なんと ハンハンが久しぶりに上海へ!?
夜になってから 突如、続々と写真が出てきた 今日のハンハン速報です(^-^;
あと、最近、更新頻度があがってる、ハンハンママのブログ。
今日は 昨晩更新された最新投稿の和訳もご紹介しますネ(〃▽〃)ポッ
(息子の名言 超おすすめww)
チャンジャーハン、久しぶりに上海到着!「ルフィのTシャツ着用」
ではではさっそく。今日、上海空港に到着したハンハン、現地の海哲の皆さんから♪
チャンジャーハンin上海空港|2026年4月11日到着 写真
今日はXの海哲の皆さんから。 投稿元リンク先はこちら











最近 虹の橋を渡ったばかりのルフィのイラストを胸に。
ルフィと長く暮らした上海へ。(ルフィ関係での上海入りなのかどうかは不明です)
動画も1本登場。まだまだ増えると思うんだけど…追加はまた改めて(;^ω^)
今日の空港ハンハンの表情がとても明るいので 見てるだけで ホッですww
張ママブログ更新!「女性は世界を彩るために存在しています」
そしてここからは昨日更新された ママのブログの話。
今回の内容は、つい最近、ママが故郷の「新余」に帰郷したときの話なのだけど…
昔からの友達と会った話の中に、すごく貴重な話が出てきます。
それが まさに ハンハンからの「3つの名言」。
(ママが新しい伴侶を見つけた方がいいかな?という質問をしたときに、ハンハンが言った言葉…
核心をついてて ドビックリでしたよ(;^ω^)ww)
それに加えて、ママが一昨年右目を失明したのだけど…😢
その後の、詳しい話も…。
(以前も、ママ自身が詳細の話を書いたことがあるのだけど、今回のは、その予後の詳しい話が登場)
今回もすごい長文なのだけど よかったら最後まで読んでみてください(;^ω^)
張ママブログ4/10投稿「女人是来打扮世界的(女性は世界を彩るために存在しています)全文和訳

女性は世界を彩るために存在しています
毎年清明の時期になると、
私は慣例として新余へ戻り、両親をお参りします。
新余は、私を生み育てた故郷ではありませんが、
私が半生にわたり、仕事で根を下ろし、
弟や妹たちと寄り添って過ごし、
そして、両親が永眠している場所です。
年月を重ねるうちに、
この街の路地や草木、暮らしの気配は、
すでに深く私の中に溶け込み、
私にとって本当の、そして最も心が安らぐ故郷となりました。
ここには気にかけてくれる家族がいて、
心を分かち合える旧友がいて、
かつての同僚との情もあります。
この土地に足を踏み入れると、心は自然と落ち着き、
呼吸さえもどこか懐かしく感じられます。
今回の帰郷はちょうど江南の雨季にあたり、
細かな雨が降り続き、
まるで、春全体をしっとりと潤しているかのようでした。
雨に閉じ込められるようにして
家にいることになりましたが、
かえって静かな時間ができ、
読書をし、文字を書き、
もの思いにふけりながら、
普段は整理できない、
心の内をゆっくりと広げ、自分自身と向き合いました。
けれども、人の温もりというものはやはり断りがたく、
家族や友人、旧同僚との食事の席が次々と続き、
断ることもできず、
また断ろうとも思いませんでした。
一つの食卓を囲み、
故郷の料理が湯気を立てる中、
箸を動かしながら、
日常の話や面白い話、
過去のこと、これからのことを語り合い、
笑い声が絶え間なく響きます。
その温かさに包まれた時間こそが、
最も確かで、最も心を打つ、
人の営みの味わいなのだと思います。
雨が何日も降り続き、
ようやく空が晴れました。
4月1日、この日は陽光がひときわ
惜しみなく降り注ぎ、
空はまるで、
洗い流されたかのように澄みきっていました。
その知らせが広まると、
友人たちはもうじっとしていられず、
次々と誘い合って出かけることになりました
——向かう先は百丈峰です。
新余の百丈峰は国家級森林公園であり、
贛西では貴重な天然の酸素の宝庫です。
渝水・新干・峡江の三県の境に位置し、
森林被覆率は90%以上、
主峰の標高は424.2メートルあります。
一つの山の中に、
唐代の寺の静かな趣、
葛洪の道教の足跡、
岳飛の古い台地があり、
歴史と自然が織り重なっています。
青雲梯は険しく、玄心湖は澄みわたり、
三県亭は風を受け、
一歩ごとに景色が変わり、
どこを切り取っても絵になる場所です。
登山による健康づくりや、
気軽な散策にも、これ以上ない場所です。
今回の外出は、
羅姉さんが中心となって連絡を取りまとめ、
女性の友人たちが、
自然と集まってグループになりました。
私はもともと
細かいことに気を配るのが得意ではないので、
気楽に「お任せ役」となり、
ただ一緒に歩き、一緒に笑い、
一緒に感じるだけで十分でした。
この女性たちの一群は、
本当に一つの風景そのものです。
年齢は半世紀以上にわたっていて、
50年代生まれ、60年代生まれ、
70年代生まれ、80年代生まれまでいます。
詩情にあふれた文人もいれば、
鋭い筆致を持つ記者もいて、
穏やかで上品な教育の専門家もいれば、
新余でも一流の写真家もいます。
また、かつては重要な職に就き、
今はゆったりとその役を退いた元幹部の方もいます。
彼女たちは立場も職業も経歴もそれぞれ異なりますが、
共通しているのは、人生を愛し、美を愛する心です。
一緒に集まると、
その空気は自然と溶け合い、とても心地よいものになります。
景勝地に着いた途端、
彼女たちの目はぱっと輝きました。
ちょうど桃の花が見頃で、
淡いピンクが雲や霞のように広がり、
茶の木はすっと立ち、
緑があふれ、枝葉の広がりの中に生命力が満ちています。
やわらかな春の新芽が枝先に顔を出し、
思わず手に取りたくなり、
私たちは足を止め、
そのまま手を伸ばして、春の茶葉を摘み始めました。
まとめ役の羅姉さんはとても気配りが細やかで、
すでにあらかじめ、
素朴で上品な茶摘み娘の服を数着用意していました。
写真用の竹かごや竹籠といった小道具も、
すべて彼女が丁寧に準備していたものです。
彼女は笑いながらバッグからそれらを取り出し、
どうしても私に着てほしいと言い、
こうすれば写真に茶山の春の趣が出て、
春茶を摘むこの場面にもぴったり合うからと勧めてきました。
私は何度も手を振って断り、
どうしても着る気にはなれませんでした。
この村娘の服は、
自分がこれまで「半生かけて築いてきた職業的な雰囲気」とは
あまりにもかけ離れていると感じたからです。
それでも彼女は気を悪くすることなく、
笑顔のまま近づいてきて、
有無を言わせず私の上着を脱がせ、
強引にその茶摘み娘の服を着せてしまいました。
さらに春茶をいっぱいに入れた竹かごを
私の手に持たせ、
茶の木の間に立たせて、
どうしても
茶葉を摘む仕草で写真を撮らせようとしました。
その様子に、そばにいた友人たちは
大笑いしながら、
カメラを手に次々と、
このにぎやかで生き生きとした瞬間を
撮り続けました。
少し離れた畑のあぜ道には、
菜の花がちょうど盛りで、
一面に広がる黄金色が
陽光の中でやわらかく輝き、
青い山と水、そして、
茶畑と美しく調和していました。
どの景色も、彼女たちは見逃そうとはしません。
ある人はスカートの裾を持ち上げて
軽やかにくるりと回り、
ある人は木にもたれてほほえみ、
ある人は花にそっと手を伸ばし、
優しいまなざしを向け、
ある人は摘みたての春茶を手にして、
目元をやわらかく細め、
またある人はカメラを構えて、
私と羅お姉さんを写し続け、
ある人は風を切るように大きく歩き、
堂々とした存在感を放っていました。
赤い服は情熱的で、黄色は明るく、
青は清らかで、白は素朴で、
そして私の身につけた、淡い茶摘み娘の服も加わり、
色とりどりの装いが、
青い山と水、黄金の菜の花、
そして緑の茶畑の中で揺れ動き、
まるで歩く花のようでした。
彼女たちはさまざまなポーズを取り、
静と動、やわらかさと凛々しさが入り混じり、
どの写真にも、
それぞれにしかない風情と物語が宿っていました。
私はその様子をそばで眺めながら、ふと心が動きました。
世界は、
こうした女性たちによって明るくなり、
こうした女性たちによって色彩を持ち、
こうした女性たちがいるからこそ、
本当に素晴らしいものになるのだと。
彼女たちは写真を撮っているのではなく、
自分自身を風景として生きているのです。
写真を撮り疲れると、
みんなで茶亭に上がり、
一つのテーブルを囲んで、
お茶をいれてのんびりと語り合いました。
女性たちの話題はもともと自由奔放で、
まるで空に浮かぶ雲のように、
あちらへこちらへと漂い、縛られることがありません。
家庭のちょっとしたこと、
子どもの成長、身近な出来事、
人生の気づき——
そして何より多いのは、
互いを認め合い、褒め合い、
時には“持ち上げ合う”こと。
それは心からの賛辞であり、
見せかけでも競い合いでもなく、
ただ純粋な真心からくるものです。
話しているうちに、
誰が切り出したのか、
話題はいつの間にか男性の話になりました。
ある人が笑いながらこう言いました。
「ねえ、男性って私たちみたいに、
誘い合って景色を見に行ったり、
写真を撮ったり、ポーズを取ったり、
座ってゆっくりおしゃべりしたりするのかな?」
みんなで顔を見合わせて笑い、
答えは言わずとも分かっていました。
男性が集まると、多くはお酒を飲み、
カードや麻雀をして、大きなことを語り、
仕事の話や面子、世渡りの話になります。
それに対して女性が集まると、
心の話をし、美味しいものを語り、
暮らしを語り、そしてお互いのことを語ります。
ある人が笑って言いました。
「よく言うでしょ、
女性は“作る(わがまま・演出する)ために来て、
男性は“装う”ために来たって」
私は軽く首を振り、少し真面目に言い直しました。
「男性が本当に“装うために来た”のかどうかは、
軽々しくは言えないけれど——
でも私ははっきり言える。
女性は、世界を彩るために来ているの」
ほら見てください。
あなたたちはそれぞれ、
色とりどりの服をまとい、
山や水の中に美しい姿を残し、
その笑顔で風景を明るくし、
その佇まいで時間をやわらかくしています。
あなたたちは、
姿で世界を彩るだけでなく、
一つひとつの心からの称賛の言葉でも、
世界を飾っています。
「わあ、すごい!」
「きれいすぎる!」
そんな感嘆の声が次々と重なり、
まるで春風が湖の水面をなでるように、
喜びと愛しさが波紋のように広がっていきます。
それは、自分自身を受け入れる気持ちであり、
人生への情熱であり、
世界に向けた最もやさしい賛美です。
話題がもう少し深くなると、
やはり感情の話は避けて通れません。
みんながそっとため息をつきます。
女性は「情」を重んじ、
男性は「本能」を重んじる
——傷つくのは、たいてい女性だと。
同行していた
最年少の80年代生まれの女性は、
私たちの目にはまだ小さな女の子のように見えます。
けれど彼女は、
つい最近とても深い傷を負ったばかりでした。
夫が浮気をし、
彼女と子どもを捨てて去ってしまったのです。
彼女は明るく振る舞い、
苦しみを口にはしませんが、
その目の奥に隠しきれない寂しさがあることを、
私たちはみな分かっています。
あの痛みは、
女性にしか本当の意味では分からないものです。
帰省中には、親族の中には親切心から、
私に新しい伴侶を紹介しようとしてくれる人もいました。
けれど私の気持ちはすでに定まっていて、
合うか合わないかという問題ではなく、
半生を経て、もうこれ以上、
感情のもつれの中に入り込む気持ちはありません。
心が安らいでいること、
それが私にとっての居場所です。
私は以前、試すような気持ちで、
半分冗談まじりに息子に聞いたことがあります。
「お母さんが、
もう一度伴侶を見つけるのはどう思う?」と。
息子はたった三つの言葉だけ返しました。
それはとても冷静で、
物事の本質をついていて、
同時に少し胸が締めつけられるものでした。
「まだ愛を信じてるの?」
「まだ男性に傷つけられ足りないの?」
「今の生活で幸せじゃないの?」
この三つの言葉は、
まるで三つの小さな灯りのように、
私の中にあった迷いを
一瞬で照らし出してくれました。
それを女友達に話すと、一瞬場が静まり、
すぐに感嘆の声があがりました。
「これは名言だね!」
「この息子さん、
お母さんのこと本当によく分かってる!」
あの80年代生まれの女性も大笑いしながら言いました。
「この三つの言葉だけで、
もう一生ファンになる!」と。
その笑い声の中には、
いたわりも、理解も、
そして自分自身の幸せを信じる
女性たちの「確かな思い」がありました。
——私たちは傷つくことはあっても、
沈み込む必要はない。
——深く愛することはできても、
誰かに依存する必要はない。
百丈峰を満喫して帰る途中、
私たちはついでに上海の知識青年の旧跡を訪れました。
風化した壁や残された古い物が、
一世代の人々の、
熱く若かった時代を静かに物語っていて、
その情熱と信念が交錯した時間に、
心を動かされると同時に、
深い敬意を抱きました。
だからこそ、
世界はこんなにも生き生きとし、
愛に満ち、美しさにあふれているのだと思います。
今回の帰省では、
ほとんどの人が、
私を見るなり口をそろえてこう言いました。
「前よりずっと状態がいいね!
痩せたし、元気そうだし、
全体的に明るくなった!」と。
ケアの秘訣を聞かれると、
私はただ淡々と二つだけ答えます。
一つは運動、もう一つは食事です。
私の小さなベランダは、
そのまま私のジムです。
ピラティス、
トレーニングバンド、スキー運動機、
ストレッチボード、ランニングマシン、
足つぼマットと、必要なものは一通りそろっています。
毎日の午後、特別な用事がない限り、
ほぼ欠かさず2時間近く運動しています。
負荷トレーニング、ストレッチ、
筋力トレーニングを行いながら、
少しずつ
体をコントロールする感覚を取り戻していきました。
食事面では、もう以前のように好き勝手にはしません。
朝食は卵白2個分、きゅうり1本、無糖のごま団子2個。
昼食は自由にバランスよく、
魚や牛肉、卵、野菜など。
夕食は極めてシンプルで、
高カルシウムの無糖ミルクをスプーン3杯に、
ケールパウダーを2本分混ぜるだけです。
年齢を重ねると代謝は落ち、
太りやすく、痩せにくくなります。
以前の私は、体重が長い間、
137斤(約68.5kg)前後で、
体脂肪計には毎回はっきりと
「肥満」と表示されていました。
それでもまったく気にせず、
食べることが好きで、
長時間座りっぱなしで、あまり体も動かさず、
机に向かって執筆したり、
本を読んだり、スマホを見たりと、
自由気ままに、少し無頓着に日々を過ごしていました。
そんな中、思いがけない災いが突然襲いました。
免疫力が完全に崩れ、
2か月もの間微熱が続き、
体内である種の細胞が異常に増殖し、
最終的に、最も弱かった目を攻撃したのです。
手術を二度受け、
なんとか右目の眼球は残せましたが、
視神経はすでに損傷しており、
右目は永久に失明しました。
その後も、ストレス性の高血糖、
不整脈、高脂血症、動脈硬化といった症状が
次々に現れました。
医師ははっきりと言いました。
「このまま放置すれば、
脳梗塞や心筋梗塞も起こりかねない」と。
西洋薬は副作用が強く、
私は一生薬に縛られる生活を望みませんでした。
そのときになって初めて、
私は本当に自分の体を大切に思い、
人生を見つめ直すようになりました。
ゆっくりと脂肪を減らし、
運動を続け、科学的に食事を整える。
その過程は決して早くはありませんが、
一歩一歩、確実に進んできました。
今では体重は122斤(約61kg)になり、
血中脂質は下がり、血糖値も正常に戻り、
服用している血圧の薬も半分に減りました。
体の状態もずいぶん軽やかに感じられます。
私はこうした経験を女友達に話しました。
美しさは、
まず健康という土台があってこそ、成り立つもの。
健康があってこそ、美しくありたいと思えるし、
健康があってこそ、世界を彩ることができるのです。
どんな再会にも別れはつきもの、
帰る日も近づいてきました。
深圳へ戻る前、女友たちはわざわざ集まって
送別の席を設けてくれました。
手に提げていたのは高価な贈り物ではなく、
心に深く響く「気持ちのこもった品々」でした。
土の香りが残るたっぷりの土鶏卵は、
素朴であたたかな気遣い。
密閉容器に入った、
しっかり味の染みた弾力のあるうずらの卵は、
丁寧に作られた細やかな優しさ。
そしてもう一つは、
精巧で美しく、多くの国際賞を受賞した
「中国夏布第一刺繍」。
それは、職人の手仕事と
深い友情が重なり合ったものです。
これらの贈り物には、
故郷の暮らしのぬくもりと、
女友たちの想いが詰まっていて、
ずっしりと重く、
胸の奥までじんわりと温かくなりました。
今回の帰省は、名残惜しさがいっそう深まり、
同時にたくさんの温もりに満たされました。
送別の食事を終え、夜風がやわらいだ頃、
私は羅姉さんと、
北湖公園をゆっくりと歩きました。
湖面には小さな波が揺れ、
柳の枝はしなやかに垂れ、
やさしい夜風の中、
灯りの影が水のような夕暮れに映っていました。
歩いていると、彼女がふと静かに言いました。
「将来、あなたが年を取ったら、
私が面倒を見るわ」
私は胸が温かくなり、
少し身を傾けて笑いながら答えました。
「あなたのほうが、私より年上じゃない?」
羅姉さんは声をあげて笑い、目を輝かせて言いました。
「私はもう、自分の年なんてすっかり忘れたわ!」
軽い冗談の中にある本当の気持ちが、
夜の空気の中でいっそう温かく感じられました。
一つひとつの景色をたどりながら、
道のりを共に歩き、
女友たちはそれぞれの色で
春の光を照らし、
その真心と愛情で、
何気ない日々をやさしく、明るく彩っていました。
こうして互いに照らし合い、
互いに支え合う関係の中で、
私はふと『暮色将近』という
1冊の本に込められた意味を
理解したように思います。
本の中にこうした言葉が
はっきり書かれているわけではありませんが、
行間から読み取れるのは、
作者が語る「女性の生命力の本質」です。
それはおそらく、
女性には、一生を通して三つの欲求があるということ——
表現したい気持ち、装いたい気持ち、
分かち合いたい気持ち。
まさにその通りだと思います。
女性はいくつになっても、心は「少女のまま」です。
装うことは、決して浅い虚栄ではなく、
年月を重ねてもなお、
人生を大切にし、
自分自身を慈しむ一つの儀式であり、
日々を詩のように生きるための、やさしく確かな力です。
表現することもまた、
騒がしさや自己主張ではなく、
思いを隠さず、
愛する気持ちを押し込めず、
自分の心を語り、
善意を伝えることのできる、
まっすぐで、生き生きとした在り方です。
分かち合うことも、余計なことではなく、
女性同士の通じ合う感情であり、
互いを温め、支え合うやわらかな絆です。
それこそが「生命力」であり、
「愛」であり、
歳月に削られることのない
「輝き」なのだと思います。
もしこの世界に女性がいなければ、
色彩は半分に、
やさしさも半分に、
生き生きとした力も半分に、
希望も半分になってしまうでしょう。
だからこそ、私たちは信じています。
女性は、世界を彩るために存在しているのだと。
女性は世界に照らされる存在ではなく、
自ら光を持ち、世界を照らす存在です。
心で、想いで、美しさで、
しなやかな強さで、
そして一生変わることのない愛情で、
この世界をいつまでも明るく、
あたたかく、そして美しくしていくのです。
※原文の一番下に、動画があります(ママの新余での女子会の模様が拝見できますよ^^)
このハンパない、読後感。
ハンハンの的を得た「3つの名言」もさることながら、
同じ女性として生きてる中で感じることに とても共感しました…
(こういう部分、国は違えど、共感できる部分が多いことにも驚き)
ママのブログ、ほんとに奥が深いですネ。(;^ω^)
今回もほんとに すごかった…<(_ _)>
ではではまた♪ここまでご覧くださりありがとうございましたww
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