MENU

今日(5/11)はチャンジャーハンの35歳の誕生日!「生日快楽!事務所&張ママからお祝い投稿が続々登場♪」

今日は、ハンハンの35歳の誕生日!
ハンハン、生日快乐!(お誕生日おめでとう♡)

今日は日付が変わった瞬間に、事務所から「お祝い投稿」が登場💙
加えて、ママから「誕生日を祝う」ブログ更新
&ハンハンからの「母の日」のお祝い投稿もあり。

もろもろまとめて 全文和訳でご紹介します(〃▽〃)ポッ

目次

「誕生日おめでとう!」チャンジャーハン事務所&張ママからお祝い投稿

ではでは さっそく。まずは、今日、現地時間午前0時ジャストに投稿された♪
事務所のインスタ投稿から。

チャンジャーハン事務所公式インスタ5/11投稿「誕生日おめでとう」

投稿内容和訳
Hi〜世界と渡り合う人よ(=チャンジャーハン)
お誕生日おめでとうございます。

@zhangzhehan_super3

春の終わりから夏の初めへ向かう頃。
蝉はまだ自分の物語を語り始めておらず、
汗も豊水期の滝のように
流れ落ちるほどではありません。

風と葉は、最も軽やかな姿で
新しい夏を迎える準備をしています。

けれど、この一年、
あなたの肩は決して軽やかではありませんでした。

待つことが日常になり、その日常さえも揺らぎ、
不安定になっていく中で、
あなたは不確かな川の流れの中から、
自分自身が確信できる
確かな形を切り開こうと決めたのです。

あなたは言いました。

「結局、他人に頼るのは受け身になる。
だったら自分でやったほうがいい」と。

だからこそ、一槌、一斧ごとに、
自分自身の形を刻んでいったのでしょう。

それは、もしかしたら洗練されていなかったかもしれないし、
華やかでもなかったかもしれません。

あるのは、不器用な努力だけだったのかもしれません。

では、それらを突き動かしていたものは
何だったのでしょうか。

悔しさでしょうか。
誇りでしょうか。
痛快さでしょうか。

それは、情熱であり、理想であり、約束だったのです。

あなたはまた言いました。

「自分はほとんど痛覚のない人間だ」と。

痛みを感じにくいからこそ、
そして十分に強い心を持っているからこそ、
自分自身の限界や境界へ挑みたいのでしょう。

烈火の中で花を咲かせ、崖っぷちで踊るように。
極限の笑いには狂気が宿り、
熱烈に生きるのは、自ら望んでそうしているから。

新しい一年、まずはあなたが無事でありますように。
そして次に、願いが叶いますように。

これからも、世界と渡り合いながら、
この世界を遊び歩くその人でいてください。

お誕生日おめでとうございます🎂🎊🎁🎈

投稿元リンク先はこちら

これは 謝マネージャーからの 投稿コメントなのかな??
個人的に 突っ込みたい箇所はあるものの…
(=痛みを感じないわけないでしょ…と思わずにいられず(^-^;)

去年から今年にかけてのできごとが 
走馬灯のように脳裏に浮かぶ文章でした。

(俳優復帰の話。ほんとは、どこかと話が進んでたはずなのに、
それがとん挫して、自分で自主制作することを決意して、今に至る。
そのドラマが今年公開されようとしています😢)

そして この投稿で公開されたのが、先日のファンミの写真でした。

すごい 素敵な写真ばかりで… 目の保養極まりなし♪
バースデーケーキの写真は ほんと過去最高に美しかった♡

※ちなみに、この写真の超高画質版が 早くも公式サイトで公開されています>> リンク先はこちら

そして 今日公開された ママのブログ。
ハンハンの誕生日にあわせて書かれた文章です。超おすすめ。長文なんですがぜひ読んでみてください😢 

張ママがブログ更新!「息子の35歳の誕生日に寄せて」(全文和訳)

心には咲き誇る花々、愛のために駆けつける
――息子の35歳の誕生日に寄せて

親愛なる息子へ

今日はあなたの誕生日ですね。
お誕生日おめでとうございます!

今年の5月には、
たくさんの良いことがありました。

5月3日、あなたは
「鏡」ファンミーティングを無事に終えました。

昨日、5月10日は母の日でした。
そして今日、5月11日は、まさにあなたの35歳の誕生日です。

この数日は、
ひとつは“家族”の皆さんと楽しく集う日であり、
ひとつは、私が母親であることを
あらためて感じる記念の日であり、
そしてもうひとつは、
私が母となり、
あなたが私の息子になった日です。

1週間前、
私たちは“家族”の皆さんと再会しました。

昨日、私は自分が母親になれたことに
感謝しました。

今日、私はあなたが
この世に生まれてきてくれたことを祝っています。

――私は、これらすべてが
運命の優しい采配なのだと信じています。

息子よ、運命の無数の糸は、
い歳月の中で絶え間なく寄り添い支え合うことで、
すでに互いを守り合う約束として
結ばれていました。

年月がまたひと巡りするたびに、
そこには静かな水の流れのように
深く穏やかな温もりが与えられる一方で、
時の刻印による
新鮮で特別な模様もまた刻まれていきます。

それは、あなたがいて、
私たちがいて、
共に前へ進んできたからこそ
書き綴られた物語なのです。

そして、その物語はこの5月に花となって咲きました。
咲き誇る花もあれば、まだ蕾の花もある、
その色とりどりの美しい花々が、
私の心の中で、
一幕一幕の感動的な情景として咲き広がっています。

花は山海の彼方で咲き乱れ
5月のこの世に、風が南洋を渡っていきます。

クアラルンプールの夜風は、
ぬくもりを帯びた暖かな気配をまといながら、
街の通りを流れ、
高層ビルと古いショップハウスが交錯する輪郭をなで、
山や海を越えてきた、
ひとつの優しい出会いへと吹き抜けていきました。

私もまた、その風の中を、
多くの友人たちとともに歩いていました。

海を越え、遠い道のりを渡り、
あなたとの約束の場へ向かうために。

それは5月3日、
「鏡」ファンミーティングの会場でした。

夜の帳が静かに下りる頃、
満席となった会場の中では、
あらゆる空間が、首を長くして
待ち望んでいた人々で埋め尽くされていました。

皆、それぞれ世界のさまざまな場所から集まり、
言葉も、肌の色も、年齢も、
歩んできた人生も異なっていました。

けれど、まるで示し合わせたかのように、
同じ場所へと集い、同じ一点へ視線を注いでいました。

――それは、これから灯されるスポットライトの下。

私たちは待っていました。
この優しい再会の幕開けが、静かに始まる瞬間を。

「鏡」の中に映るあなたは、
どんな姿をしているのでしょうか。

始まる前、私は興味深く周囲を見渡しました。
そこには、姿形はそれぞれ違っていても、
どこか似た表情をした人たちの顔がありました――

20代、30代の若い女性たちは、
胸いっぱいの、
真っ直ぐで熱い想いを抱えてやって来ていました。

澄んだ瞳には、
昇ったばかりの炎のような輝きが宿り、
尽きることのない情熱があふれていました。

人生の歳月を重ねてきた中年の人々は、
ひととき生活の疲れを下ろし、
穏やかに緩んだ表情の中にも、
この久しぶりの約束の場への期待を隠しきれずにいました。

白髪の年配の方々は、
顔に刻まれた深い皺さえも、
純粋な喜びによって
青春の光を取り戻していました。

歩みはゆっくりでも、
その眼差しは少年のように輝き、
山海を越えてここへ来た
力強い想いを秘めていました。

年齢も違い、住む場所も違い、
それぞれ異なる人生を歩んできた人たち。

それでも、同じ“特別な想い”によって、
一つの場所へと集まっていたのです。

毎年のように、
会いに向かいながら、
その想いは、
初めて抱いた時のまま変わらない。

私はこの「鏡」の中に、
私自身の姿も見ていました。

年齢を忘れ、旅の疲れも忘れ、
皆とともに寄り添い、
その時間を味わいながら、
あなたに会える瞬間を待っていました。

ただ、その一瞬のために。
舞台の光があなたを照らし、
同時に、私たち皆の心の奥底をも
照らしてくれる、その瞬間のために。

息子よ、あなたは、
このステージでもなお、
私に深い感動を与えてくれました。

私はずっと知っています。

あなたは、
舞台のために生まれてきた人なのだ
と。

あなたは舞台を愛し、
舞台を心から楽しんでいます。

確かな歌唱力、
安定感のあるステージ運び、
唯一無二の存在感。

さらに、自然体で場を導く力、
誠実で深みのある言葉や交流――。

あなたは、一つまた一つと
公演を重ねるたびに成長し、
ますます素晴らしくなっていきました。

自分自身の個性や、
美に対する理解を、
惜しみなく皆に差し出しながら、
ファンへ宛てた手紙まで丁寧に準備していました。

舞台の上のあなたは、
まるで磁石のようでした。
その一挙手一投足が、
皆の心を引き寄せていました。

あなたは真心と感情、
そして芸術としての表現力をもって、
人を酔わせるほど
美しい世界を築き上げていました。

まるでプリズムのように、
光と影の中で、
あなたの魂に秘められた無限の可能性を映し出しながら。

人々はそこから、
美しさと力を感じ取り、
魂と魂が互いに向かい合うことの
意味を感じ取っていました。

そのすべてに心を揺さぶられ、
驚き、深く胸を打たれながら、

互いに同じ波長で響き合い、
双方向に支え合うように存在していたのです。

「私は夜であり昼でもある――
片側には、雪を舞わせる青衣の姿。

もう片側には、墨のような深い闇。
鏡を隔てて向かい合い、
花は一生をかけて互いを見つめ合ってきた。

闇夜が私なら、
白昼もまた私であるはず。
もし、悲しみの極みや
闇の極みの中で選び取る決断がなければ、
どうしてあれほど
澄み切った色に辿り着けるだろう。

もし私が、自ら剣を取り、
心の魔と戦う自分を見つめたことがなければ、
詩はどうやって生まれるのだろう。

籠の中を見てきた人は、風に従うことを知っている。
姓は何か、名は何か――そんなことは問わず、
ただ花が咲いているかを問う。

遥かに星河を見上げ、
身をかがめて人の営みの灯を見つめる。
そのすべてが、私なのだ……」

これは、あなたが歌った『皆我』。
あなたの新しいドラマの主題歌です。

私は以前にも
この曲を聴いたことがありました。

けれど、会場であなた自身の初歌唱を聴いたその瞬間、
込み上げてきた感情は、
激しく私の心を揺さぶりました。

それは、衝撃であり、
感動であり、誇らしさであり、
そして胸に迫る、
さまざまな想いが入り混じった感情でした。

まるで荒波が岸を打つように、
轟くほど、強く胸に響いてきたのです。

この新しいドラマのために、
あなたは長い時間をかけて準備をしてきました。

そしてこれは、あなたが初めて、
プロデューサー、脚本家、監督、主演――
そうした複数の立場を担いながら
創り上げた作品でもあります。

数え切れない昼と夜の心血を注ぎ込み、
時には怪我や身体の不調にも耐えながら、
ただ皆に、
最高の作品を届けるために努力してきました。

芸術を追い求め続ける、
それらすべての姿も、あなた。

拍手と苦難、
その両方を経験してきたのも、あなた。

この世を歩き、棘をかき分けながら、
それでも自分が正しいと信じる道を貫いて
進んできたのも、あなた。

そして、舞台の上で自在に輝き、
さまざまな姿へと変化していくのも、またあなたです。

あらゆるところに「皆我」がある。

息子よ、
これはどれほど重い責任でしょうか。

そして同時に、
どれほど大きな試練でもあったことでしょう。

あなたは以前、私に話してくれました。

この曲をレコーディングしていた時、
一度言葉に詰まり、
涙で声を詰まらせたことがあった
と。

歌詞に描かれている
“芝居のような人生”――

それは、まさにあなた自身の姿でも
あるのではないでしょうか。

新しいドラマのいくつかのシーンが
スクリーンに映し出されると、
ファンの皆さんは息を呑んで見つめ、
その直後、会場には大きな拍手と歓声が湧き起こりました。

――きっと、皆の気持ちは同じだったと私は思います。

期待しているのです。
新しいドラマが正式に公開されるその日を。

劇中の人物たちと共に成長し、
変化していく時間を。

そして何より、あなたの努力が
どのように花開くのかを見届けることを。

なぜなら皆、知っているからです。

あなたが演じる一人ひとりの人物は、
あなたの人生の一部であり、
同時に、それを見つめる人たちの人生の一部にも
なっていくかもしれないということを。

勇気について。
救いについて。
廃墟の上でもなお花を咲かせる物語について。

そうした物語はいつも、
人の心のいちばん柔らかな場所を、真っ直ぐに打つのです。

花々は、まさにここで咲き誇っていました。

あなたがソファに腰掛け、
自分で書いたファンへの手紙を読み始めた時、
会場全体も静かになっていきました。

あなたは言いました。
ファンは家族であり、
仲間であり、船員であり、
戦友なのだと。

そして、自分は一筋の光のように
皆を照らし、前向きで、楽しく、
勇敢なエネルギーを届けたいのだと。

人生とは、一つの修行のようなもの。
だからこそ皆にも、
楽観的に、善良に、
温かく歩んでいってほしい――と。

あの瞬間、私は感じていました。

客席にいた仲間たち、
船員たち、家族たち、戦友たち、
その誰もが、あなたと同じ波長で
深く響き合っていたことを。

それは悲しみのためではありません。

あなたの言葉が、まるで種のように、
人の心の最も柔らかな土へ
静かに落ちていったからです。

あなたが言った
「人生とは修行である」という言葉――

それは何の飾りも必要としません。

なぜなら、その言葉自体が、
最も素朴で真実な言葉だからです。

修行とは、完璧な人になることではない。

何度倒れても、なお立ち上がること。
何度誤解されても、なお善意を選ぶこと。

どれほど闇が訪れても、
なお自分自身を灯そうとすること。

そして、あなたはまさに、
そのように生きてきました。

自分自身を、一筋の光として生きてきたのです。

――息子よ、私は知っています。

それは、あなたが生まれつき
眩しい人だったからではありません。

あなたが、自ら燃えることを選んだから。
命を極限まで燃やし尽くし、
自分自身の光となり、
同時に誰かを照らす光にもなったからです。

この出会いは、
一つのエネルギーの受け渡しでもありました。

それは決して、一方通行の想いではありません。
互いに“美しいもの”を求めて向かい合う、
双方向の歩みなのです。

コンサートも、ファンミーティングも、
一回ごとに新たな突破であり、成長でした。

チームは舞台の細部に至るまで
真剣に磨き続けています。

ステージ演出から衣装表現まで。
歌唱力の鍛錬から感情表現に至るまで。

ファンの想いと愛情を、
決して裏切らないために。

息子よ、あなたは、
共に歩み成長してくれた
すべての人へ感謝しながら、こう言いました。

「皆さんは、私の光です。
そして、私が歩み続ける力でもあります」と。

あなたは、自ら光となって他人を照らしました。
そして、愛する仲間たち、船員たち、
家族たち、戦友たちは、
長い年月をかけて寄り添い続けることで、
その光を決して消さなかったのです。

絶えることなく、生き続けるように。

互いを照らし合うこと――
それこそが、
この“修行”の中で最も美しい響きなのだと思います。

クアラルンプールのこの夜は、
決して巨大な会場ではありませんでした。

それでも、どんな大舞台にも引けを取らない、
極上の体験に満ちていました。

目を惹くスタイリング。
圧倒的なビジュアル。

確かな歌唱力。
自在に、緩急を操るステージコントロール。

そして、深みを感じさせる立ち居振る舞い。
自然で温かく、余裕あるファンとの交流。

息子よ、あなたは実力と優しさで、
この夜を一篇の流れる詩へと変えました。

それは光となり、熱となって、
一人ひとりの心へと差し込み、

互いの胸の中に蒔かれた種を
花へと咲かせていったのです。

その花々は、山海の彼方まで、
鮮やかに輝いていました。

花は歳月と人の営みの中で咲く

息子よ、35年前、
あなたはこの世界に生まれてきました。

あなたがいてくれたからこそ、私は母親になりました。

そしてその時から、
私はあなたに結びついた、
もう一つの名前を持つことになったのです。

――「お母さん」という名前を。

それまで私は、
この呼び名にこれほど、
大きな力があるとは知りませんでした。

あなたの声を聞くたび、
あなたの姿を見るたびに、
どれほどの苦しみや疲れ、
悲しみも、すべて吹き払われていきました。

人生の挫折も、
もう越えられない山ではなくなりました。

人生におけるすべての
“向かっていく理由”に、
新しい意味が生まれたのです。

あなたの小さな姿は、
いつも私の心の最も柔らかな弦を震わせていました。

それ以来、喜びも悲しみも、
すべてあなたと結びついていったのです。

よちよち歩きだった頃から、
意気揚々と胸を張る青年へ。

たどたどしく言葉を覚えていた子どもから、
落ち着きと責任感を備えた大人へ。

かつては、私が手を引いて
横断歩道を渡っていた小さな男の子が、
今では責任を背負う一人の男性になりました。

今のあなたは、私の手を取って、
幾重もの山や川を越えてくれる存在でもあり、
また、自分自身の空をしっかり支えながら、
一人で立つことのできる人にもなりました。

あなたが幼い頃、
無邪気に語っていた、
たくさんの願いも覚えています。

いつか私を世界旅行へ連れて行くんだ、
と話してくれた夢も覚えています。
小さい頃、あなたが私を頼っていたことも。

そして、母と息子として何度も
“言い合い”をしたことも。

歳月は静かに流れ、
あなたの中に成熟した姿を刻んでいきました。

けれど、あなたの瞳の奥にある優しさと熱さ。
骨の髄にある正義感と誠実さだけは、
今も少しも変わっていません。

これまでの長い年月、
あなたと私は、一緒に過ごす時間より
離れている時間のほうが多くありました。

普段のやり取りの多くは、
携帯電話を通してでした。

身の回りで起きたことを話したり、
最近お互いに読んだ本について語ったり。

昨日、あなたは家に帰ってきて、
私と一緒に母の日を過ごしてくれました。

そして今日、
私たちはあなたの35歳の誕生日も
一緒に迎えています。

あなたも私も、
もともと特別に“記念日好き”な人間ではありません。

けれど、こうして一緒に座って
言葉を交わせるだけで、
心には自然と喜びが増えていくのです。

息子よ、
小さい頃は、私があなたの成長を見守っていました。

けれど、あなたが成長してからは、
今度は私が、遠くへ歩いていくあなたを
見送るようになりました。

私は、子どもたちを常に
自分のそばに置いておきたいと願う母親ではありません。

ましてや、支配的で独断的な母親でもありません。
ただあなたに、幸せでいてほしい。
健康でいてほしい。

そして、自分自身が望む姿として
生きていってほしい――それだけを願っています。
母親になるのに、試験などありません。

それでも私は自然と知るようになりました。

この世には、
決して山海を越えて会いに行く必要のない愛があるのだと。

なぜなら、その愛は一度も離れたことがないからです。

それは、毎日の温かな食事の中に隠れていて、
何気ない声かけの中に隠れていて、
夜更けまで灯り続ける一つの明かりの中に隠れています。

そして今、
その愛には、返ってくる響きも生まれました。

あなたは私に、
身体を大切にするよう言ってくれるようになりました。

運動をきちんとするよう
見守ってくれるようになりました。

祝日には、私を驚かせるような
心遣いをしてくれるようにもなりました。

あなたは、自分なりの“大人になったやり方”で、
ゆっくり歳を重ねていく私を守ってくれているのです。

今のあなたも、
時折まだ小さい頃のような顔を見せます。

私をからかう時には、
片腕で私を抱き寄せ、
もう片方の手で私のくせ毛をぐしゃぐしゃにしたり。

私が運動している時には、
ゴルフクラブで私の膝を軽く叩きながら、
動きを直してくれたり。

私を怒らせたあとには、
ふざけた笑顔をして、
怒るべきか笑うべきか分からなくさせて、
結局は怒っていたことさえ忘れさせてしまったり。

私が可乐(コーラ)に向かって
親しげに「崽崽(うちの子)」と呼ぶと、
あなたはすぐ寝室から顔を出して、

「誰のことを“崽崽”って呼んでるの?」

と、すかさず言い返してきたりもします。

母親である私は、
本当はよく分かっています。

あなたはもう、
一人の独立した成熟した人間へと
成長したのだということを。

あなたは自分自身の光として生き、
自分自身の人生の軌跡を持っています。

私たちはこれまで、
一緒にたくさんの時間を歩んできました。

楽しい時も、悲しい時も、
胸が高鳴る時も、苦しみに耐える時も。

母と子の心はつながっている
――それは一生変わりません。

そして私は、
ますます強く感じています。

あなたはもう、
私の残りの人生を支えてくれる存在にもなったのだと。

お互い、それぞれの素晴らしい人生を生きながら。

今年の母の日は、
あなたの誕生日とぴったり隣り合っていました。

それはまるで、運命からの優しい贈り物のようです。

歳月は花のように、
ひとつひとつ順番に咲いていき、
人の営みの中の、静かでありながら
胸を打つ瞬間に花開いていくのです。

まずは歳月に感謝を。
そして次に、この出会いを祝福しましょう。

息子よ、母親になれたことは、
私の人生における何よりの幸せです。

花は、心と心が響き合う場所に咲く

命は花のようなものです。
そして、人と人との出会いもまた、
心と心が通い合う
花の季節へ向かう旅のようなものです。

息子よ、これまでの一回一回の公演の中で、
私はあなたを愛するたくさんの人たちと出会ってきました。

そして、その中で
数え切れないほどの愛と温もりの鼓動を
感じてきました。

あなたと話している時、
私は気づいたのです。

私たちの感じていることは、
驚くほどよく似ているのだと。

皆が遠くまであなたに会いに向かうのは、
ただ“会いたい”からだけではありません。

それは、一つの文化への共感であり、
感情と感情が響き合う体験でもあるのです。

あなたが舞台の上で歌う一つひとつの歌詞は、
まるで皆の胸の奥に、
長く秘められていた言葉を、
代わりに語ってくれているようでした。

あなたが、谷底の中で歯を食いしばり、
再び立ち上がった一瞬一瞬は、
皆が前へ進むための灯台にもなっていました。

そして、あなたの中から放たれる、
芸術に対するたゆまぬ追求の姿勢――

それは、一つの精神的な力にもなっています。

諦めないこと。
愛し続けること。
運命に屈しない勇気。

そうしたものが、
同じ道を歩く人々にも伝わり、
皆もまた歩みを止めず、
まっすぐ前へ進んでいくのです。

そして、灯りが消え、
公演の幕が下りた後――

そこからまた、別の温かな時間が静かに広がっていきます。

ネット上で、
あなたをきっかけに知り合った人たち。

その人たちが、
各地から集まり、
同じ印の入った服を身につけ、
まるで長い年月を経て再会した家族の集まりに
参加するかのように集っていました。

彼女たちは、地域を越え、
時差を越え、肌の色や言葉の違いを越えて出会い、

温かく抱き合い、笑い合いながら共に歩き、
互いの喜びを分かち合い、
旅先で見たものを語り合っていました。

クアラルンプールの名所を巡り、
街角のナシレマを味わい、
ペトロナスツインタワーの下で記念写真を撮る――。

そうした温度のある寄り添いと、
現実の中で交わされる触れ合いは、

携帯電話や画面越しでは、
決して遮ることも、
代わりになることもできない、
“生きた感触”そのものなのです。

この“会いに行く旅”は、
人生の中の一つの特別な点となり、
そこから無数の温かな可能性が
生まれていきました。

そしてきっと、多くの人にとって、
一生忘れられない記憶にもなるのでしょう。

あなたは以前、こう言っていました。

「誰かを応援したことで知り合い、
友達になれることも、一つの大切な収穫だ」
と。

あなたは、まるで一本の橋のようです。

“推しを応援すること”を、
孤独な熱狂で終わらせるのではなく、
皆が集い合う、大きな団らんへと変えてくれました。

私は人混みの中に立ち、
そうした数々の物語を聞きながら、
心のどこかを、
そっと触れられたような気がしていました。

オーストリアから来たある女性がいました。

彼女はとても乗り物酔いしやすく、
車に乗るたびに激しく吐いてしまうため、
出かける時は毎回酔い止めを飲まなければなりません。

それでも彼女は、
はるばる遠い道のりを越え、
数々の困難を乗り越えてクアラルンプールへやって来ました。

どうしてそこまで強く惹かれるのか、
と尋ねられた時、彼女はこう言ったそうです。

「私は彼の顔だけを見に来たわけじゃない。
彼はとても美しいけれど、その才能に比べたら、
容姿なんて取るに足りないくらいです」と。

彼女は、才能のために来たのです。

そして、その精神に惹かれて来たのです。

また、80代を超えた香港からのご年配の女性もいました。

髪は真っ白でしたが、
とても生き生きとしていました。

彼女はずっとあなたの公演を追い続けていて、
コンサートのたびに、
年齢を理由に諦めることなく足を運んでいました。

周囲に「疲れませんか?」と聞かれると、
彼女は笑いながらこう答えたそうです。

「彼が舞台の上で輝いている姿を見ると、
自分まで若返った気持ちになるの。
彼が私に力をくれるのよ!」と。

また、幼い頃の病気によって
左目の視力を失った方もいました。

視界に制限があっても、
その人は一度も“会いに行く歩み”を止めませんでした。

彼女は、あなたが頂点に立っていた時に
惹かれたのではありません。

あなたが深い谷底の中で、
自分自身を救おうともがいていた時に、
迷うことなくあなたについていき、世界中を巡ってきたのです。

彼女はこう言いました。

「誰かを応援するということは、
その人をお手本にして、
自分自身もより良い人になりたいと思うことなんです」と。

また、あるシングルマザーは、
自分の子どもを連れて公演を見に来ていました。

それは彼女にとって、
“親戚に会いに行くような旅”でもあったそうです。

彼女は、あなたとの2ショット写真の機会を、
自分ではなく子どもに譲りました。

そしてこう言ったのです。

「この子には、あなたのように強く、
勇敢に育ってほしいんです。
あなたみたいな“おじさん”が手本になってくれるなら、
この“小さな木”もきっと曲がらずに育つと思うから」と。

さらに彼女は、あなたに向かってこう伝えました。

「小哲、これから先はきっと良い日々ばかりよ!
お姉さんはずっとここにいるからね!
これからもずっと、あなたを支え続けるから!」と。

また別の方は、会場へ急いで向かう途中、
うっかり膝を怪我してしまいました。

皆が病院へ行くよう勧めましたが、
彼女は今回あなたに会う機会を逃したくないと言って、
どうしてもファンミーティングに参加しようとしたのです。

そこで周囲の人たちが支え合いながら、
彼女を会場まで連れて来ました。

彼女はあなたに、

「新しいドラマの公開を見届けられなかったら、
それが心残りになります」

と伝えました。

するとあなたは、
静かでありながら力強い声で、こう約束したそうです。

「大丈夫です。きっと見られます」と。

互いに支え合うその姿。
そして、その真摯な約束。

それはまるで、本当の家族のような情ではないでしょうか。

あなたはさらに、こんな話も聞かせてくれました。

ある年配のご夫婦が、
あなたに会いに来ていたそうです。

奥様は足が不自由で、車椅子に乗っていました。
旦那様は、その車椅子を押して
会場まで連れて来ていたのです。

あなたとの記念撮影の時、
その旦那様はとても気遣いながら、
奥様の足置きを下ろし、
慎重に身体を支えて立ち上がらせていました。

その眼差しには、惜しみない愛情があふれていた――と。

あなたは言いました。
「その光景を見て、本当に胸を打たれた」と。

皆さんとお会いしている時、
皆さんはとても親しみを込めて私を呼んでくださいます。

多くの方は、「霞姐(霞お姉さん)」
「瀚妈(瀚ママ)」
「张妈妈(張ママ)」と呼んでくれます。

けれど今回は、「R先生」
(詳しくは記事『R老师』をご覧ください)や
「ママ」と呼んでくれる方も少なくありませんでした。

80代を超えるご年配の方まで、
私を「ママ」と呼んでくださったのです。

はは、とても不思議ですね。

そんな親しさに、
私は血のつながりを超えた感動を覚えました。

こうして会いに向かうことは、
現代における“家族の情”の広がりでも
あるのではないでしょうか。

それは血縁には縛られていません。

けれど、血縁以上に、
互いの波長を理解し合っている。

毎日そばにいるわけではなくても、
精神の深いところで互いを認め合い、
照らし合っているのです。

まるで、長い年月の中でずっと支え合ってきたように。

山や海に隔てられても、
心が離れることはなく、
むしろ同じ風雨を乗り越える中で、
より純粋な信頼と温もりへと磨かれていったのです。

それは、騒がしさや華やかさとは関係ありません。
世俗的な損得とも関係ありません。

ただ、心の奥底にある最も純粋な憧れ。
ありふれた日常の中で、
何より大切に抱き続ける想いなのです。

人の営みは、
平凡で細やかなことの積み重ねです。

けれど、こうした澄んだ愛情があるからこそ、
平凡な日々にも光が宿り、
普通の魂にも、
互いの心を寄せ合う場所が生まれるのだと思います。

この、同じ波長で結ばれた絆。
その名前は――「家族」です。

花は、
光へと変わりながら生まれる時に咲く

息子よ、ここまで歩んでくる中で、
あなたはよく知っています。

人生は決して平坦な道ではないということを。

光があれば、闇もある。
平らな道があれば、当然、険しい道もある。

花と拍手に囲まれるその裏で、
4年以上前に、
あなたが経験した苦難は、
まるで世界中が
あなたに扉を閉ざしたかのようでした。

押し寄せる悪意。
根も葉もない誹謗中傷。

それらはまるで潮水のように、
終わることなく押し寄せてきました。

あの頃、私はあなたの背中を見つめながら、
胸が引き裂かれるような思いでいました。

けれど、我が子よ。

あなたは私を苦しませもしたけれど、
同時に誇らしくもしてくれました。

胸を痛めさせながらも、
安心を与え、そして心から尊敬させてくれました。

あなたは決して不平を口にせず、
決して挫けませんでした。

自分を運命の苦しみに委ねてしまうのではなく、
歯を食いしばり、悔しさと涙を、
“坚持(貫き通すこと)”
“坚信(信じ抜くこと)”
“坚强(強くあること)”
の力へと変えていったのです。

そして、前向きな意志を
土に深く根づかせ、自分自身の枝葉を育てていきました。

闇の中で、
あなたは自分自身を“光”として生きました。

本を読み、運動し、文章を書き、
自分を磨き続けました。

傷を背負いながらも、再び変化し、
成長していったのです。

あなたは悪意に打ちのめされませんでした。

書斎では
夜遅くまで灯りをともして本を読み、
音楽室では何度も何度も練習を重ね、
舞台では繰り返し自分を磨き、
運動場では毎回全力を尽くしていました。

あなたは自分の“尖った部分”を、
多面的な能力へと磨き上げていきました。

そして、人生という「鏡」を通して、
本当の自分自身を見つめたのです。

屈することなく。
廃墟の中で、唯一無二の花を咲かせながら。

あなたを追い、
あなたを愛する人たちは、こう言っています。

「彼を追い続けるのは、
人生に迷った時、
彼の中から一つの精神的な力を見つけたいから。
“最良の自分”とは
どういうものなのかを知りたいからです」と。

健康的で、自律していて、
前向きで、努力を惜しまないこと。
絶えず自分を高め続けること。

それこそが、人生の数々の試練に向き合う中で、
あなたが自らの人生をもって
書き記してきた答えなのです。

今の時代、外からのさまざまな影響が入り込み、
若者たちに“寝そべり(躺平=努力を放棄し無気力に生きること)”を
煽るような複雑な環境の中で、
あなたは、あえて困難な道を選びました。

環境の厳しさに不満を言わない。
一時の挫折に心を折らない。

そして、“寝そべり(躺平)”という生き方を決して選ばない。

あなたは、自分の選択を貫きました。

誰にも見えない精神的な重荷を静かに背負いながら、
最も苦しい時に、一人で立ち上がったのです。

一歩一歩。

歩みは困難でも、確かに地に足をつけながら。

不平を言わない。
挫けない。

“寝そべり(躺平)”しない。

――それこそが、
中国の若者が持つべき姿なのだと、私は思います。

私はいつもあなたに言ってきました。

「あなたはただ、自分を磨き続けなさい。
いつか必ず、世界のほうが
あなたのために道を開く日が来るから」
と。

今、その言葉は少しずつ現実になりつつあります。

人生で最も心を打つ哲学とは、
運命の不公平を嘆くことではありません。

最も深い谷底にいても、
それでもなお上へ登ることを選ぶ――そのことなのです。

本当の強さとは、一度も倒れないことではない。

倒れるたびに、
前よりもっと高く、もっとしっかり立ち上がれることなのです。

たくましい生命力は、
決して温室の中では育ちません。

それは棘の隙間を押し広げながら、
自ら道を切り開き、思う存分に咲き誇るのです。

花は、尽きぬ想いの中で咲く

我が子よ。
今日のあなたは、まるで昨日の私を見るようです。

こんなにも若く、生命力にあふれていて。

今日のあなたは、
ただ“あなた自身”として立っています。

これほどまでに強く、
恐れることなく、自分自身の光として。

我が子よ。
お母さんは、あなたにこう伝えたいのです――

歳月はやがて容姿を変えていきます。

目元には細かな皺が生まれ、
髪には白い霜が降りていく。

それは誰にも抗うことのできない、
自然の摂理です。

けれど、人の知識や内面、
心の美しさは、熟成された古酒のように、
時を重ねるほど深みを増し、
より芳醇になっていきます。

だから私は願っています。

たくさん本を読みなさい。
よく学びなさい。
積み重ね、蓄え、深めていきなさい。

深みのある人になってほしい――
世の苦しみを見つめることができ、
同時に星々と大海原を見渡せるような。

厚みのある人になってほしい――
拍手にも耐え、風雨にも耐えられるような。

高みのある人になってほしい――
高く立ち、遠くを見つめ、
流れに流されず、
人の言葉をそのまま鵜呑みにしないような。

運命があなたをどこへ放り出したとしても、
あなたはきっと、そこで根を張り、芽を出していける。

なぜなら、あなたはすでに証明しているからです。

最も暗い土の中でも、
なお最も眩しい花を咲かせられるということを。

本当の成長とは、
年齢を重ねることではありません。

魂に厚みが増していくことなのです。

人生で最も尊い財産とは、
名声でも地位でもありません。

嵐を越えたあとも、
なお輝きを失わない眼差し。

数々の苦労を経てもなお温かさを失わない初心。

それこそが、本当に大切なものなのです。

我が子よ。
あなたは今日、35歳になりました。

お母さんがあなたに一番伝えたいことは、
昔からずっと変わりません。

成功して名を成すことでも、
華やかに故郷へ帰ることでもありません。

ただ――

どうか、正しい人でいてほしい。

人としての一線を守り、
外の騒がしさによって、
自分の進む方向を見失わないでほしい。

どうか、善良な人でいてほしい。

心に光を持ち、目に愛を宿し、
手に温もりを持つ人でいてほしい。

善良さとは弱さではありません。

闇を見たあとでも、
なお光を信じることなのです。

どうか、
目標と進む方向を持つ人でいてほしい。

自分がどこへ向かうのか分かっていれば、
道端の棘に足を取られることはありません。

歩みが遅くてもいい。
ただ、しっかりと、
揺るがず前へ進んでいきなさい。

あなたの心の中に、
いつまでも花々がありますように。

あなたの足元に、
いつまでも歩む道がありますように。

人が生きる中で、
最も美しい“奔赴(※)”は、たった2つ
なのだと思います。

※奔赴:想いを抱えて前に向かうという意味。

1つは――
心から愛するもののために、山や海を越えて向かうこと。

もう1つは――
そばにいる愛する人のために、
静かな歳月を積み重ねていくこと。

ファンミーティングで、ある“お姉さん”が言っていました。

「私は、“もうすべての苦難を越えた”とは思っていません。
でも私たちは、最も険しく、最も高く、
空を覆うほど大きかったあの山を、すでに越えてきたのです」と。

共に山海を越える道は、
決して平坦な一本道ではありません。

けれど、花には必ず咲く時があるのです。

5月はまだ終わっていません。
花々は、今も心の中に咲いています。

どうか、すべての“家族”たちと、
この世のすべてのお母さんたちが、歳月に優しく包まれますように。

そして、我が息子よ。

35歳のあなたが、風のように自由で、輝かしい未来を歩めますように。

あなたと私が、どこへ行こうとも、
心の中には、いつでも向かっていきたい光があり、
足元には、歩いていきたい道がありますように。

愛のために歩み、
東西を問わず進んでいこう。

私の愛する子どもへ。
お誕生日おめでとう。

言葉では尽くしきれないけれど、
ただ願っています。

これからの毎年が
穏やかで健やかでありますように。

そして、来る日々すべてが安らかでありますように。

                           母より

                       2026年5月11日

原文サイトはこちら

たくさんの想いが込められた ママのブログ。
ハンハンが、あの事件から歩んできた約5年間、
そして、先日のファンミで感じたこと。
いろいろなことが 全部 このブログに集約されていましたTT

ママとハンハンを見てると 本当にいつも感心せずにいられません。
ハンハンの今年の歩みが、素晴らしいものになりますように。

チャンジャーハン公式インスタ更新!「母の日のお祝い投稿」

最後は、昨晩のハンハンのインスタ投稿を。

チャンジャーハン公式インスタ5/10投稿「母の日おめでとう」

投稿コメント 母亲节快乐🎉(母の日おめでとうございます)

投稿元リンク先はこちら

まさに昨日 北京から深圳に帰ってきたハンハン。
母の日にお祝いにかけつける 孝行息子!

ママのステキな笑顔♪ 親子水入らずの母の日♬ ほんと素敵♪

最後に、海哲の皆さんからの「ファンミのバースデーケーキ」の追加写真で〆ますネww

ハンハン お誕生日おめでとう~(〃▽〃)ポッ

ブログランキングに参加しています!

いつも応援ありがとうございます! 下のバナーを押してくださるとランキングに反映されます。ぽちりと1回よろしくお願いいたします。(〃▽〃)ww

にほんブログ村 テレビブログ 華流・アジアドラマ(韓国以外)へ
にほんブログ村
目次