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チャンジャーハン、女神節おめでとう投稿!(&張ママがブログ更新「息子の名前の由来」を語る)

今日は、ハンハンのインスタ更新あり。
加えてママのブログの新作が登場! 
なんとハンハンの名前の由来について書かれていて これが本当にステキだったんですよ(/ω\)ww
すごく長いのだけど 超おすすめ。よかったらぜひ読んでみてください♪

目次

チャンジャーハン公式インスタ「女神節おめでとう」

ではではさっそく♪ 夜になってから公開された 今日のインスタ。
コメントと、動画の内容が全然違うんだけど(;^ω^) 是非見てみてください💗

チャンジャーハン公式インスタ3/8投稿 スノボ動画+女神節のご挨拶

※元投稿に スノボの動画あり。渋滞してる滑走路を かき分けかき分け進むハンハン。

渋滞にひっかかって 転んでしまうのだけど(;^ω^)
コメントは こんな内容でした。

女神節おめでとう🎊
みんながいつまでも、この世界がもたらす平穏を享受できますように。


投稿元リンク先はこちら(動画があります)

今日は 3月8日=国際女性デー(中国では女神節) ということでの お祝い投稿。
そういえば昔、この日にちなんだ「張三堅ブログ」が更新されたのを思い出しましたよ…

2022年3月8日の投稿:张三坚(チャンサンジャン)氏 3/8の投稿
「今日は女性の日!この記事を私のスーパーヒーロー、母に贈ります」

まだ、誹謗中傷の嵐がすごかった中、ママに贈ったエッセイが出たんですよネ👍
その日から、丸3年の今日は、偶然にも ママがブログを更新していたという。。
※正しくは ママのブログは昨日公開されたのだけど これもご縁ということで 下。おすすめです! 

チャンジャーハンのママブログ更新!「名前に込められた一生のやさしさ」

以下 昨晩更新された、ハンハンママのウイチャットブログからの全文和訳です。

※前半は今年の春節、にぎやかに過ごした話から、中盤から「名前の話」になります。
ハンハンの名前の由来が出てきますよ♪ 

チャンジャーハンのママブログ「名字里的一生温柔(名前に込められた、一生のやさしさ)」全文和訳

名前に込められた、一生のやさしさ

季節は春に入り、三月が訪れました。
歳月はあっという間に過ぎ去り、
いつの間にか深く進んでいることに気づかされます。

かつては毎日のように
新年の到来を首を長くして待ち望み、
遠くにいる家族が帰ってくること、
親しい人々が集まること、
弟や妹たちが深圳へ来ること、
そして、一家が団らんし、
灯りのもとで「温かな時間」を過ごすことを願っていました。

やがて、杯や皿が少しずつ片づけられ、
人々の声も次第に静まっていく頃になって、
ようやく賑わいが過ぎ去ったこと、
新年があっという間に幕を閉じたことに気づきます。
残るのは、心いっぱいのやさしさと、尽きない思いだけです。

今年の春節には、
弟や妹たちが深圳に集まり、私の家で食卓を囲みました。
料理が並び、笑い声が部屋いっぱいに広がり、
温かな雰囲気に包まれていました。

雑談をしているうちに、
話題はいつの間にか「名前を付けること」へと移りました。

末の弟の娘——つまり私の姪
(現在は大学四年生で、大学院入試を受けています)が、
笑いながら、
「自分の名前」は私が付けてくれたのだと話しました。

彼女がネットで自分の名前を調べたところ、
名前の評価はなんと98点もあったそうです。
ただ、その名前はやや中性的で、
学校では先生から男子だと勘違いされることがよくあるそうです。

何気ない一言の冗談が、
そっと私の記憶の扉を押し開きました。

思えばこの一生で、私は「取名(名付け)」という二文字と、
これほどまでに長く深い縁を結んできたのです。

その縁の中には、少女時代の頑なさや自尊心があり、
また、私が、短いながらも大切に過ごした
戸籍警察官(※)としての日々の中で出会った、
数えきれないほどのやさしさと善意も詰まっています。

※「户籍警」=戸籍警(戸籍警察官)とは
中国の公安(警察)の中で、戸籍業務を担当する警察官のこと。
日本で言うと「市役所の戸籍係+住民登録」の仕事を、警察(公安)が担当しているイメージ

私の父は、若い頃に公安機関に勤めていました。
性格は厳格で、普段はあまり笑顔を見せない人でした。

私たち子どもは、幼い頃から父を心の底から敬い、
少し畏れる気持ちを抱いていました。

あの特別な時代の中で、
父は「走資派※」として批判され、農村へ下放※されました。

※走資派=文化大革命のとき、資本主義寄りの考えを持つと批判された人
※下放=都市の仕事を奪われ、農村へ送られて労働させられること

家族全員もそれに伴って田舎へ移り住むことになりました。
父は学識のある人で、
たいへん美しい字を書くことでも知られていました。

暇な時間があれば紙を広げて筆を取り、
机や衣装箪笥、食器棚など、
字を書ける場所であればどこにでも、その墨の跡を残していました。

私たちの家には全部で七人の子どもがいました。
娘が五人、そのうち一人は不幸にも幼くして亡くなりました。

息子は二人です。
私と妹たちは少し年上で、二人の弟がいちばん年下でした。

両親が心の中で願っていたのは、
ただ「娘も息子もそろい、家族が安らかであること」。

そして、子どもたちが皆、
平穏に無事に人生を歩んでくれることでした。

それが両親にとって最大の願いだったのです。

私たち兄弟姉妹の名前は、
すべて父が自ら付けてくれたものです。

まだ産着に包まれていた頃の私たちには、
その一画一画の中に込められていた父の思いなど、知る由もありませんでした。

父は生涯、字を書くことを愛しており、
また私たち兄弟姉妹の名前を、ふとした折にあちこちへ書き留めるのも好きでした。

家の至る所に残っているその筆墨の跡は、
父の日常の書の練習でもあり、
暮らしの煙火の中にそっと隠された、
子どもたちへの「言葉にならない気がかり」でもありました。

ただし、名前を付けるということに関しては、
時代の刻印がとりわけはっきりと表れていました。

娘の名前を付けるときには、父は親しい人たちの間で呼びやすく、
上品で耳なじみのよい呼び名を多く選びました。

小珍、小玲、小明、小华といった名前を、
気軽に思いつくままに付け、親しみやすく自然な響きを大切にしていたのです。

一方で息子の名前を付けるときには、
文字一つ一つを慎重に吟味し、何度も考えを巡らせました。

字の形から意味に至るまで、
そのすべての中に、最も真剣な期待と願いが込められていました。

これは決して男女をえこひいきしていたわけではなく、
ただあの時代、人々が息子と娘それぞれに抱いていた
「異なる願いの表れ」であり、
また、ごく普通の家庭における「最も現実的な生活の姿」でもあったのです。

私は家の長女でした。
農村へ下放されてからは、
学校が終わるとすぐ、家の畑の世話を手伝わなければなりませんでした。

水を担いで肥料をやり、畑の畝を整え、
農具と共に過ごすこともしばしばでした。

ある日、父は書の練習をしているうちに気分が乗り、
なんと私の名前を、普段使っている尿桶や尿杓子に、
気軽に書きつけてしまったのです。

父にとっては、ただ気まぐれに書いた一筆であり、
いかにも日常の出来事にすぎませんでした。

しかし私の目には、
それが自分の名前を「大切に扱ってもらえていない」ように映り、
その悔しさと敏感な思いが、
瞬く間に胸にこみ上げてきました。

普段は父を畏れて、決して逆らうことなどなかった私でしたが、
ついに目を赤くし、ありったけの勇気を振りしぼって、頑なにこう口にしました。

「私はこの名前はいりません。必ず名前を変えます!」

厳格な父がきっと私を叱りつけるだろうと思っていましたが、
頑なで悔しさをにじませている私の様子を見て、
父は結局、折れてくれました。

このめったにない小さな言い争いがきっかけで、
私は初めて辞書を手に取り、
あらためて真剣に自分の名前を改めました
——それが、今もずっと使い続けている私の名前です。

父が譲ってくれたことが、
私に勇気を与えてくれたのかもしれません。

あるいは、「名前はきちんと大切に扱われるべきものだ」
という心の奥の思いが、ますます強くなっていたのかもしれません。

私は図に乗るように、自分の名前を改めたあと、
そばにいた妹たちを見て、彼女たちも私と同じように、
生まれたとき、父が気軽に付けた名前を持ち、
それが特別に大切に考えられてきたわけではないことを思い出しました。

父が私たちを愛していなかったわけではありません。
ただ、その時代の習慣として、
そうした名付け方が当たり前だっただけなのです。

私は、妹たちのためにも名前を変えようと決心しました。

そこで再び辞書を取り出し、
一つ一つ考え、丁寧に吟味して、
下の妹たちの名前もまとめて改めました。

彼女たちにも、
自分が気に入る名前を持ってほしいと強く思ったのです。

そのときの私は、まだ中学一年生でした。
それでもすでに、深く理解していました。

名前とは、一つの体面であり、
一つの尊重であり、
その人が「大切に扱われている」という心の表れであるということを。

その思いは、性別によって違いがあってはならず、
また、長幼の別によって軽く扱われるべきものでもありません。

この気づきは、私と妹たちの名前を変えただけでなく、
その後の人生で「名前を付ける」ということに対する
「私の姿勢」にも大きな影響を与えました。

そしてそれは、何年も後に、
自分の子どもに名前を付けるときの伏線にもなったのです。

私は、この若い頃の思いが、
何年も後に、やさしい使命のようなものへと変わっていくとは、
夢にも思っていませんでした。

1970年代の終わりから80年代初めにかけて、
私は幸運にも、最初期の女性警察官の一人として
警察の制服に袖を通しました。
その中の二年間は、戸籍業務の職場に腰を据えて働いていました。

当時の多くの出来事について、
私は自分では特別に意識していたわけではありませんでした。

けれども後になってから、少しずつ分かるようになったのです。

戸籍の窓口で働き始めた頃、
私はよく次のような場面に出会いました。

多くの父母が新生児の戸籍登録に来るのですが、
慌ただしさの中でまだ子どもの名前を決めておらず、
戸籍の手続きを急ぐあまり、
臨時に「张毛毛(チャン・マオマオ)」「李毛毛(リー・マオマオ)」のような名前を付けてしまうのです。

それを見ると、私は異議を唱えました。

軽々しく子どもの戸籍を登録するべきではなく、
きちんと名前を考えてからにするべきだと、
父母に慎重に名付けをするよう求めました。
しかし父母は、
「後でゆっくり考えて、時間があるときにまた来て変更します」と言うのです。

このような名前を聞くたび、
私は心の中で少し残念に思いました。

このように気軽につけられた呼び名は、
どこか俗っぽく、生命に対する真剣さも欠けているように思えます。

生まれたばかりの新しい命には、
どうしてもふさわしいとは思えませんでした。

そこで私は自分から申し出て、
子どもに合う名前を考えるお手伝いをすることを提案しました。

姓に合い、なおかつ美しい願いが込められた名前を考えたのです。

そうしているうちに、
何度もそのようなことが続き、
私が新生児の名前を付けているという話が、
いつの間にか広まっていきました。

その後は、子どもが生まれた父母の多くが、
あらかじめ名前を考えなくなり、
出生証明書だけを持って私の窓口に直接来るようになりました。
そして、深い信頼を込めてこう言うのです。

「民警さん、まだ名前を決めていません。
どうか良い名前を付けてください。あなたにお願いすれば安心です。」

この重みのある信頼に、私はとても真剣に向き合いました。
私は占いはできませんし、生年月日から運勢を計算することもできません。

ただ、父母が子どもに抱く最も素朴な願いに従い、
姓の伝承と漢字そのものの意味を大切にして名前を考えました。

私は特別に一冊の辞書を用意し、
戸籍の窓口に置いておきました。
子どもの戸籍登録の際に、名前を考えるためのものです。

私は丁寧に子どもの姓、父母の職業や家庭状況を聞き、
子どもに対する未来の願いを聞いた上で、
慎重に考え、一人一人の小さな命に、
意味があり、なおかつ心にかなう名前を付けました。

それから何年も経ち、
私は進学のために公安部門を離れ、組織部門へ異動しました。
気がつけば年月が経ち、
私も青年から中年の年齢になっていました。

あるとき理髪店へ髪を切りに行くと、
理髪店の若い女性が笑いながらこう言いました。

彼女は小学生の頃、
放課後になると友達と一緒に戸籍窓口へ来て、
私を見に来るのが好きだったそうです。

そして彼女はにこやかに言いました。

「おばさん、私の弟の名前は、
あなたが付けてくれたんですよ。
弟が生まれたとき、両親はまだ名前を決めていませんでした。
外で、きれいな女性警察官が名前を付けてくれるという話を聞いて、
先に戸籍を登録しようと思い、あなたにお願いしたそうです。
母はいつも、あなたが付けた名前はきれいで意味も良いと言っています」

その瞬間、私の心はとても温かく、やわらかくなりました。

私は気づきました。
自分が静かに働いていた日々の中で、
知らないうちに多くの子どもたちの幼い記憶の中で、
やさしい風景のひとつになっていた
のだということを。

そして、たくさんの家庭に、
名前の中に込めた願いを届けていた
のだということを。

当時の私はまだ若く、21歳か22歳でした。
顔立ちは整い、肌は白く、
目元には世間をまだ知らないような澄んだ雰囲気がありました。

ただ当時の私は、
自分がそのように見られていることにまったく気づいていませんでした。

あの時代、人々は控えめで内向的で、
誰かの容姿を面と向かって褒めることはありませんでした。
たとえきれいだと思っていても、せいぜい陰で少し話題にする程度でした。

それが、私が年を重ねて老年に入り、
昔の知り合いと再会したとき、ようやく皆がこう言うようになりました。

「あなたは若い頃、本当にきれいでした。
当時あなたを知っていることが、誇らしいくらいでした。」

私は笑いながらこう答えます。

「そんなに大げさですか?私は全然そんなふうに感じませんでした。」

すると友人はこう言います。

「本当ですよ。あなたに会いたくて、
私を通して紹介してほしいと言う人もたくさんいました。」

故郷に帰るたび、幼なじみの友人たちも、よくその話を持ち出します。

私は冗談めかして言います。

「若い頃はどうして褒めてくれなかったの?
今はもう年を取って、目尻にしわもできて、
髪も白くなって、きれいだなんて言えるものもなくなったのに。
今になって褒めても、遅すぎませんか?」

けれども本当は、自分でも分かっています。
若い頃の私は、まったくおしゃれを知らず、
簡素な服を着て、化粧もしないまま、
ただ慌ただしく成長し、そして年を重ねていったのです。

むしろ年を取ってから、
ようやく自分を整えることを意識するようになりました。

どうせ年を取ったのだから、
せめて少しは身だしなみを整えないと、
本当に見苦しくなってしまうだろうと思うようになったのです。

それもまた、歳月に対するささやかな礼儀のようなものです。

この名前を大切にする思いは、
私自身の小さな家庭にも受け継がれました。

結婚してから私は息子を授かり、
心を込めて 哲瀚 という名前を付けました。

哲学の「哲」、浩瀚の「瀚」です。

私はよく知っています。
名前とは、父母が子どもに抱く一生の願いを背負うものです。

その願いは性別とは関係なく、
長幼とも関係なく、ただ愛と気がかりから生まれるものです。

「哲」は、彼が一生賢く聡明で、
物事の道理を理解し、学識を持ち、浅い見方にとらわれず、
浮ついたものに惑わされず、
冷静な頭で世界を見つめ、
謙虚な心で真理を求める人になってほしいという願いです。

「瀚」は、彼の心が広く、広大な海のようであってほしいという願いです。

風雨を受け止め、百川を受け入れ、
困難を乗り越える勇気と、万物を包み込む度量を持ってほしいという願いです。

哲と瀚が並ぶことで、内面の豊かさと理解、
そして外面の大きさと堂々さを持つ人になってほしいという願いを込めました。

そしてすべての命とすべての名前が、
平等に、そして真剣に扱われるべきだということを理解してほしいと願っています。

この名前には、母としての最も深い願いが込められています。

時は一年一年と過ぎていきました。
かつて産着の中にいた赤ん坊たちは、みな成長しました。

今でも街を歩くと、見覚えのあるような、
けれどどこか知らない人に出会うことがあります。

ある父母は笑顔で近づいてきて言います。

「張民警、うちの子の名前はあなたが付けてくれたんですよ!」

また成長した子どもたちが、親しげにこう声をかけてくることもあります。

「おばさん、私の名前はあなたが付けてくれたんです!」

その言葉を聞くたび、私の心は温かさで満たされます。

私は気づきました。
私の人生はずっと、名前と共にあったのだと。

若い頃に自分と妹たちの名前を変えたのは、少女の頑なさと自尊心でした。
戸籍警としての二年間に
他人の名前を付けたのは、心のやさしさと善意でした。

息子に名前を付けたのは、母としての願いと気がかりでした。
「すべての名前は真剣に扱われるべきもの」
という信念が、歳月を越えてそこにあります。

私の人生は、壮大な伝説でもなければ、驚くような功績もありません。

ただ一冊の辞書と一本の筆を手に、
たくさんの命の始まりの場所で、静かに名前を書いてきただけです。

尊重を名前に書き込み、
やさしさを願いの中に隠し、
気がかりを初心に溶け込ませながら。

私が付けた名前たちは、もはやただの記号ではありません。

そこには少女の頑なさ、警察官としての誠実さ、母としての深い愛が宿っています。

それらは歳月の中に散りばめられ、
時間の中に刻まれ、平凡な日々の中の善意と信念を証明しています。

そして、それこそが、
私の人生のやさしさと愛そのものなのです。

気づけば、名前に意味を与えたのは私ではありませんでした。

むしろこれらの名前が、
私と共に半生の暮らしを歩み、ありふれた日常の中で、
私を「自分がなりたい人間」へと育ててくれたのです。

心にはやさしさを、
行いには慈しみを、
一生誠実に、
出会いに背かない人生を。

そしてこの世に散らばる無数の名前こそが、
私の平凡な人生における、
最も熱く、最も大切で、最もやさしい勲章なのです。

原文サイトはこちら

毎回、ママが書く文章、特に昔の話をするときは とても深い意味を感じることが多いのだけど、
今日のお話しは、ずば抜けて印象的でした…Σ(゚∀゚ノ)ノキャー

ハンハンの名前。 素晴らしい意味が込められてて
しかも、そのママの思いが ハンハンの生きざまにちゃんと現れる=ほんとにスゴイです。

(ちなみに お父さんの話は過去ブログにも、出たことがあるのだけど、
ママが戸籍警だった話や、たくさん名前をつけてきた話は 初登場=ブログで語られたのは初だと思う。
「名前」、ホントに奥が深い話でした<(_ _)>)

チャンジャーハンのブランドEHZZ、新作「魔法学院」今日発売!

先週から告知が出ていた、ハンハンのブランドEHZZの新作。
今回のテーマ「魔法学院」が今日発売された!ということで、ラインナップだけご紹介しますネ♪

※商品の種類と、だいたいのお値段帯がわかる資料用(記録用)です(^-^;

EHZZ2026春の新作「魔法学院」ウイチャットストアの今日のラインナップ

日本時間11時に発売された、新作「魔法学院」。

ウイチャットストアのEHZZのトップ画面は こんな感じでした↑。

で! 実際の販売画面に飛ぶと… 全19種類のラインナップ。

新作:左上から時計回りに和訳してます
※日本円(JPY)と中国元(CNY)は、ともに通貨記号として「¥」が使用されています。
以下の¥ は「中国元」。今日のレートで1元は、22.88円。

① 学院风棒球帽
→ 学院風ベースボールキャップ 
¥399(約9130円)

② 字母盘带绣花T
→ 文字リボン刺繍Tシャツ
¥369

③ 重工牙刷绣长袖T恤
→ 高密度「歯ブラシ刺繍」長袖Tシャツ
¥469

④ 撞色蕾丝翻领上衣
→ 配色レース襟付きトップス
¥469

(表示)每满1000减100 → 1000元ごとに100元割引

① 学院风印花卫衣
→ 学院風プリントスウェット
¥469

② 绣花撞色直筒牛仔裤
→ 刺繍配色ストレートデニム
¥869

③ 休闲复古棕红色西装
→ カジュアル・レトロ ブラウンレッドジャケット
¥939

④ 休闲通勤西裤
→ カジュアル通勤スラックス
¥599

① 拼色弯刀西裤
→ 配色カーブカットスラックス
¥799

② 拼色马甲
→ 配色ベスト
¥799

③ 胶印菱形图案衬衫
→ ラバープリント菱形柄シャツ
¥799

④ 蕾丝下摆长袖T
→ レース裾ロングスリーブTシャツ
¥669

① 肌理格纹休闲裤
→ テクスチャチェック カジュアルパンツ
¥799

② 肌理格纹西装
→ テクスチャチェック ジャケット
¥1199

③ 复古学院风毛衫马甲
→ レトロ学院風 ニットベスト
¥469

④ 肌理格纹短款薄外套
→ テクスチャチェック ショートライトジャケット
¥999

① 复古学院风短款开衫
→ レトロ学院風 ショートカーディガン
¥569

② 高领条纹衬衫
→ ハイネック ストライプシャツ
¥699

③ 动态剪影印花T恤
→ 動的シルエットプリントTシャツ
¥369

以上 今日の新作まとめでしたww

今日のEHZZ新作ラインナップ
最低価格369元 ~ 最高価格1199元
ちなみに参考までに今日のレート(1元=22.88円)だと
約8,442円~1199元 ≈ 約27,433円
これまでのEHZZの価格帯と 基本同じ。

※購入希望の方は、日本では、決済や配送の問題で、ウイチャットストアで直接購入するのは難しいので、
取扱いのある代行会社を使うのが一番便利です。EHZZを定期的に扱うお店もあるので、探してみてください♪

ではでは今日はこのへんで。ここまでご覧くださりありがとうございましたww

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