今日11月8日は、ママの68歳の誕生日!
と、いうことで…超久しぶりに、ママブログの更新あり。
(ハンハンの話がかなりたくさん出てきます)
加えて、11/10にEHZZの新作発売もあり。もろもろまとめてご紹介しますネ。
チャンジャーハンのママが23日ぶりにブログ更新!「68歳に寄せて」
23日ぶりのブログ更新となった 今日のママブログ。
実は、10月初旬に1本、記事が更新されてたのだけど 公開から数時間で削除されてたんですよね…


※私は気づくのが遅くて、読めなかったのだけど、
その内容の一部について、ファンの間で物議をかもしだす内容だったらしく、
SNSの一部で、意見が飛び交う事態に。
(私はこの香港ファンさんの投稿を見て、大体の内容を知りました…>>ここから飛べます)
その後、ママが自分の意志でその日の内に、記事を削除。
しばらく コメント欄も閉じてた…という経緯がありました(;´・ω・)
※この件、書くべきかどうか悩んだんだけど、この空白期間があった話はやっぱ記録しようと思い、今日、書いてる次第です<(_ _)>
という経緯を経ての ママのブログ更新。
今日の内容に その話が出てくるわけではないんだけど「68歳に寄せて」いろいろな話が出てきます。
張ママブログ11/8投稿「心にほのかな光を宿し、残りの人生をゆったりと過ごす―68歳の誕生日に寄せて」和訳

心にほのかな光を宿し、残りの人生をゆったりと過ごす
――68歳の誕生日に寄せて
心の中にあるほのかな光をすくい上げると、
目の前には詩と、
まだ見ぬ遠い世界が広がります。
一輪の花、
一枚の葉、
一つの朝、
一つの夕暮れ。
そのすべてが詩の中の風景となり、
私は思うままに、
その中をそぞろ歩きます。
心の中にある
ほのかな光をすくい上げると、
長く続いてきた歳月が、
喜びに満ちて歌い始めます。
これから先の人生は長く、
得るものも失うものも、
自分自身で受け止めながら、
歩みを進める中で、
一つひとつの縁を大切にしていきます。
慌てることもなく、急ぐこともなく。
季節がまたひと巡りし、新たな11月が静かに訪れました。南国の風は相変わらず温かく穏やかで、身を刺すような寒さはなく、空気にはほのかな静けさと安らぎが漂っています。
この街には、北方の晩秋に見られるような、もの寂しく舞い落ちる木の葉はなく、草木の多くは今も青々と茂っています。外を歩いていると、そよ風が頬をなでるたびに、心がゆっくりと落ち着いていくのを感じます。
今日、私は68歳になりました。
また一つ年齢を重ねた自分に、心を込めてこう言いたいと思います。
親愛なる「自分自身」へ、お誕生日おめでとう。
人の一生における喜びや悲しみ、得るものや失うもの、そして身をもって経験するさまざまな出来事は、突き詰めれば、すべて自分自身のものです。他人はあなたの置かれた境遇を見ることも、あなたの物語を聞くこともできますが、心の奥にある喜びや悲しみ、切なさを、本当の意味で代わりに感じることはできません。
周囲の人から寄せられる祝福は、もちろん温かく、ありがたいものです。
しかし、誕生日を迎えるこの喜びは、何よりもまず、私が私自身に贈るべきものなのです。
にぎやかなお祝いを待つ必要もなければ、盛大な儀式も必要ありません。
自分の内面に目を向け、ありのままの自分を受け入れること。それこそが、この年齢になって私が学んだ、最も大切なことなのだと思います。
私は今の自分の姿を、穏やかな気持ちで受け入れています。これまで歩んできたすべての過去を受け入れ、顔にいつの間にか刻まれたしわも受け入れ、身体にはっきりと現れてきた、もう若くはないという証しも受け入れています。
体力が以前ほどではなくなったこともあれば、何かをするのに負担を感じることもあります。
それでも、私はもう、そのことで不安になったり、思い悩んだりすることはありません。
この喜びと心の自由こそが、私から私自身への贈り物です。
日々の暮らしの中で、幾多の風雨を経験しながらも、真摯に生きてきた自分への贈り物なのです。
以前、短い動画を見ていたとき、こんな考え方に出会いました。
「人は65歳になれば、人生はもうほとんど終わったようなものだ」というものです。
おおよその意味は、この年齢になれば、社会的な責任も終わりを告げ、人生の物語も終盤に近づき、その後に残された時間は、ただ静かに最期の時が訪れるのを待つだけだ、ということでした。
それを見終えたとき、私はこの考え方に全面的には賛同できませんでした。
おそらく、世間一般の多くの人の目には、65歳を過ぎたら、あらゆる憧れや希望を抑え、静かに老後を過ごすべきであり、人生に新たな目標を持つこともなく、ただ時間をやり過ごすだけだと映るのでしょう。
しかし、人生の半分以上を生きてきた今でも、私はこう思っています。心の中に光を持っている人は、青春を生き続けることができ、美しいものを追い求め続ける生命力を持っているのだ、と。
もちろん、今68歳になった私が、これまでの人生の大半にわたって肩に背負ってきた社会的責任は、確かにほぼ果たし終えたと言えます。子どもとして、私は心を尽くして年長者に仕え、子として果たすべき務めを果たしてきました。
母親としては、持てる力のすべてを注いで子どもを育て上げ、正直で善良な心を教え、彼の内面を豊かにし、幾度となく困難を乗り越える彼に寄り添い、そのたびに、より優れた自分へと成長していく姿を見届けてきました。
私に課せられた家庭での責任、果たすべき家庭内での役割は、すべて着実に果たしてきました。
世間一般の基準で、やり遂げるべきとされることについては、一つひとつ答案を提出してきたと言えるでしょう。
しかし、責任を果たしたからといって、人生に終止符を打つことにはなりません。
身体がそれなりに健康で、頭もまだ明晰で活発に働いている限り、私たちは長く豊かで、本当の意味で自分自身のために生きる「人生の後半戦」を送ることができるのです。
人生の前半が、家族のため、生活のために奔走し、苦労を重ねる時間だったとするならば、この後半こそ、まさに自分自身のための時間なのです。
私はよく、任正非(レン・ジョンフェイ)のことを思い浮かべます。
70歳を過ぎてもなお、心には広大な理想を抱き、企業を率いて幾度もの荒波を乗り越え、自らの理想を守り続けている人です。
また、董明珠(ドン・ミンジュ)のことも思い浮かべます。
年齢を重ねても、常に前へ進もうとする気力を持ち続け、果敢に挑戦し、行動し、自らの力を発揮し続けています。年齢というレッテルに、自分の歩みを縛られたことがありません。
任正非(レン・ジョンフェイ):中国の通信機器大手「ファーウェイ(Huawei)」の創業者。
1944年生まれ。1987年にファーウェイを設立し、世界的な通信・IT企業へと成長させた人物で70代、80代になっても企業経営に関わり続けていることで知られています。
董明珠(ドン・ミンジュ):中国の大手家電メーカー「格力電器(Gree Electric)」を率いる女性実業家。
1954年生まれ。営業職からキャリアを積み上げ、同社の経営トップになった人物です。70代になっても積極的に事業に取り組む、行動力のある経営者として知られています。
彼らは私に教えてくれました。
年齢とは、ただ時の流れを記録する数字にすぎないのだと。
年齢は歳月を記録することはできても、人の精神世界がどこまで高みに達するかを制限することはできません。人の価値は、単純に年齢という数字によって縛られるべきではないのです。
人生は、ある年齢に達したからといって、必ず停止ボタンを押さなければならないものではありません。家族を養い、生活を支える重荷から解放され、世間の期待に振り回される必要がなくなったときこそ、自分自身をしっかりと理解し、大切にする絶好の時期なのです。
私たちには、自分の内面を見つめ、自分自身を喜ばせ、さらに広大な精神世界を感じるための時間も、機会もあります。歳月は容姿を老いさせることはできても、美しいものに憧れる心を閉じ込めることはできません。何歳になっても、心の中に光がある限り、私たちは成長し続けることができます。
そして、その一筋の光で、これから先の人生の道のりを、一つ、また一つと照らしていくことができるのです。
これまで歩んできた長い道のりを振り返ると、私はずっと、人生の中にある一筋の光を探し続けてきました。若い頃は、その光は他人から与えられるもの、外の世界からの評価や承認、そして物事が順調に進む境遇から得られるものだと、いつも思っていました。この人生には、道すがら、花が咲き誇るような順風満帆な時期もあれば、あたり一面が泥だらけになるような、険しい時期もありました。
突然襲ってきた挫折も、運命が投げかけてきた試練も、私はすべて経験してきました。涙を流したことも、疲れ果てたこともありました。数えきれないほどの夜、寝返りを打ちながら眠れずに過ごしたこともあれば、迷いの中に陥り、前に続く道が見えなくなったこともありました。
しかし、本を読み、学ぶことだけは、私は決して手放しませんでした。
本は、私の精神を育む豊かな土壌です。
本のページを開き、さまざまな人の人生に触れ、世の中の多種多様なありさまを味わうことで、私は少しずつ自分自身を豊かにし、心を見つめ直して、よりよいものへと磨いていく力を得ることができました。失意に沈み、悲しいときには、文章が私の心を慰めてくれました。進むべき道がわからなくなったときには、本が私に、再び前へ進むための自信と力を与えてくれました。
日々の暮らしが苦しいときも、幸せなときも、本はいつも、私が心を寄せ、安らぐことのできる精神的な港でした。これまで、つまずきながらも歩み続けてきた私は、ようやく少しずつ、あることに気づきました。
私が必死に探し求めていた光は、外の世界や他人から与えられるものではなかったのです。
この気づきには、息子から受けた影響も大きく関わっています。
私たちは、互いに寄り添い、支え合う家族です。
長年にわたり、朝も夜も共に過ごし、お互いの最も苦しく、弱っている姿を見てきました。
そして、かけがえのない喜びや穏やかな時間も分かち合ってきました。
彼が生まれ持っている芯の強さ、楽観的な姿勢、そして決して立ち止まることのない向上心。そうしたものが私の心に深く影響を与え、幾度となく気づきをもたらし、私を前へと進ませてくれました。
耐え難いほど苦しい局面に直面したときも、私たち母子は互いに支え合い、慰め合いながら、歯を食いしばって、一つ、また一つと困難を乗り越えてきました。彼が打ちのめされ、失意のどん底を経験しながらも、それでも決して負けを認めず、歯を食いしばり、強く揺るぎない意志を持って、ひたすら前へと走り続ける姿を見て、私もそこから大きな勇気をもらいました。
私が気力を失い、落ち込んでいるときには、彼の決して負けまいとする生命力が、人生の困難に簡単に屈してはいけないと、私に思い出させてくれたのです。
今の私を形づくってきたものは、順境の中で感じた春風のような温かさだけではありません。逆境の中で受けた風雨のような厳しい試練、そして何より、最も身近な家族が与えてくれた、言葉にならない励ましもありました。
だからこそ、私はようやく気づいたのです。
そうか、私自身こそが、私を照らす光だったのだ、と。
もちろん、私自身が持つこの光の中には、息子が与えてくれた温かな力も宿っています。
これから先の残された人生でも、私は引き続き彼のそばに寄り添い、成長し続ける姿を見守っていきます。そして、彼が未来へ向かって進んでいく道のりで、いつまでも彼を励まし、声援を送り、その歩みをたたえ続けたいと思います。
自分自身が光の源になれるのだと理解してから、私は自分の日々の暮らしを、地に足をつけて大切に営むようになりました。この世の暮らしには、それぞれに異なる美しさがあります。他人の生き方をまねる必要もなければ、誰かのにぎやかで華やかな暮らしをうらやむ必要もありません。
自分だけの小さな世界を大切に守り、自分の歩調で暮らしていく。それだけで、もう十分に素晴らしいことなのです。
幸せには、もともと決まった形などありません。自分に合っていて、心が穏やかで安定していること。それこそが、最もよい生き方なのだと思います。
時間に余裕があるときには、私は喜んで筆を取り、文章を書いています。心の中で感じたことや、これまでのさまざまな出来事を記録し、歩んできた道を振り返りながら、今この瞬間の美しさを書き留めています。
心の奥に積み重なってきた思いを、少しずつ整理し、文章にしていく。その執筆の過程は、私が再び自分自身と出会い、向き合い、対話する、静かで穏やかな時間でもあります。
最近は、新しい趣味もできました。ときどき花や草木を育て、新しい芽が顔を出す様子や、つぼみがゆっくりと開いて花を咲かせる様子を眺めています。
雨の日が続くと、花がうなだれてしまうこともありますが、晴れ間が戻ると、また生き生きとした姿を取り戻します……。草花が枯れたり茂ったり、盛衰を繰り返す姿からも、私は生命が持つ、最も素朴で本来の力を感じています。
最近は、歌の勉強も始めました。
若い頃から、私は声を張り上げて歌うことが好きでした。(息子も私の影響を受け、幼い頃からよく私の歌に合わせて小さな声で口ずさんでいました。こうして、幼い頃から彼の心には、音楽を愛する種がまかれていたのです。)しかし、専門的な歌唱技術をきちんと学んだことはありませんでした。
今回は、発声練習をしたり、声を響かせるために、それぞれの共鳴腔をどう開けばよいのかを研究したりしながら、一歩ずつ基礎から学んでいます。
歌の練習は、決して静かにできるものではありません。正しい状態をつかむためには、顔の表情も身体の動きも、のびのびと解放しなければなりません。ときには眉を上げて目を大きく見開き、ときには胸を開いて腕を広げ、奇妙な息の音を出したりもします。
そんなとき、可楽(コーラ)はよくそばで私を見つめています。大きな二つの目をまん丸に見開き、最初は驚いた顔で、私の一挙手一投足に興味津々です。ところが、次第に、まるで頭のおかしな人でも見ているかのような表情になっていくので、思わず吹き出してしまいます。
そんなコーラの姿を見るたびに、私は笑い声を上げずにはいられません。こんな小さな子がそばにいてくれるおかげで、何気ない家での時間にも、たくさんの楽しさが加わっています。
趣味を育むことに加えて、私は規則正しい生活を続け、自分の感情とも折り合いをつけるようにしています。
人は誰でも、生きていれば、ときには心にわだかまりを抱えたり、悩みや苦しみに直面したり、疲れ果ててしまうことがあります。しかし、過去の後悔に何度もとらわれていては、精神的な消耗を増やすだけです。
そこで私は、自分なりに感情を整える方法を見つけました。
心がつらくなったときには、しっかりと二度ほど眠り、悩み事をひとまず脇に置くのです。
そうすると、多くの迷いや悩みは、眠っている間に自然と少しずつ消えていき、目が覚めたときには、たいてい心がずっと穏やかになっています。
それだけでなく、私は身体を鍛えることも大切にしています。最初は息子に促されて、毎日運動したことを記録していましたが、今では自分から進んで、毎日続けるようになりました。その中で、自分の身体と健康を大切にすることが、どれほど重要なのかを深く実感しました。身体をきちんといたわってこそ、この世にあるさまざまな風景を味わうための気力も生まれます。
そして、心の中にある光を、自分の足で歩む一歩一歩へと変え、軽やかに、自由な気持ちで、この世界の四季を感じることができるのです。
この世で、私は息子と互いに支え合いながら生き、共に幾多の風雨を乗り越えてきました。
私たちは母と息子であると同時に、互いを深く理解し合う親友でもあります。
人生の晩年を迎えると、誰しも生と死について、自然と落ち着いて考えるようになり、あえて避けようとはしなくなります。私も以前、息子と自分の死後のことについて、真剣に話し合ったことがあります。
以前の私は、自分がこの世を去った後は、故郷に戻り、両親のそばに埋葬され、いつまでも両親に寄り添っていたいと願っていました。それは、心の奥にずっと抱き続けてきた、両親を思う強いこだわりでした。
しかし現実には、墓地を確保することが難しく、さまざまな現実的な条件もあります。長年、心の奥に秘めてきたこの願いは、結局、実現することが難しいのです。歳月を重ね、さまざまな経験をする中で、多くのこだわりも少しずつ手放せるようになりました。
今の私は、埋葬の形式をそれほど重視しなくなりました。私にとっては、この世を去るときに病気や痛みに苦しめられることなく、身体がつらい思いをせずに済むのであれば、それが何よりの幸運です。川や海、山や森へと還り、肉体が天地の間に溶け込んでいくことも、よい最期のあり方だと思います。
自然から生まれ、自然へと還る。
それもまた、一つの円満な結末なのだと思います。
私がこうした考えを話すと、息子は私に尋ねました。
「でも、僕がお母さんに会いたくなったら、どうすればいいの?」
その瞬間、私の心にはさまざまな感情が入り混じりました。母親との別れを惜しむ息子の気持ちがいとおしく、胸が痛むと同時に、生と死について、より深く理解するようになりました。
私は優しく、こう伝えました。
「あなたが心の中で私を覚えていてくれる限り、私はあなたの心の奥に、永遠の居場所を持つことができるのです。肉体はいつか消えてなくなる日が来ます。でも、愛と思い出は消えることがありません。思い続けてくれる限り、私は本当の意味で遠くへ去ってしまうことはないのです。血のつながった家族の愛情の中に流れる、互いを思いやる気持ち。
それもまた一筋の光であり、歳月が過ぎ去ることを恐れず、いつまでも残り続けることができます。愛がある限り、私はそこにいるのです」
私は、自分自身を照らす光です。
その光が私の目を照らし、どこにいても美しい風景を見つけられるようにしてくれます。
その風景は、外の世界に広がる山や川、湖や海だけがもたらしてくれるものではありません。むしろ、さまざまな喜びや悲しみを経験した後に、自分の心の奥から育ってきたものなのです。苦難は私の心を鍛え、優しさは私の魂を豊かにし、読書は私の視野を広げ、平凡な日常は私の命を育んでくれました。
息子が与えてくれた励ましもまた、私の精神世界に、温かな色彩を添えてくれました。たとえ歳月が私の身体にさまざまな痕跡を残したとしても、私の心の中には、今も温かく明るいものが残っています。
外の世界の風雨は肉体を傷つけることがあっても、心の奥から生まれたこの光を消すことはできません。その光に照らされて、私の心の中には、決して枯れることのない庭園が広がっています。青々と草木が茂り、色とりどりの花々が咲き誇る庭園です。
今年の誕生日は、もともと静かに、ごく普通の一日として過ごそうと思っていました。ところが思いがけず、たくさんの友人たちから、次々と心のこもったお祝いの言葉をいただきました。一つひとつの気遣い、一つひとつの深い愛情が、絶え間なく流れる温かな小川のように私の心に染み入り、忘れられないものとなりました。
私を愛してくださるすべての方々、そして私が愛するすべての方々に、心から感謝しています。
私のこの心の楽園に足を踏み入れ、私の考えや思いに耳を傾け、私が感じたことを理解し、私の目に映る、私だけの風景を共に感じようとしてくださることに感謝します。
広い人の世で、出会うこと自体が一つの縁です。
すぐそばにいる人もいれば、はるか遠く離れた場所にいる人もいます。
皆さんの善意、寄り添ってくださること、そして私を気にかけてくださる思いは、どれも歳月が私に贈ってくれた、かけがえのない温もりです。まさに、四方八方から寄せられるこうした温かな思いの一つひとつが、これから先の長い人生を照らしてくれるのです。
人生とは、突き詰めれば一人で歩む修行の旅だと言えます。
それでも、同じ道を歩む人たちが、遠くからでも寄り添ってくれることで、その旅路の孤独はずいぶんと和らぎ、限りない温かさと楽しさが加わります。
今日、私は正式に68歳になりました。振り返れば、数十年の歳月はあっという間に過ぎ去りました。笑いもあれば涙もあり、得たものもあれば失ったものもありました。願いがかなったこともあれば、どれほど望んでも手に入らなかったものもありました。多くの人や出来事が訪れては遠ざかっていき、さまざまな経験が、私の心の奥に積み重なって残っています。
これから先を見つめれば、残された人生はまだ長く続いています。あとどれほどの日々が残されているのかと、不安になる必要はありません。ただ、歩みを進めながら、その一瞬一瞬を大切にしていきたいと思います。心の中にほのかな光を守り続けていれば、目に映るものは、どこもかしこも心を動かす美しい風景となるのです。
今日、この誕生日を迎えるにあたり、改めて自分自身に「お誕生日おめでとう!」と伝えたいと思います。
これからの日々も、心の奥にあるこの光を守り続け、年齢に縛られることなく、老いを心配することなく、穏やかに花が咲き、散っていくのを眺め、得るものと失うもの、出会いと別れにも落ち着いて向き合っていけますように。そして、残された一日一日を、地に足をつけて、のびのびと、自由に、穏やかに過ごしていけますように。
また、親愛なる友人の皆さん一人ひとりにも、心から願っています。皆さんが、自分の心の中にある、自分だけの一筋の光を見つけられますように。いつも目には美しい風景が映り、心には穏やかな安らぎがありますように。毎年を平穏無事に過ごし、毎日を喜びとともに迎えられますように。誰もが自分自身の幸せを手にすることができますように。
そして、この人間らしい日々の暮らしの中で、それぞれが自分なりの満ち足りた人生を送ることができますように!
ママの思いがたくさん綴られていた 今日のブログ。
68歳の誕生日 おめでとうございます💙
チャンジャーハン×EHZZ 新作「未名之山(まだ名もなき山)」11/10発売
そして 今日公開された EHZZの公式インスタから。
新作「未名之山(まだ名もなき山)」発売のお知らせ。
※コンセプトの内容が、ハンハンからのメッセージのような内容でした※
EHZZ公式インスタ11/8投稿「未名之山(まだ名もなき山)コンセプト+10日発売のお知らせ」

EHZZ「未名之山」全文和訳
未名之山(まだ名もなき山)
ある山々は、名前がつけられるよりも前から存在していた。
現地の地図にまだ描かれていなかった頃も、
人々がまだ畏敬の念を抱いて見上げることもなかった頃も、
その山々は、ずっと昔から大地にそびえ立っていた。
やがて人々は、その山々に名前をつけ、伝説や長い道のりを与えた。
鋭い雪の峰が空を切り開き、
幾万もの水の流れが、眠りから目覚める。
最初の一筋の光が、山の稜線に降り注ぎ、
旅人は、まだ見ぬ道を歩き始める。
草深い雪原の奥には、長い風が吹き渡り、
大地は、果てしない無言の世界を広げている。
一粒一粒の種と、すべての出会いを託されたその山は、
何を語ることができるのだろう。
何を語るべきなのだろう。
あの遠い場所で、旅人たちの言葉は、とうに答えを見つけていた。
あの憧れの場所は、数えきれないほど夢の中に現れていた。
海の奥深くにあるものは、海。
山の奥深くにあるものは、山。
人の心の奥深くにあるものは何か、あなたにはわかりますか。
それは、あなた自身。
意味:このコンセプトが伝えていること=特に重要なのは、最後の4行。
「海の本質は海、山の本質は山。
そして人間の本質は、自分自身にある」というメッセージ。
人から名前をつけられたり、
評価されたりするよりも前から、山は山として存在している。
人も同じで、他人から与えられた名前や評価ではなく、自分自身の中に本当の価値がある。
そんな意味が込められているようです…👍

EHZZ公式インスタ投稿・和訳
土は、山の岩石から生まれた。
女媧(じょか)は、黄色い土をこねて人間を創った。
人は、集まり、凝縮して山の岩石となる。
心の聖地は、一人ひとりの「まだ名もなき山」の中にある。
「未名之山(まだ名もなき山)」
11月10日 10:00 新作発売 ※日本時間11:00am
#findyourvoice
#ehzzfindyourvoice
投稿元リンク先はこちら
ちょこっと解説
「女媧(じょか)」 は、中国神話に登場する、人間を創造したとされる女神。
※中国神話には、女媧が黄土をこねて人間を創ったという伝説がある。
今回の文章は、その神話をもとに
「人は自然から生まれ、誰もが心の中に自分だけの聖なる山を持っている」
という意味を表現している模様。
毎回 コンセプトの「詩」に深い意味がある EHZZの新作。
今回のメッセージも ハンハンが書いたんじゃないかなぁと思っちゃうんだけど 果たして😅
EHZZ投稿(2本目)「新作ラインナップ 写真続報」
そして2本目。

EHZZ公式インスタ投稿・和訳
インスピレーションの源は、高原で目に映る風景。
自然は崇拝の対象であり、
最も原始的な信仰でもある。
「未名之山(まだ名もなき山)」
11月10日 10:00 新作発売
(日本時間11月10日 11:00)
投稿元リンク先はこちら
上のリンク先に 新作のラインナップ写真が 全9枚あります。
興味のある方は飛んでくださいwww(〃▽〃)ポッ
EHZZからの追加インスタ投稿 ウイチャットストアで独身の日割引
※もう1本追加投稿がでたのだけど、内容がウイチャットストアでの購入対象だったので、
日本からはちょっと難易度高し…なんだけど リンク先だけおいときますネ ここから飛べます
チャンジャーハンの11/2インスタ生ライブ「台湾海哲さんの感想&要点まとめ」和訳
最後は遅ればせながらの 11/2インスタ生ライブの話。
文字起こし機能からの和訳は先日紹介したんですが😅 台湾海哲さんが、感想を交えて投稿して下さったインスタあり。※非常にわかりやすいです。
和約してみたので おいときますネ。よかったら読んでみてください。
①台湾海哲さんの投稿・全文和訳ライブ開始・PART 1
今日は雑誌の撮影がありました。
わざわざ今日、ライブ配信をすることにしたのは、
月曜日からみんなに、きれいにヘアメイクした船長の姿を見てもらうため。
さすが、自分が無敵の美貌を持っていることを、ずっと自覚している船長だね😆
船長自身も言ってたよ。
「まずはコメントを見て、みんなにしばらく褒めてもらおうかな」って😆
私たちの船長は、メイクしていなくても十分かっこいいのに、メイクしたら本当に無敵!
男女問わず魅了する美貌で、本当に目が離せない!
どうしてこんなにかっこいいの〜🥰
特に、みずみずしくてぷるぷるの唇👄思わずキスしたくなっちゃう😚
それから、インスタント写真(チェキ)をたくさん見せてくれたんだよね。ああ、欲しいなあ!
新しい雑誌が楽しみ!やっぱり一日仕事を終えたあとに、美しくてかっこいい船長の姿を見ると、本当に気分がよくなるよね。
それから、手の傷はテニスで転んだときにできたものなんだって😂
早く治ってほしいな〜。
船長は、仕事にワンコたちを連れて行くこともあるけど、今回は撮影場所が少し遠かったから、車酔いが心配で連れて行かなかったとも話してたよ。
以前、ワンコたちが車酔いしたことがあったんだって😂
それから船長は、私たちにテニスを教えても、頭が悪すぎて覚えられないんじゃないかって心配してたよ😳🙄🤣
ちょっと待ってよ!
船長が私のコーチになってくれるなら、絶対に一生懸命練習して、できるようになってみせるのに! 😎
船長、ありがとう!
新しいドラマを待ちながら、オフラインでのコンサートも開催されることを願っています。
②台湾海哲さんの投稿・2026年11月2日 ライブ配信 PART 2
おいしくて辛さたっぷりの
「酸豆角麺(ササゲの漬物入り麺)」のモッパンがスタート!
私たちの船長は、食べっぷりも豪快!
お腹いっぱい食べている姿を見ていると、こっちまでお腹が空いてきちゃう。
船長は、以前「自分は太ったことがない」と言っていたけれど、少し前にドラマ『誰もがあなたに出会いたい』を見返したとき、張泯を演じていた頃が一番太っていたと思ったんだって。
特に当時は、自分ではかっこいいと思っていた短い丸刈りヘアにしていたし、ちょうど脚をけがして、あまり運動できなかった時期でもあったそう。それから、短い丸刈りヘアが好きだとか、張泯のスタイルがいいと言っているファンのコメントを見て、
「丸刈りが好きだなんて言うのは、絶対ママファンだよ!」って(笑)。
さらに、みんなが張泯のスタイルを褒めるのは、ドラマに水着姿のシーンがあったからだってことも、ちゃんとわかってたみたい〜。面白すぎる!🤣
そのあと、誰かが「大きな胸が好き」とコメントしたら、船長はびっくり!
「みんな、本当に何でも言っちゃうんだね!」って。
どうやら船長も、海哲の女性ファンたちがどれだけ大胆なことを言うのか、わかってきたみたい(笑)。
だって、船長の魅力があまりにもすごくて、抗えないんだもん!
③台湾海哲さんの投稿・PART 3 全文和訳2026年11月2日
引き続き、モッパン(食事配信)が続きます。
そして、潺兒(劉潺さん)の話や、お酒にまつわる話題にもなりました。
ライブのコメント欄では、みんなが船長に、
「劉潺の言うことを聞いちゃダメだよ!」
「お酒は少し控えてね!」
と言っていたんだけど、船長は、
「劉潺は僕に無理やりお酒を飲ませたりしないよ。むしろ、僕の代わりにお酒を断ってくれるんだ」
って言ってたよ。ハハハハハ!🤣
劉潺(リウ・チャン/Liu Chan)は、チャンジャーハンの親しい友人として、ライブの雑談にも登場する人物
④台湾海哲さんの投稿・PART 4 全文和訳2026年11月2日
新疆から遊びに来た友人の話になりました。
その友人というのは、ドキュメンタリーの撮影中に、とても協力してくれた17歳の少年。
とても純粋な少年で、おじいさんを連れて「行く!」と言ったら、本当にすぐにやって来たんだって。
ハハハ〜!
さらに、汗血馬(かんけつば)という名馬が、
どれほど貴重で恵まれた暮らしをしているかという話も。
最後は陳皮水(乾燥させたミカンの皮を使った飲み物)を掲げて、
自分自身と、私たち「牛馬」仲間に乾杯! 😂
⑤台湾海哲さんの投稿・PART 5 全文和訳 2026年11月2日
自分ではいつも3匹のワンコたちの写真や動画を投稿しているし、
以前は「アーカーとシンナーはウンチを食べることがある」なんて話までしていた船長😂
ところが、誰かが、
「アーカーとシンナーは、まだウンチを食べてるの?」
と質問した途端、海哲たちにすかさずツッコミ!
(どうやら船長パパは、自分のワンコたちがウンチを食べるなんて、
ほかの人に言われるのは我慢できないみたい🤣 自分で言うのはいいけどね!)
そして、海哲たちに向かって、
「毎日ネットを見て回ってるの?
そんなに暇なの? 仕事中にサボってるの? 毎日そんなことばかりチェックして!」
とツッコミを入れてたよ。
面白すぎる!
(だって、私たちはあなたのことを特別に気にかけているんだもん。
もちろん、あなたの家の3匹の🐶ワンコたちも含めてね😆)
夜も更けてきました。みなさん、おやすみなさい。
早く新しいドラマの宣伝活動が始まって、
オフラインのファンミーティングで船長に会える日が来ることを楽しみにしています。
やっぱ 感想を交えながらのレポ 読みやすくて、面白いですネww
(いつも本当にありがとうございます)
ではでは今日はこのへんで。ここまでご覧くださりありがとうございましたww
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