今日は予定通り!ハンハンのインスタ生ライブがありましたネ♪
まだ 内容を把握できてないので ママのブログの後で少しだけ(^-^;
今日は、昨晩更新されたハンハンママのブログに、また「息子の話」が登場したので♪
このブログの全文和訳を ご紹介します。(〃▽〃)ポッ
チャンジャーハンのママがブログ更新! ママの回想と息子の話
ちょうど1週間ほど前に、ハンハンの名前の由来について書いてくれたばかりのママ。
今回は、ママの若いころの話と、ママがハンハンに会得させた読書習慣が、
813事件での誹謗中傷の荒波に耐えるチカラの源泉になった!という 奥の深い話が語られています。
前半はママの若いころの話(初公開の話ばかりです)が展開されたあとに、
一番最後にハンハンの話が出てくるのですが、
御時間があるときに ぜひ読んでみてください😅
※ママの文章の才能が、若いころからすごかったことがよくわかる内容です。
チャンジャーハンのママブログ3/13投稿「組織部に新しく来た若者」全文和訳

組織部に新しく来た若者 2026年3月13日
组织部(組織部)
→ 中国の文脈では通常 党委員会の人事部門(幹部人事を管理する部門)を指します。
日本語では直訳して「組織部」にしましたが、
意味としては市委員会の人事・幹部管理部門 です
最近、若い頃に集めていた古い品々を整理しました。
職業人生の中で、
文章として書き残してきた原稿の多くは、
何度かの引っ越しによる転居の慌ただしさや、
歳月の流れの中で、すでに半分ほどがほとんど失われてしまいました。
ただし、かつて新聞や雑誌に掲載された文章だけは、
時の流れの中でも残ることができました。
指先で黄ばんで脆くなった紙のページをそっとなぞると、
そのかすれた文字の中には、
血が沸き立つようだった私の青春が、
そして全力を尽くしてきたこれまでの日々が、
静かにしまい込まれていることに気づきます。
これを見るたび、
胸の奥から「温かな感動」がこみ上げてくるのを抑えることができません。
あの頃の私は、まだ未熟で青かったものの、
決して時間を無駄にすることはありませんでした。
どの職務に就いていた時でも、
私は最も地道で誠実な姿勢で仕事に打ち込み、
着実な仕事の成果によって、上司から認められ、信頼を得てきました。
――そして、そのすべては、
1986年という、私の人生の軌道を変えた、あの節目から始まります。
市委員会の組織部に足を踏み入れ、
一人の新人となったその瞬間から、静かにその道が広がっていったのです。
1986年、私は公安システムから組織部門へと異動しました。
それ以前の私にとって、警察の制服と胸に輝く国章は、
青春を最も象徴する印でした。
私はもともと少しばかり「文学青年」の気質を持っており、
警察で過ごした日々の出来事を筆に取って記すのが好きでした。
「国章を頭に戴く人※」では、職業への敬意を込め
「一人前の公安の戦士になる」では、責任への揺るぎない覚悟を書き、
「音符、巡回の道に刻まれて」では、
巡回の途中で目にした人々の暮らしと、
自分の使命感を描きました。
※「〇〇」は、当時ママが書いた文章のタイトルです。
そうした、つたないながらも真心のこもった文章は、
あの、血気盛んな時代を最も生き生きと映し出す記録でした。
当時、この文章への情熱といくらかの才気のおかげで、
私は公安システムの中で少し名を知られるようになりました。
省の公安庁からも声がかかり、
調令には「この人物は当方がぜひ必要としている。
現地政府の協力をお願いする」と記されていました。
その一言一言には私の才能への評価が込められており、
通常の幹部人事を超える扱いでした。
公安局長はこの件について、
市委政法委員会書記に特別に指示を仰ぎました。
すると書記は、その調令を、
市委常務委員会の会議にまで持ち込み、
討議にかけました。
そして「これは新余(※)が育てた人材である。
手放すわけにはいかない」という一言が示されたのです。
そこには、重みのある評価と期待が込められていました。
※新余=ハンハンママとハンハンの生まれ故郷。新余市のこと。
私を引き留めるため、
組織部は通常の幹部異動の手続きを破り、
直接私に調令を出しました。
本来であれば、私のような一般幹部の異動命令は
人事局から出されるはずです。
この特別な措置は、
省公安庁の誠意への配慮でもあり、
同時に指導部が私を重視してくださった証でもありました。
私は父にも意見を求めました。
父は、新余に残るよう勧めました。
というのも、両親の家は宜春にあり、
そこに近い場所にいれば、
何かと面倒を見合えるからです。
こうして私は父の言葉に従い、
市委組織部の門をくぐることになりました。
配属先はオフィスで
『組工信息※』の編集を担当することになりました。
※中国共産党の組織部が内部向けに出す情報誌・報告資料のこと。
こうして私は「組織部に新しく来た若者」という立場で、
文章と半生にわたる縁を結ぶことになりました。
この縁は、最初から愛着があったわけではありませんが、
その後の長い歳月を通して、私の人生を貫いていくことになります。
私はもともと、文章を書くことを
ただ余暇の楽しみとして捉えていました。
散文を書いて思いを表し、
筆と言葉を通して
心を落ち着かせて情操を養うためのもので、
文字を職業にしようなどとは
一度も考えたことがありませんでした。
まして、この純粋な愛好が、利益や出世のための打算に巻き込まれ
仕事のプレッシャーに縛られることなど望んでもいませんでした。
しかし運命の巡り合わせによって、
私は「組織部に新しく来た若者」という立場で、
いつしか当初の思いから離れることになりました。
組織部門における文書作成は、
決して思いのままに感情を綴るものではありません。
自分の心境に従って内なる誠実さや、
山河の優しさを描くような文章ではなく、
提示された規定や要件を厳格に守り、
業務の要求を正確に伝えるものでなければなりません。
言葉を一つ一つ選び、
文章を練るその過程のすべてに、責任と規範が伴います。
それは私の得意とするところでもなく、
また心から愛していたものでもありませんでした。
けれども私は、文学と公文書の文章作成が、
決して完全に相反するものではないことも理解していました。
確かな文章力こそが、この仕事をきちんと果たすための支えになるのです。
そしておそらく、その基礎があったからこそ、
指導者たちは慣例を破ってまで
私を組織部に留め、
この新しく来たばかりの「若者」に、
新たな使命と責任を担わせようとしたのでしょう。

(組織部に入ったばかりの私)
組織部に来たばかりの頃、
「新しく来た若者」である私が最初に引き受けた仕事は、
いきなり非常に挑戦的なものでした。
ある青年の大学生が、市委員会書記に三度も手紙を送り、
自らを卓越した才能と大きな志を持つ人物だと称し、
影響力のある政治家になる決意を語り、
どうしても進路を変えて政治の道に進みたいと強く求めていたのです。
市委員会書記は、その手紙を組織部長に回し、
さらに厳粛な指示を付しました。
すなわち、この件を題材として評論文を一本執筆し、
それを通して市全体の幹部に対する思想教育を行うように、
というものでした。
この重みのある任務は、
最終的に「組織部に新しく来た若者」である私の肩に託されました。
その数日間、私は机に向かって夜通し筆を走らせ、
灯りを頼りに深夜まで書き続けました。
一つ一つの言葉を何度も選び直し、すべての論点を丁寧に検討した末、ついに
「思想認識を正し、自分自身を正しく見つめ、若い幹部への思想教育を着実に強化する」
という文章を書き上げたのです。
当時の刊行物は傷みが激しくなっているため、
私は特に「スキャン全能王」を使って原文をはっきりと取り出し、
以下にその全文をそのまま掲載いたします。
🌟思想認識を正し、自分自身を正しく見つめ
若い幹部に対する思想教育を着実に強化する
最近、市委員会書記の某某某同志は、
ある青年大学生がたびたび手紙を送ってきて、
自らを優秀な青年であり、卓越した才能と大志を持つ人物であると称し、
将来は一定の影響力を持つ政治家になることを志し、
職を変えて政治の道に進みたいと要求している件について、
次のように指示を出しました。
「この同志はすでに三度手紙を送ってきている。
私は人を派遣して彼の勤めている工場の状況を調べさせたが、
彼は自分の本来の仕事に落ち着いて取り組もうとせず、
二年間で二つ三つの作業場を転々としており、
なお不満を抱き続けている。
しかも、ただ史上例のない大政治家になりたいと考えているだけである。
これは、若者に対する政治思想教育がいかに重要であるかを示している。」
そして、このように自分自身を正しく認識できず、
本来の職務に安心して取り組もうともせず、
ただ政治の道に入り官職に就くことばかりを望む同志に対しては、
「的確な教育を行い、その人生観を正さなければならない」と求めました。
ここ数年、幹部制度の改革が進むにつれて、
知識と能力を備え、徳と才能を兼ね備え、
作風も正しい多くの中堅・若手幹部が、次々と各級の指導的ポストに就くようになりました。
ところが、そのために一部の人々は誤って、
改革のこの時期こそ人材が重用される時であり、
政治の道に進み官職に就く絶好の機会であると考えるようになりました。
その結果、さまざまな形で、あの手この手を使って
上級指導者に官職や権限を求めるようになりました。
彼らは自分が若く、学歴もあることを頼みに、
政界に入り込み、何らかの官職を得ようと強く望んでいるのです。
もちろん、政治の道に進み権限を担うこと自体は、
決して悪いことではありません。
改革の過程において、強い使命感と
「天下のために自ら責任を負う」という、
高い責任意識を持つ志ある人々の中には、
中華の振興と「四つの近代化」を実現するために、
自ら進んで重責を担おうとする者もいます。
彼らは個人の利益や損得を顧みず、
国のために志願し、掲示板に名を掲げたり、
指導者に手紙を送り、自らを推薦したりするのです。
これらはすべて称賛され、励まされるべきことです。
しかし、志があるだけでは足りません。
能力も伴わなければなりません。
掲示板に名を掲げるにせよ、自らを推薦するにせよ、
まずは事実に基づいて自分自身をよく量り、
自分の政治的資質や仕事の能力を正しく評価し、
全面的かつ客観的に自分を認識しなければなりません。
そして、自分に指導的職務を担うだけの
総合的な資質があるかどうかを、よく考える必要があります。
自分の弱点や不足を冷静に見つめ、
決して傲慢になったり、空想にふけったりしてはなりません。
マルクス・レーニンの著作を数冊読んだだけで、
すぐ政治家になろうと舞い上がったり、
経営学を少しかじっただけで指導幹部になろうと意気込んだりするのは、
やはり少々幼稚で滑稽と言わざるを得ません。
そもそも、党の指導幹部とは、
権力を中心とする存在ではなく、奉仕を中心とする存在です。
それは責任・権限・奉仕、この三つが一体となったものです。
誰であれ指導的職務を担えば、
それに応じた責任を負わなければなりません。
職務が高くなるほど、責任もまた重くなるのです。
したがって、政治の道に進み、官職を求めようとする時には、
自分にその責任を担う能力があるかどうかをよく考えなければなりません。
もし官職に就いても仕事ができず、
指導者でありながらその責任を果たせないのであれば、
そのような職位に居ながら、
何の役割も果たさない指導者を、人民は必要としていません。
あるいは、ナポレオンの有名な言葉
――「元帥になりたいと思わない兵士は良い兵士ではない」――
を持ち出して、自分が政治の道に進み、
官職を求める理由とする人もいるかもしれません。
しかし、元帥になりたいのであれば、
まず良い兵士でなければなりません。
古人も「千里の道も一歩から始まる」と言っています。
千里の道を行くには、一歩一歩着実に進むしかないのです。
したがって、若い幹部は基層の仕事を重視し、
理論と実践を結びつけ、現場に身を置いて、自分を鍛えるべきです。
実践の中から学び、経験を積み、能力を高め、
自らの実務能力と理論水準を絶えず向上させなければなりません。
第一線の実践の中で自分を鍛えることこそが、
人材の成長の法則にかなうものであり、
すべての指導幹部が必ず通らなければならない道なのです。
思想認識を正し、自分自身を正しく見つめると同時に、
客観的な現実や社会の必要も考えなければなりません。
例えば、あの機械工学を学んだ若い大学生のように、
体系的な専門理論を身につけ、
しかも自分の専門分野の仕事に従事しているのであれば、
本来の仕事に安心して取り組み、学んだことを実際に生かし、
自分の職務の場で功績を立て、
能力を高め、組織の試練と選抜を受けるべきです。
決して「身は曹操の陣営にありながら心は漢にある」
というように、
今の仕事をしながら
心の中では官職への道ばかりを思い描くようなことがあってはなりません。
各級の党組織は、青年の思想の動向を踏まえ、
若い幹部に対する思想教育の取り組みを着実に強化しなければなりません。
青年に対して、党の指導幹部とは人民の公僕であり、
彼らが持つすべての権力は人民から与えられたものであり、
それは人民の利益のために用いられるものであるということを理解させる必要があります。
青年が思想認識を正し、自分自身を正しく見つめ、
共産主義の世界観と人生観を確立し、
個人の理想を人類の崇高な理想と結びつけ、
自らの実情と社会の必要に基づいて
努力の方向と奮闘の目標を定めるように導かなければなりません。
さらに青年に対して、大局を見据え、
党と国家の利益を第一に置き、個人の損得にこだわらず、
名誉や利益を求めず、全心全意で人民に奉仕するという原則を堅持することを教えなければなりません。
そして謙虚で慎重な態度を保ち、地に足をつけ、
勤勉に自分の職務を果たし、それぞれの持ち場で自らの知恵と能力を十分に発揮し、
国家と人民のために功績を立て、「四つの近代化」の建設に貢献することが求められます。

(発表された一部の新聞・雑誌記事)
この文章は『組工信息』に掲載され、
市内のすべての処級機関に配布され、
さらに省委組織部にも報告されました。
思いもよらないことに、
この「組織部に新しく来た若者」である私が、
着任して最初に書いた正式な公文書が、
市全体の幹部の間で少なからぬ反響を呼んだのです。
各機関が刊行物を受け取ると、
文章の作者は誰なのかと尋ねる人が相次ぎました。
また、多くの指導幹部がわざわざ刊行物を手に持って
組織部まで足を運び、確かめに来るほどでした。
こうして「組織部に新しく来た若者」という言葉は、
市の幹部の間で静かに広まっていきました。
皆が口をそろえて、文章は深く力強く、核心を突いていると称賛してくれたのです。
しかし、この突然の称賛に対して、
私は少しも誇らしい気持ちにはなりませんでした。
むしろ頭の中には、王蒙の小説『組織部に若者がやって来た』が
何度も思い浮かんでいました。
ふとした瞬間、現実と文学の境目が曖昧になるような感覚さえ覚えました。
まるで人々が称賛しているのは、
この新しく来たばかりの私ではなく、
小説の中の人物であり、あの名作を書いた王蒙その人であるかのように思えたのです。
私の心は静かなままで、
そこには誇りの波紋が少しも広がることはありませんでした。

(仕事に向き合う私)
この文章によって、私は「組織部に新しく来た若者」として、
組織部の中で次第に足場を固め、一定の評価を得るようになりました。
しかし同時に、それは私が文字に完全に「縛られる」ことの始まりでもありました。
毎週決まった期日までに原稿を書いて刊行しなければならず、
少しの怠りも許されませんでした。
また、市の指導者のために演説原稿を書くことも頻繁にあり、
一字一句を吟味し、何度も推敲を重ねなければなりませんでした。
重大な行事のたびに執筆チームが組まれると、
私は必ず呼び出され、文章を書く役目を担うことになりました。
かつて愛していた散文は、
いつしか煩雑な公文書にすべての時間を奪われていきました。
筆から流れ出るのは、もはや感情を綴る言葉でも、
心の奥にある愛情でもなく、仕事報告、調査報告、論文、業務総括、
そして指導者の演説原稿といった文章ばかりでした。
来る日も来る日も深夜までの残業が続き、
目は赤く充血し、気力も体力も消耗しきってしまいました。
眠りも浅く、食事も喉を通らず、
歩くときでさえ夢遊病のようなぼんやりとした感覚がありました。
その心身ともに疲れ切った苦しさは、
ただ自分一人で黙って耐えるしかありませんでした。
私は自分の仕事の世界に没頭しており、
外の喧騒を感じ取る余裕もありませんでした。
そのため、いつしか周囲からは、
どこか冷たく孤高な人間だという印象を持たれるようになりました。
友人の中には冗談めかして、
私の顔は「公安の顔」をしていて、
どこか人を寄せつけない雰囲気があると言う者もいました。
しかし彼らは、その距離感の背後にあるものを知りませんでした。
それは仕事に対する私の極限までの執着であり
「組織部に新しく来た若者」として、
一刻も早く未熟さを脱し、
しっかりと自分の足場を築き、
指導者からの信頼と期待に応えたいという、真摯な思いと覚悟だったのです。
私はこれまで、官職や出世に対して
それほど強い執着を持ったことはありません。
人の顔色をうかがうことも得意ではなく、
複雑な人間関係をうまく築くことも分かりませんし、
世渡りの駆け引きにも長けていません。
官職に就く者に最も必要なのは
「大きな知恵を持ちながら愚かなふりができること」
だと言われますが、
私はそれを少しも理解していません。
大きな知恵もなく、愚かなふりもできないのです。
しかし、私の内面には、負けず嫌いの粘り強さがありました。
「組織部に新しく来た若者」として、
一歩一歩成長していく中でも、
この粘り強さは少しも変わりませんでした。
指導者から与えられた仕事であれば、
必ず全力を尽くし、細部まで徹底して仕上げ、
自分自身が納得するまで決して簡単には提出しませんでした。
まさにこの執念とも言える姿勢のおかげで、
どの職場にいても私は自分なりの影響を残すことができました。
しかし、外から見れば「成功」と思われるその結果が、
私に本当の喜びをもたらしたわけではありませんでした。
女性として振り返ってみると、
私は結局、自分自身を大切にすることができなかったのだと思います。
自分を愛することもなく、
身だしなみを整えることにも心を配りませんでした。
本来なら女性が持っているはずの繊細さや柔らかさ、
自由に輝くはずだった若さの美しさも、
来る日も来る日も続く、忙しさと疲労の中に埋もれてしまいました。
私は自分自身の姿を顧みることもなく、
人生の中で輝くはずだった青春の色を逃してしまったのです。
かつて私は、三毛の言葉―
「私は真剣に若くなる時間を持てなかった。
気がついたときには、ただ真剣に老いていくしかなかった」
――を借りて、自分の半生を表したことがあります。
けれどもよく考えてみると、
それも完全に当てはまるわけではありません。
仕事の面では、私は「組織部に新しく来た若者」として
真剣に若さを生き、筆を武器として未知の分野にひたむきに取り組み、
最終的には「中堅幹部のポスト」にまで至りました。
仕事の上では、ある意味で成功者だったと言えるでしょう。
しかし、生活においても、精神の面においても、
私は本当に自分の望んだ生き方をしたことがありませんでした。
華やかな衣装をまとい、
勢いのままに駆けるような自由な生き方も、
ゆったりと落ち着いた詩情に満ちた時間も、
味わうことはありませんでした。
こうして慌ただしく、どこか雑然としたまま、
気がつけば老年に差しかかり、心には多くの悔いが残ってしまいました。
もし半生の得失を静かに振り返ってみるなら、
私はよく分かっています。
地位の高低や名声・利益の多少は、
すべて一時のものであり、やがては時の流れの中で薄れていくものです。
けれども、私のこの人生で最も成功したことは、
息子に良い読書習慣を身につけさせたことでした。
この習慣は、決して単なる文字の娯楽ではなく、
ましてや計量できる物質的な財産でもありません。
それは私が息子に残した、最も大切な精神的な贈り物なのです。
読書は、墨の香りに包まれた世界の中で彼の視野を広げ、
小さな世界から抜け出して、
山や川、湖や海の広がり、人々の暮らしのさまざまな姿を見せてくれます。
そして天地の広さや、人の心の奥深さを知ることを教えてくれます。
読書は彼の思想を豊かにし、
骨の髄まで刻み込まれるような深い文化的素養を育ててくれます。
その素養こそが、人生の風雨に向き合うときに
彼を守る最も堅固な鎧であり、
前へ進むための最も確かな自信となるのです。
人生は長く、その道のりには必ず風雨や挫折があります。
たとえ彼がネット上の激しい誹謗中傷の泥沼に陥り、
俳優としての仕事が壊滅的な打撃を受けたとしても、
読書によって積み重ねられた深い文化的素養が、
彼を支えてくれるはずです。
それは彼を中傷や冤罪に打ち負かされることなく、
困難や挫折に押しつぶされることなく、
心の底に刻まれた自信を頼りに、
どん底から再び顔を上げて立ち上がり、
陰りを振り払い、初心を取り戻し、
より遠く、より確かな歩みで前へ進ませてくれるでしょう。
読書の力は、これからの長い人生の中でも
彼と共にあり続けます。
順境にあっても驕ることなく、
逆境にあっても落ち着きを失わず、
いつも言葉と共に歩み、美しいものと共に生きることができるように。
そして温かさを感じ取る力、
迷いに抗う力、魂を養う力を与えてくれるのです。
半生のあらゆる功績や名声と比べても、
この一つの成功こそが、私が最も誇りに思う人生最大の財産です。
そしてそれは、これまでの奔走と悔いに満ちた歳月に、
最も優しく、最も重みのある慰めを与えてくれました。
その光は、これからの穏やかな年月をも静かに照らしてくれることでしょう。

(私の文章の手稿)
前回の「名前の話」もそうだったんだけど…
ママが、国の機関で働いていたという、「ほとんど初披露」の話がつづられていて、驚きました(;・∀・)
ママのブログを読むたびに、並々ならぬ文章力を感じてたのだけど…
今回の内容を見て「さもあらん」(若いころから、とても評価の高い文章を書いてたことが判明)
ハンハンの豊かな才能も ママから受け継いだものが多いんじゃないかな?
ママが書いてるとおり「読書の習慣」も そうだし、
その読書の習慣は ハンハン自身が海哲にも推薦してるくらい 影響力が大きくてww
本当に「さすが」のひとことでした。
それにしても 最後の最後に 久しぶりに「あの誹謗中傷の嵐」のころの話も少しでてきて
感慨深いものがありました…
心の底に刻まれた自信を頼りに、
どん底から再び顔を上げて立ち上がり、
陰りを振り払い、初心を取り戻し、
より遠く、より確かな歩みで前へ進ませてくれるでしょう。
↑ この5年間が 走馬灯のように 駆け巡りましたよ… ほんとによく頑張ってると思う。
今回のママのブログも 実にすごかったです<(_ _)>(脱帽)
チャンジャーハン、3月のインスタ生ライブ開催! 速報
今日、予定の19時より少し早い、18:56ごろスタートした ハンハンの生ライブ。
とにかく元気そうなハンハンが拝見できて ホッ。
チャンジャーハンの生ライブ速報

Xの9菜さんが、速報で「今日のトークのまとめ」を投稿してくださっています。
(いつも本当にありがとうございます^^)
一番大きなニュースは、5月3日にクアラルンプールでファンミを開催する予定とのこと!
>>詳細は、9菜さんの投稿で リンク先はこちら
このほかの話は また後日💙
ではでは今日はこのへんで。ここまでご覧くださりありがとうございましたww
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