を主張したりすることはなくなりました。

まず耳を傾け、
まず相手の気持ちに寄り添い、
まず相手の心を理解することを大切にしています。

こうした考え方の変化によって、
心の中で自分を苦しめることが
ずいぶん少なくなりました。

勝ち負けにこだわったり、
自分が正しいことを
証明しようとしたりすることもなくなり、
相手の立場に立って考え、
人を思いやることが以前よりできるようになりました。

そして、利益と人情の間で、
お互いにとって
最もよい落としどころを探せるようになったのです。

川の流れは、決して岩とぶつかり合おうとはしません。

流れに身を任せながら岩を避け、
やがて大河となり、海へとたどり着きます。

夜、一人で自分を振り返る時も、
私はもう、正しいか間違っているかという
一つの物差しだけで、
過去の選択を裁くことはありません。

人生で下した一つひとつの選択は、
かけがえのない一枚のパズルのピースです。

その時には全体の絵は見えなくても、
足りない部分や心残りがあるからこそ、
未来にはまだ多くの可能性と希望が残されているのだと
思えるようになりました。

ようやく分かったのです。

本当の成熟とは、何事も完璧にこなし、
決して間違えないことではありません。

足りない部分を受け入れ、
回り道も人生の一部として受け止められることなのです。

思いがけない遠回りも、
ある時は苦難を避けることにつながり、
またある時は思いもよらない景色と出会わせてくれます。

それらはすべて、
歳月が与えてくれたかけがえのない贈り物なのです。

旅の途中で偶然見つけた野の花のように、
予定にはなかったとしても、
その旅を美しく彩り、
心を温かくしてくれる存在なのです。

私がたどり着いた
もう一つの「物事の本質を見抜く境地」は、
正しいか間違っているかということへの執着を、
完全に手放したことです。

若い頃の私は、
何事にも真剣になり、
どんなことでも理屈を並べて議論していました。

けれど年齢を重ねるにつれ、
この世の立場の違いは、
それぞれが置かれた環境や利害関係、
そして人それぞれの認識の限界から
生まれるものなのだと分かるようになりました。

だから、多くの言い争いには、
実は大きな意味はありません。

たとえ議論で勝ち、
道理の上では正しかったとしても、
人との情は傷つき、関係は薄れ、
自分の心も疲れ果ててしまいます。

それでは、
得るものより失うものの方が大きく、
後悔だけが残るのです。

だから私は少しずつ学びました。

原則に関わらない些細なことなら、
穏やかに譲ること。

取るに足りない言い争いなら、
自分から一歩引いて手放すこと。

昔の人が言う

「大智若愚(本当に賢い人は、一見すると愚かな人のように見える)」

とは、まさにこの境地なのでしょう。

争わず、一歩引いているように見えても、
それは世の中を
よく理解しているからこその落ち着きであり、
何を大切にし、
何を手放すべきかを知る人生の知恵なのです。

今の私は、何か起きてもすぐに意見を述べたり、
やみくもに反論したりはしません。

まず心を落ち着かせて耳を傾け、
客観的に状況を見つめ、
冷静に考えてから判断するようになりました。

この沈黙は、決して弱さや臆病さではありません。

限られた時間やエネルギー、
そして心の力を、
本当に大切な人や大切なことのために使い、
自分自身を育み、
これからの人生を
より豊かなものにするための、意識的な選択なのです。

⑤初心を守り、本質を見据えた人生を生きる
善良な心を持ち続け、冷静さを忘れず、
人間らしい日々の暮らしの中を穏やかに歩み、歳月にも、自分自身にも恥じない人生を生きる。

人生も晩秋を迎えた今、
私はようやく「成長」と「成熟」の違いを、
本当の意味で理解できるようになりました。

成長とは、歳月が自然にもたらしてくれる贈り物です。

年月を重ねることで経験が増え、
一歩一歩前へ進んでいくこと。

それは誰もが
受け身のまま経験する人生の過程です。

一方で、成熟は決して年齢とは関係ありません。

それは、風雨に鍛えられた末の自己反省であり、
世の中の現実を見つめた先に得られる心の解放であり、
人生の苦労を経て、
ようやく自分自身や人生と和解できることなのです。

歳月は、ただ容姿を老いさせ、
年齢を重ねさせるだけです。

本当に心が成熟するためには、
自分自身と向き合い、
何度も振り返り、
静かに積み重ねていくことが必要なのです。

そうして初めて、
未熟さや頑なさが少しずつ薄れ、
物事の本質を見抜く力と、
揺るがない落ち着きを
身につけることができるのでしょう。

私は一生、文字とともに歩んできました。

若い頃は詩や文章に思いを託し、
純粋な夢や志をそこに込めました。

中年になると、
さまざまな文書を書きながら職責を果たし、
仕事に励んできました。

私にとって筆と言葉は、
もはや仕事や生活のための道具ではありません。

人生の半分以上にわたる「喜びや悲しみ」を受け止め、
人生で得た気付きを刻み、
心のぬくもりを静かに宿す場所となっています。

人生の浮き沈みも、
得ることも失うことも、
人の温かさも冷たさも、
すべてが文字を通して少しずつ染み込み、
誰にも真似のできない、
私だけの人生の軌跡となっていったのです。

人生に、時間を巻き戻してやり直す機会はありません。

誰もが何も分からない少年少女の頃から、
転び、ぶつかりながら成長していくのです。

「もし八十歳から人生を始められたなら、
人生はもっと素晴らしいものになる」

そんな言葉は、
物事を悟るのが遅すぎたことを
嘆くためのものではありません。

伝えたいのは、
人生には決まった「成長の速さなどない」ということなのです。

若い頃に迷い、未熟であったとしても、
あるいは大器晩成だったとしても、
それを悔やむ必要はありません。

晩熟であることは、決して欠点ではないのです。

数々の人生経験を重ね、
人生の晩年になって
ようやくたどり着く深い理解は、
何も知らないまま一生を過ごすことより、
はるかに価値のあるものなのです。

これから先の人生も、私は変わらず、
善良な心を大切にして生きていきたいと思います。

同時に、世の中を冷静に見つめる目も忘れず、
物事には優しく向き合い、
自分の信念をしっかり守りながら歩んでいきます。

日々の暮らしの中を穏やかに歩き、
得ることも失うことも静かに受け止め、
自分自身と折り合いをつけながら生きていきたい。

歳月にも、自分自身にも、
恥じることのない人生を歩んでいきたいと思います。

原文サイトはこちら

今回のママブログ。ものすごく深い内容が書かれてて すごく印象的でした。

ハンハンも ママも これまでの様々な経験から「人生」について語ることが多いですよね。
ママは、文章で。そして、ハンハンは映像で。(映画「8月」は、現段階、まさにその、頂点というべき作品😢)

今回のママブログ。また繰り返し 読みたくなる話になりそうです。

※ハンハンのグッドナイトストーリーの内容は また明日ご紹介します。

ではではまた。ここまでご覧くださりありがとうございましたww

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