今日から5月! あと2日でハンハンのファンミですネ。
(月日の流れが本当に早いです😅)
さて!今日は、毎月の「メッセージボード」の更新に加えて
ママブログの最新作も登場。もろもろまとめて ご紹介します。
チャンジャーハン公式サイト発「5月のメッセージボード」更新
毎月更新される、ハンハンへのメッセージを書き込むことができる「伝言板(メッセージボード)」。
5月のメッセージボードが更新されましたネ♪

※ここに、ハンハンの近況やメッセージが書きこまれてることがあるのだけど😅
果たして今月は? ということで 以下和訳です。
チャンジャーハン5月のメッセージボード:冒頭のあいさつ全和訳


和訳:
五月メッセージボード🎂✨
僕たちの誕生日の月がやってきました!🎉
5月はまた忙しくなりそうです!
テニスはあまり頻繁にはできなさそうです(o(╥﹏╥)o
でも仕事にもワクワクしています。💪🎾
もうすぐ会えますね、ファンミーティングにどんな期待がありますか?💬
ぜひコメントを残してください!🌸
原文サイトはこちら
今月は、ファンミの後も いろいろ忙しいみたいww
(テニスを頻繁にできないということは、そういうことかと…^^;ww)
5月3日のクアラルンプールファンミも、もう目前!

5月3日 チャンジャーハン2026クアラルンプールファンミ
5月11日 チャンジャーハンのお誕生日
今月は 楽しみがいっぱいです(^ー^* )フフ♪
チャンジャーハンのママがブログ更新!「息子のピアノの先生について」
さて! ここからは ハンハンママの最新記事を。
ここ最近、週に1回、記事を更新しているママ。
今日はなんと、ハンハンが幼いころピアノを習っていた先生の話が登場!
この先生にまつわる話は、いろいろ伏線あり。(;^ω^)
本題に行く前に ちょこっと解説しますネ。
本題に行く前の基礎知識|どうしてもやめたかったピアノ+生ライブでも登場した話
①小学生のころのチャンジャーハンが、どうしてもやめたいと訴えたピアノの話
かつてハンハンが、自身のブログで「どうしてもいやでやめたピアノの話」を書いたことがあります。
その一節をちょこっとご紹介すると… こんな感じ↓。
私が子供の頃、文化の授業に加えて、母は私の芸術の育成にとても熱心で、将来社会に強い足場を築くためにピアノを買うために、多額のお金を費やしました。でも、私は「凳上搁蒺藜—坐不住(椅子に-じっと座っていられなかった)」でした。 その後、母の強制で、1日2時間以上ピアノの練習をしなければなりませんでした。 私の心の中で、それは苦痛でした。
ピアノの先生がいつも私の手の甲を叩いて、間違いを訂正し、時にはペダルの反対側を蹴ったことを覚えています。先生は本当に猛烈すぎて、それが激しくなればなるほど、私は学びたくなくなり、(結局)私は学ぶことができなくなりました。
ピアノの椅子に座って、盲目的に演奏しましたが、何を演奏しているのかわからなかったくらい、頭が真っ白になって、すでに窓の外に飛び出していました…とにかく、白黒の鍵盤を2時間たたいていると、(何をしているのか)うやむやになってしまいました。
外に出て友達と遊ぶのがどんなにいいことか。
みんなが待っていて、ピアノとのデートはつまらない…
当時、こういうことを学ぶ意味が全くわからなかった。
でも大人になって、母の善意をゆっくりと理解することができました。
実際、もし勉強を続けていれば、今ごろは「ピアノの王子」になっていたかもしれないと思いました、はははは。
私があきらめた場面を考えると、本当に笑わずにはいられません。
その時、私は涙を浮かべて母に言ったんです。
「お母さん、二度とピアノを習わせないで。ピアノの先生はとても狂暴で、もうピアノを弾きたくない!お願い!お母さん!お母さん〜」と泣きながら母の服の裾を引っ張って、いったりきたりしました。
母が返事をくれなかったので、「ピアノを習わなくてよいなら、絶対に一生懸命勉強します。約束します。誓います」と続けました。もちろん、母は私がこんなに苦労していることに耐えられなかったので、「ピアノをやめた後は、一生懸命勉強しなければならない」と言いました。
全文は過去投稿で>>私の母 张三坚 2022-03-08 13:00投稿 全文和訳
まさに ハンハンの手をたたいていた先生が 今日のママブログに登場します(^-^;
② 事前にママブログの記事を読んで、今日の記事の話をしていた件
そして、一昨日29日。インスタ生ライブで、ハンハンが今日の記事の話をしてたんですよねww
6:14
母は本当に努力家で、今もすごく働いています。
僕にとって一番のロールモデルは母です。
毎週、インスピレーションのある文章を書いて、
僕にも見せてくれます。
最近は僕のピアノの先生について書いた記事があって、
すごく生き生きしていました。
人の葛藤や経験が、とてもリアルに描かれていて。
僕も少し内容を補足しました。
今週中に公開されると思います。
「チャンジャーハン公式インスタ生ライブ」(全映像+和訳)より抜粋
そう!まさに ハンハンが補足したという内容も、今日の記事に出てきます
(文中に出てきますww)
ということで ここから本題。全文和訳でご紹介しますネ。
めちゃくちゃ長いんだけど…^^; よかったら読んでみてください♪
チャンジャーハンのママブログ5/1投稿「矛盾しながらも自己の中で整合している一人の行者—— 息子のピアノの先生について(全文和訳)

矛盾しながらも自己の中で整合している一人の行者—— 息子のピアノの先生について
私はずっと、
息子が幼い頃のピアノの先生である袁先生について
書きたいと思ってきましたが、
なかなか筆を取る勇気が持てませんでした。
私にとって袁先生を書くことは、
非常に大きな勇気を必要とし、
さらにはいくらか「冒険」にも似た行為だからです。
多くの人が彼を知っているのは、
ただ彼が新余でトップクラスのピアノの名教師であり、
子どもたちの目には、
厳しい授業を行う先生だからに過ぎません。
しかし私にとって、彼との最初の関わりは、
息子が7歳で小学校2年生だった頃に
ピアノを習っていた時間に始まります
——今では息子はすでに成長し、大人となり、
芸術分野で深く活動していますが、
あの頃の「学芸の経験」は、
すでに人生の中のささやかな過去の一部に過ぎず、
深く語るほどのものではありません。
私が本当に袁先生を理解し、
その人物像を見抜き、血肉に満ち、
極めて矛盾に満ちた、
「袁先生という存在」を知るようになったのは、
決して保護者と教師・生徒という浅い縁によるものではなく、
かつて、私が彼の直属の上司であったからです。
この職場での深い関わりによって、
私は、他の人が見ることのできない
袁先生の姿を見ることができました。
この人はあまりにも特別です。
世間ではよく
「百人に一人の奇才」と言われますが、
私にはずっと、
袁先生のように、
これほど生き生きとしていて、
矛盾を抱え、
極端なまでに際立った人物は、
千人の中でもなお、
一人見つけるのさえ難しいと感じてきました。
数日前、袁先生はいつものように、
自ら私に一本の電話をかけてきました。
彼はいつもこのように、
しばらく間を置いては電話をくれ、
息子の芸術面での近況を尋ね、
ついでに、
生活や人生について語り合うのです。
通話の調子はいつも似ています。
彼はどこか、
惜しむような気持ちをにじませながら、
私と息子は本来もっと高い場所に立ち、
もっと遠くへ進み、
より優れた人生の枠組みと事業の高みに
到達できたはずだと感慨を述べます。
そして続いて、重々しい口調で
私に大局的な助言をし、
ニーチェの哲学的思索や、
ルソーの自己省察をもっと読むよう勧め、
哲学を深く掘り下げて
心の境地を広げるよう諭します。
最後には必ず、
自身の認識や人生の境地を強調し、
大きく語り、
自らの中にある一種の超然とした確信をにじませます。
これまでの長い年月、
私はこれらの言葉を聞きながらも、
多くは淡々と同意し、穏やかに受け流してきました。
しかし今回は、
年月の積み重ねによる心境の変化なのか、
それとも
現在の生活から得た実感が
湧き上がったのか、
私はこれまでにないほど
彼と理をもって争い、
正面から反論してしまいました。
本当の人生の高さとは何でしょうか。
世の人々が追い求める頂点は、
必ずしも自分にふさわしい
「行き着く先」なのでしょうか。
人は誰しも、
時代の大きな波の中に浮かぶ
「一葉の小舟」のような存在であり、
歳月に巻き込まれ、
時局に制約され、巡り合わせに左右されます。
私たちは一生を通して力の限りを尽くし、
足早に歩み、必死に走り続け、
世俗の期待する姿や、
他人の目に映る完璧な模範へと
自分を作り上げようとします。
しかし、運命は決して
人の思い通りにはなりません。
たとえすべてを注ぎ込み、
力の限りを尽くしたとしても、
一生をかけてもなお、
その場で行きつ戻りつするだけに
終わるかもしれません。
さらには、
突如として訪れる嵐や予測できない変化によって、
不意に谷底へと引きずり込まれ、
泥沼に深くはまり込んでしまうことさえあります。
これは決して怠惰や気の緩みによるものでも、
方向の誤りによるものでもありません。
人の世には、そもそも、
個人の意志ではどうにもならない
巡り合わせがあまりにも多いのです。
努力は人生の基調ではありますが、
それが人生のすべての答えであるということは
決してありません。
このように、
率直に彼と対峙し、遠慮なく
はっきりと言い合えるのは、
彼にとっても
私だけが持つ特別な立場です。
一般の人が彼に対して抱く認識は、
「厳しいピアノの先生」
という表面的なレッテルにとどまり、
そこには師弟関係特有の
礼儀と距離感が存在します。
しかし私は違います。
私が彼を理解している根幹は、
息子が芸術を学んだという縁ではなく、
長年にわたる共働と、
上下関係にあったパートナーとしての
深い相互理解にあります。
私は彼の仕事における偏執的な一面や、
性格の中の分裂、
人間性における長所と短所を見てきました。
また、人前で発揮される才能と、
その裏側にある本来の姿も見てきました。
まさにこのような徹底した理解があるからこそ、
私は彼に対して率直に評価や批判を述べることができ、
そして彼もまた、
私の率直さをただ一人受け入れているのです。
以前、私は自身の公式アカウント(ママブログ)で
『私たちは互いの木へと成長する』
という文章を書いたことがあります。
※そのときの内容は過去投稿で紹介しています>>ここから飛べます
その中に登場する羅大姐(羅姐さん)は、
私たち二人にとって
共通の古い知人です。
彼はその文章を読んで
非常に高く評価してくれたため、
私は流れに乗じて探るようにこう尋ねました。
「あなたのことを書いてもいいでしょうか?」
彼はすぐに快く承諾し、
率直に笑いながら言いました。
「いいですよ」
私はあらかじめ自分の一線をはっきりと伝えました。
「私は人物を書くとき、
常に事実に基づいて書きます。
飾り立てることも、作り話をすることもせず、
一言たりとも虚偽は書きません」
すると彼はさらに
あっさりとこう言いました。
「どうぞ好きに書いてください。
私の子どもの頃の資料や、
これまでの経験についても、すべてあなたに送ります」
(しかし)私はきっぱりと断り、
率直な態度でこう伝えました。
「私は、自分がこの目で見たこともなく、
自ら感じ取ったこともない過去については書きません。
私が書くのは、あくまで私の目に映るあなたです。
真実で、立体的で、
そして時には不完全なあなたです。
私の中で、あなたは決して完璧な存在ではなく、
その性格の中にはむしろ極端なまでの分裂や矛盾が潜んでいます」
そう言った後、
私はいくつかの具体的な過去の出来事を挙げて裏付けとしました。
彼はそれを聞いて声を上げて笑い、
変わらず率直なままでこう言いました。
「構いません、どうぞ書いてください」
彼の了承を得て、
私はどのように書き始めるべきか考え始めました。
袁先生を書くということは、
まるで人物デッサンのようなものです。
最も難しいのは、彼の鋭さや輝きを描くことではなく、
その内側にある複雑さ、対立、
そして生々しさを正確に捉えることにあります。
筆を取る以上、真実を求め、
骨格だけでなく
心までも描かなければなりません。
何年も前、息子がまだ幼く、
小学二年生の頃、
私は彼のためにピアノの先生を選び、
その過程で袁先生の名声を耳にしました。
当時の私は、他の多くの一般的な保護者と同じように、
彼の演奏技術が卓越しており、
指導も厳格で、
その町ではなかなか得難い芸術の名教師である
ということしか知りませんでした。
しかし、そのような認識は表面的であり、
あまりにも一面的なものでした。
私が本当に彼の内面に触れ、
理解するようになったのは、
その後の職場での巡り合わせによるものです。
新余のピアノ教育の分野において、
袁先生は公に認められた
トップクラスの名教師であり、
その報酬も地域で最高水準でした。
かつてこの地域のレッスン料が
まだ全体的に低かった頃から、
彼の料金はすでに同業者を大きく上回っており、
親しい知人や友人だけが、
多少の配慮を受けることができました。
現在では、そのレッスン料はすでに数倍にまで上がり、
この四、五線級の小都市においては
非常に高額と言える水準ですが、
それでもなお予約は取りにくく、門下生は絶えません。
彼は極めて矛盾した存在です。
すべての学生は彼を恐れ、
すべての彼を惜しみなく評価し、
そして敬っています。
彼の指導の基礎は確かで非常に深く、
教え方も独自性に富み、
厳しさは極限に達しながらも、
効率の高さもまた極限に達しています。
ただしその厳しさには、
どこか人情に欠ける鋭さが伴っています。
ピアノの指使いが少しでもずれたり、
姿勢がわずかに不十分であったりすると、
彼はすぐに生徒の指を叩きます。
幼かった息子も、
かつて指使いが
標準に達していなかったために叩かれ、
指が赤く腫れ上がるほどになり、
心の奥に深い恐れを抱くようになりました。
最初はぼんやりとした好奇心から
好きになったピアノも、
次第に抵抗感を抱くようになっていきました。
ただ、このピアノ学習の経験は
すでに過去のものとなっており、
息子がその後、
芸術分野に深く関わる道を選んだことには影響していません。
袁先生は学生に対して厳しいだけでなく、
身近な家族に対してはさらに容赦がありません。
自分の娘に対してさえ、
しばしば叱責し、ときには手を上げることもありました。
性格は剛直で頑固、
非常に鋭い角を持っています。
その極端な厳しさのもとで、
生徒は常に二極化します。
ひとつは心を落ち着けて努力を重ね、
成果を上げる者、
もうひとつは重圧に耐えきれず、
完全に諦めてしまう者です。
しかし、こうした教育者としての特徴は、
結局のところ彼の最も表層的な一面、
いわば氷山の一角にすぎません。
世間の人々は皆、
彼を「ピアノの名教師」として定義しますが、
私は職場での関わりを通じて、
彼の完全な人格、矛盾した本質、
そして浮き沈みする心境を垣間見ることができました。
これこそが、私がどうしても筆を執って、
彼を書こうとする本当の理由です。
もし私が
ただの生徒の保護者にすぎなかったなら、
彼に対する認識は
最終的に「厳しい名教師」
という浅い印象にとどまり、
その内面にある分裂と
自己の中での整合を決して
理解することはできなかったでしょう。
運命の最も妙なる巡り合わせは、
私が彼の直属の上司という立場で
彼と深く共に働くことになり、
最もありのままの、
完全な彼を見ることができたことです。
当時、袁先生は新余高等専門学校の
音楽学科に勤務しており、
私は市委組織部から
新余学院の組織部長へと異動していました。
当時の学校組織はまだ整備が不十分であり、
中間管理職の人材も不足していました。
私は主導して学科主任の公募制という
人事改革を推進し、
彼はその卓越した専門的才能によって
多くの競争者の中から抜きん出て、
芸術学科の主任として選ばれました。
芸術学科の党組織の整備
および組織体制を強化するため、
私は芸術学科の党支部書記を兼任し、
彼と仕事上のパートナーとなり、
日々を共にしながら密に協力して働くようになりました。
あのときの公募では、
主な評価基準は専門業務能力でしたが、
当時は校内に優秀な管理人材が不足しており、
いわば「背の低い中から将を選ぶ」ような状況でした。
純粋に芸術的才能や専門的水準だけで見れば、
袁先生は新余では指折りの存在であり、
芸術学科主任という職務を十分に担える人物でした。
しかし彼はこれまで管理職の経験がなく、
全体を統括する実務経験も持たず、
人との接し方もその時々の感情に任せる傾向があり、
組織運営能力や視野・器量の面では
明らかな不足があり、
年月と経験による磨きと蓄積が必要な状態でした。
仕事上の能力の話をひとまず置くと、
私に最も強い印象を残したのは、
彼の極端なまでに矛盾した性格の基調、
人との関わり方における独特な姿勢、
そして半生にわたる浮き沈みの人生の軌跡でした。
私はかつて、彼が自身の幼少期について
詳しく語るのを聞いたことがあります。
幼い頃の彼は体が小さく、
容姿も目立たず、
両親からは関心を向けられず冷遇され、
さらにはどこかで疎まれているような面さえありました。
彼の子ども時代には、
両親の温かな寄り添いはほとんどなく、
多くの時間を祖母のもとで過ごしていました。
このように愛されず、
大切にされなかった幼少期の境遇は、
早くから彼の心の中に根を下ろし、
一種の強情な執念へと変わっていきました
——出自は選べなくとも、運命は書き換えられる。
ひたすら努力し、極限まで奮闘することでのみ、
与えられた境遇の束縛から抜け出し、
人より抜きん出て、自分の立場を確立できるのだと。
そのため彼は若い頃からひたすら勉学に励み、
昼夜を分かたず努力を重ね、
大学へと進み、音楽の専門分野を深く究めていきました。
彼は卓越した才能を持ちながらも
努力を惜しまず、作曲にも通じ、
複数の楽器を自在に操りました。
二胡はしなやかに響き、
笛の音は悠然と流れ、
そしてピアノこそが、
彼にとって最も極致に達した、
最も輝かしい才能であったのです。
息子がピアノを習っていた頃、
私は袁先生を自宅に招き、
ピアノの調律をお願いしたことがありました。
音程の調整が終わると、
彼は気の向くままに
手首を軽く上げて鍵盤に指を落とし、
即興で一曲《紅梅賛》を
流れるように奏で始めました。
その指先の動きひとつで、
部屋に満ちていた静寂は
一瞬にして払いのけられました。
その演奏は、《紅梅賛》が持つ
寒さにも屈しない気高さと、
誠実で揺るぎない精神に深く呼応し、
優れた聴覚的な張力と感覚的な美しさ、
さらには心を浄化する力を兼ね備えていました。
冒頭は清らかでやわらかく、
穏やかで長く続く響きが広がり、
まるで寒さの中で凛と咲き始めた紅梅が、
ほのかに香りを漂わせるかのようでした。
澄みきった音律が部屋いっぱいに満ち、
世俗のざわめきをやさしく鎮めていきました。
やがて旋律は起伏を帯びて高まり、
力強く響き渡ります。
曲調は一転して広がりと力を帯び、
高音は澄みきって遠くまで響き、
風に向かって毅然と立つ、
紅梅のような気骨を感じさせます。
一方で低音は深く安定し、
風雪をくぐり抜けてきたような粘り強さと
落ち着きを内に秘めています。
全体として剛と柔が調和し、
流れるような一曲となり、
紅梅が霜や寒さを恐れず、
初心を貫くその気概を
余すところなく表現していました。
余韻は長く空間に漂い、
雑念を洗い流し、
雄大でありながらも、
やわらかな音の中で心は静まり、
自然と畏敬の念が湧き、
長く余韻に浸らせるものでした。
私はその場で深く心を動かされ、
思わず彼の名を呼び捨てにしてこう言いました。
「袁某某、あなたは背中越しに
その演奏を聴いていると、
きっと誰かがあなたに惹かれるでしょう。
でも、正面から向き合うと、
皆あなたに怖気づいて逃げてしまいます。
まるで屠殺人のようで、
音楽家らしい柔らかな気質がまったく感じられません」
他の人から見れば、
このような言葉は極めて辛辣に映るでしょう。
しかし私たちの間では、
すでにそれが常態となっていました。
私は彼に対して、
これほどまでに率直に言葉を投げかけ、
核心を突いて評価することのできる
唯一の存在であり、
彼もまた、私の遠慮のない物言いを
ただ受け入れていました。
当時の彼は、背が低くやや太り気味で、
肌は黒く粗く、身だしなみを整えることもほとんどなく、
服装も気ままでした。
その全身からはどこか雑然とした、
庶民的で粗野な雰囲気が漂っており、
指先から流れ出る優雅なピアノの音色とは、
まるで別人のようでした。
しかし彼は精神力が非常に強く、
外からの評価に傷つくことは決してなく、
自己認識もきわめて高く、
ほとんど揺るぎない確信に近い状態です。
彼はよく、
自分には、精神的な潔癖さがあると言います。
その内面の高い自負と自制心によって、
世俗に迎合したり、
人情に合わせて取り繕ったりすることを軽んじ、
会食や付き合いの場もほとんど断り、
俗世の営みに無理に溶け込むことを望みません。
まさにこの極端なまでの清高と孤高さゆえに、
彼は周囲の世俗と相容れない存在となっています。
周囲の人々は皆、
彼の卓越した専門的才能を認めてはいますが、
一方で、その気ままで粗放な外見や、
距離を置きがちで、
頑なな性格に対して
内心では複雑な思いを抱き
なかなか本当の意味で親しくなることができません。
昨年の冬至、私は故郷の新余へ帰る途中、
彼からの誘いの電話を受けました。
彼は熱心に私を招き、
食事でもてなしたいと言ってくれました。
そのとき私は車の中でハンズフリー通話をしており、
隣には友人がいたので、
何気なくこう紹介しました。
「息子がかつてお世話になったピアノの先生です」
すると私の言葉が終わるや否や、
彼は明るくこう自己紹介しました。
「とても不細工な先生です」
友人は機転が利き、
その場で笑いながら場を和ませました。
「顔でピアノを弾くわけじゃないですからね」
この自嘲の一言からも、
彼が自分の外見や飾らない風貌について
十分に自覚していることがうかがえます。
実際のところ、彼は決して醜いわけではありません。
ただ身だしなみに無頓着で整えることをしないため、
全体の雰囲気に上品さややわらかさが欠け、
代わりに粗さや雑然とした印象が加わっているのです。
私たちはすでに十年以上会っていませんが、
彼の性格や様子は、長年ほとんど変わらず、
今でもたびたび電話をかけてきては、
私が帰郷した際に会って旧交を温めることを望んでいます。
しかし私は彼のことをよく理解しているため、
帰省しても自分から連絡を取ることはありません
——彼をよく知る人なら誰もが知っているように、
彼は半生を通して非常に倹約家であり、
お金に対する慎重さは人並み以上です。
私は彼に余計な出費をさせ、
負担を増やしたくないのです。
私たちと親しくしている共通の友人の一人が、
かつて彼をこう極めて率直な言葉で
評したことがあります。
「钱是命,命是狗屎(金は命、命はクソだ)」
(意味:お金がすべてで、それ以外はどうでもいい人)
この言葉は俗っぽいものではありますが、
彼の本質を的確に突いています。
長年にわたり、
彼は外出する際には必ず
小さなショルダーバッグを携えており、
その中には常に
分厚い銀行カードの束が入っています。
半生をかけて蓄えた財産、
全ての持ち物を、片時も手放さないのです。
彼はお金を家に置いておくことに
どうしても安心できず、
常に盗難を心配して、
終日落ち着かない様子で過ごしています。
あるとき、彼が
私のオフィスに仕事の話をしに来た際、
帰るときにうっかり
そのバッグを置き忘れてしまいました。
私はいたずら心が起き、
同僚に合図してこっそりバッグを隠させました。
彼は紛失に気づくと慌てて戻ってきて、
焦り切った様子でどうしてよいかわからず、
オフィスの中を行ったり来たりしながら、
私たちに何度も見なかったかと尋ねました。
私たちは冗談半分に知らないふりをしました。
彼は焦りのあまり声を震わせ、
「中にはすべての銀行カードが入っていて、
半生の蓄えのすべてだ。
少しでも失うわけにはいかない」と打ち明けました。
そこで私たちは初めて、
彼のお金に対する執着が
ここまで深いものであることを実感したのです。
もともと彼が倹約でケチだということは
皆が知っていたため、この機会にからかい
「食事をごちそうしてくれたらバッグを返す」
と冗談を言いました。
その後、彼はどうしてもと、
宴席を設けて私を招きました。
私は何度か辞退しましたが、
結局その熱意に押されて出席することになりました。
しかしその席では、
最後に会計をしたのは彼ではなく、
彼の生徒の保護者の一人でした。
その後、私は率直に彼を批判しました。
「あなたは私に食事をごちそうすると言ったのだから、
支払いはあなたがするべきです。
もし毎回このようであれば、
今後あなたの食事の誘いには一切応じません」
しかし彼は自信満々に、
もっともらしくこう言い返しました。
「私は彼の子どもの学費の
便宜をはかってやっているのだから、
彼が私の分を払うのは当然だ」
私は反論しました。
「師弟の情や指導の恩と、
社交としての食事は本来別のものです。
混同してはいけません」
誰かが彼のケチさをからかうたびに、
彼は必ずあれこれと理由をつけて弁解します。
私もかつて袁先生のことをケチだと言ったことがありますが、
そのとき彼は冗談半分のからかいに対して、
わざわざ真面目な顔で反論し、
自宅の冷蔵庫を例に挙げて説明しました。
彼の家の冷蔵庫は一年中、
二十四時間つけっぱなしだというのです。
(この出来事自体、私はすでに忘れていましたが、
文章を書き上げて息子に見せたところ、
息子に指摘されて思い出しました)
このようなこじつけの説明には、
正直なところ言葉を失います。
自分の倹約について語るとき、
彼が最もよく口にするのは
「私は貧しさが怖いのだ」という一言です。
この苦しい過去の経験が、
彼のあらゆる言動の理由や言い訳となっており、
周囲の人間は、
それに対して反論することもできず、
また多くを語る必要もありません。
彼は非常に細かく物事を考える性格で、
常に強い不安を抱えています。
出張や遠出をする際には、
出発前に必ず遺書を書き、
すべての財産を娘に相続させることを
明確に記しておきます。
また世間でささやかれている話として、
彼の妻が実家から帰ってくるたびに、
身につけている金や銀の装飾品を
一つひとつ確認し、
本物が偽物にすり替えられていないかを
疑っていたとも言われています。
こうした極端なまでの細かさゆえに、
最終的に二人は次第に距離ができ、
残念ながら別れることになりました。
結婚の破綻も、
彼の性格を少しも変えることはありませんでした。
娘は彼にとって、
この人生における唯一の弱点であり、
かけがえのない宝です。
娘は清らかで美しい容貌を持ち、
前妻によく似ています。
彼は自分のすべての優しさ、
蓄え、そして期待を余すことなく娘に注ぎ込み、
半生をかけて築いたものすべてを、
娘のための道づくりに費やしています。
実際のところ、彼はこの人生で
遠くへ旅に出て世界を見る機会は
ごくわずかしかありませんでした。
一つには門下生が多く、
授業も忙しく、日々の指導の雑務に追われて
離れる余裕がなかったこと、
もう一つには結局のところ
自分のためにお金を使うことを惜しみ、
旅に出て視野を広げるための出費を
ためらっていたことが挙げられます。
彼はこれまで本当の意味で
各地を巡り世界を歩いたことがないにもかかわらず、
しばしば自らを、
心境の高みにある存在だと称し、
人々には到底及ばない精神的な高さに立って、
世の人々のさまざまな姿を
見下ろすかのように語ります。
もし以前のように、
まだ遠くへ出たことがなく
視野も狭かった頃の私であれば、
あるいはそれを
そのまま信じていたかもしれません。
よく言われるように
「读万卷书,不如行万里路;
行万里路,不如阅人无数;
阅人无数,不如名师指路;
名师指路,不如自己开悟」
意味:万巻の書を読むよりも万里の道を行くほうがよく、
万里の道を行くよりも多くの人に会うほうがよく、
多くの人に会うよりも名師に導かれるほうがよく、
名師に導かれるよりも自ら悟るほうがよい」です。
若い頃の私は、家にこもって
国内外の名著を読み尽くし、
それだけで
世の中のさまざまな姿を理解し尽くし、
人間のあらゆる様相を
見通したかのように思い込み、
自分は豊かな見識と広い心を
備えていると自負していました。
しかし歳月を重ねる中で、
私は世界各地を巡り、
ヨーロッパ、北米、オーストラリア、
そして東南アジアなど
多くの地域を訪れました。
ヨーロッパの古い都市に立ち、
歴史が積み重なった建築を味わい、
古典文明の深い基盤を感じ取りました。
北米の広大な大地を歩き、
その果てしない広がりを体感しました。
オーストラリアの海岸を巡り、
山と海が溶け合う雄大な風景に触れました。
そして東南アジアの各地を歩き、
多様な風俗と
異国の情緒が交わるさまを味わいました。
さまざまな地域に身を置き、
多様な山河の地形や人文の流れ、
風土や習俗、文明の蓄積に触れる中で、
私はようやくはっきりと気づきました。
若い頃、本に依存していた認識が
いかに浅薄であったか、
そしてこの広大な天地の中で、
「個」という存在がいかに小さいものであるかを。
本当の世界とは、
決して本の中の文字の積み重ねでもなければ、
空想の中で、自分を高めることでもありません。
それは山河万象の壮大さであり、
地域文化の多様性であり、
人々の風俗や情緒の違いにあります。
各地を巡り、
天地の広がりと文明の多様なあり方を見てこそ、
人は初めて謙虚さを身につけるのです。
視野が限られていると、
心のあり方もまた制約されがちであり、
一つの場所に長く留まっていると、
思考は固定化し、偏見にとらわれやすくなります。
そのため、彼がしばしば大げさに語り、
自らを高みに置くような言葉を口にしても、
私はあえて反論することはありません。
認識の壁や視野の差、
そして、心のあり方の限界というものは、
もともと少しの言葉で理解させられるものでも
一朝一夕で変えられるものでもないからです。
お金に対する執着を別にしても、
彼の気ままでだらしない身なりや、
手入れを怠った外見は周囲でもよく知られています。
彼は新しい服をほとんど買わず、
衣服は長年着続けたままで質素かつ古びており、
普段の身なりも気ままで粗放です。
足元の革靴はいつも埃や泥にまみれ、
靴下は左右で色が違い、
全体としての雰囲気は素朴で粗野であり、
まるで田舎で働く人のようで、
芸術の名教師としての
上品で洗練された気質はまったく感じられません。
しかし外見に気を配らないにもかかわらず、
彼は世間の目をまったく気にせず、
堂々として自然体であり、
他人の視線に縛られることは決してありません。
私はかつて彼と一緒に地方へ出向き、
学生募集を行ったことがあります。
そのとき彼は古びた自転車に乗っており、
車体は錆だらけで部品も緩み、
ベル以外のすべての箇所が
きしむ音を立てるほどで、
今にも壊れそうなほどぼろぼろでした。
帰り道、彼はその自転車を
バス停のそばに無造作に停め、
そのままうっかり忘れてしまいました。
数日経ってからようやく思い出し、
慌てて引き返して探しに行き、
盗まれていないかと気を揉んでいました。
私はその場で笑いながら慰め
「安心してください、
こんなに古い自転車を盗む人はいませんよ」と言いました。
案の定、その古い自転車は無事で、
元の場所にそのまま置かれていました。
彼は半生にわたって教え続け、
収入も決して少なくなく、
すでに十分な資産を持っているにもかかわらず、
なお極端なまでの倹約を貫いています。
私は冗談で、彼は手元に8元あれば
無理にでもさらに2元節約して
10元にしてすべて銀行に預けるだろうと
言ったことがあります。
この言い方には多少の誇張はありますが、
彼の骨の髄にまで染みついた
「倹約と執念」を的確に表しています。
しかし袁先生の半生を振り返ると、
私が最も敬服しているのは、
彼の卓越したピアノ技術ではなく、
誰にも及ばないほどの強靭な精神性です。
世間の評価や他人の目、
そして世俗の基準などは、
彼にとってはすべて
取るに足らないものに過ぎません。
彼は決して世間に迎合したり
人に取り入ったりすることなく、
常に自分のやり方を貫き、
自然体で堂々としており、
自分自身の納得と心の安らぎだけを求めています。
流言を恐れることも、
人の言葉に縛られることもありません。
彼はこの世における
最も極端な「矛盾の体現者」であり、
生き生きとしていながらも分裂した存在です。
生まれ持った才能に恵まれ、
芸術的な基礎も深く、
その指先からは最も柔らかくも
壮大な音楽が流れ出ます。
しかし外見は粗く雑然としており、
生活感あふれる平凡な姿にすぎません。
内面には高い自負と遠大な自己認識を持ち、
人々を俯瞰するような精神的な自立を保ちながらも、
人との関わりにおいては
偏執的で視野が狭く、
自分の枠に閉じこもり、
世俗的な人情を受け入れることが難しいのです。
才能と外見は一致せず、
内面の性質と行動は乖離し、
清高と倹約が共存し、
優しさと鋭さが同時に存在しています。
これほど多くの相反する特質が、
極めて強烈でありながらも
現実そのままに、
一人の中に融合しているのです。
半生にわたってこのままであり、
変わることはありませんでした。
外界の評価も、世俗の基準も、
他人の好悪も、
彼にとっては感受が鈍く、
まったく意に介さず、
自分自身の認識体系の中で生き、
自己の中で整合し、揺るぎない確信を持っています。
私はよくひそかに考えることがあります。
もし自分が彼のように、
深い音楽的素養を持ち、
あれほど精緻で美しいピアノを弾くことができたなら、
たとえ容姿が平凡で素朴であっても、
長くピアノという優雅な芸術に浸っていれば、
きっと心を磨き、気質を整え、
外見にも気を配り、
外面的な佇まいと内面的な能力とを調和させ、
相応しいものにしようとするだろうと。
しかし彼は六十を過ぎても、
半生を通じて変わることがありませんでした。
若い頃からの無造作で気ままな在り方のまま、
年を重ねてもなお初心を変えず、
一生を通してただ自分のままであり続けています。
迎合することもなく、
妥協することもなく、変わることもありません。
このような生き方は、
果たして頑なで視野の狭いものなのでしょうか。
それとも、物事を見通した
自由な在り方なのでしょうか。
このように極端な矛盾を抱えながら、
半生を通じて自己の中で整合している人生は、
果たして円満なのでしょうか、
それともどこかに悔いを残すものなのでしょうか。
私は結局、答えを見つけることができません。
しかし一つだけ、確かに分かっていることがあります。
人の世にはもともと唯一の正解など存在しません。
世俗の模範のように生きる人もいれば、
自分だけの唯一無二の在り方を生きる人もいます。
袁先生はまさにこの現実の世界の中で、
最も唯一無二で、
決して複製できない存在です。
彼は私に教えてくれました。
人生における最も良い自己の整合とは、
他人の期待通りに生きることではなく、
自分自身を理解し、
受け入れることであり、
たとえ多くの矛盾を抱えていたとしても、
本心に背かず、
この人生を裏切らないことなのだと。

いやはや すごい長文で すごく驚いたのだけど…
ママが書いたピアノの先生の話。なんだか すごく深い話でしたネ(^-^;
正直ママから見ると、羅先生の生き方には共感できないけど、
ママがそれを否定するのは違う=人はぞれぞれの生き方を貫けばいいっていう話ですよね。
「どっちが正しいとは言えない。
人はそれぞれ自分の形で生きればいい」
羅先生は 共感はできないけど “唯一無二の生き方の人
=それはそれでスゴイのだと…。
「本心に背かない生き方」をすればいい。
↑ここがほんと深い部分。(^-^;
ママの記事は ほんとに奥が深いです<(_ _)>
ということで 以上 ママブログの最新版でした♡
5/3のファンミに向けて、世界各地から海哲さんたちが、クアラルンプール入りしている模様。
加えて各地で、バースデーお祝い広告などが実施されています。
ほんとだったら全部ひろいたいところですが(^-^; 数が多すぎて断念ww
※Xのこちらの海哲さんが かなり拾って投稿してくれています。リンク先だけおいときますネ
>>ここから飛べます
ではでは今日はこのへんで。ここまでご覧くださりありがとうございましたww
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