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チャンジャーハン、朗読VTRの第3弾公開!「幸福のデザイン③」(全文和訳)

しばらく中断されてた、ハンハンの朗読VTR。
ついに 昨晩、第3弾が公開されました (〃▽〃)ポッ

目次

チャンジャーハンのグッドナイトストーリーVTR「幸福のデザイン」3

もともと、公式サイトで「音声企画」として公開されてきた、ハンハンの読み聞かせ(お休み前の朗読企画)。
7月から映像版に進化したのだけど その第3弾が 今日紹介する内容です。

※史鉄生の『幸運のデザイン』を朗読しているハンハン。
過去2回分は、こちらで紹介しています。

①7/26投稿 チャンジャーハン、朗読VTR「幸福のデザイン①」公開(映像版「グッドナイトストーリー」)

②8/2 チャンジャーハン公式Youtube発「グッドナイトストーリー幸福のデザイン②」動画&全文和訳

ということで 以下。最新版の映像と和訳です♪

张哲瀚|晚睡故事「好运设计」3(チャンジャーハン|グッドナイトストーリー「幸福のデザイン③)

『幸運のデザイン』史鉄生3

あなたの幸運は、まったく人に嫉妬されるほどだ。

なぜなら、スポーツもまた、あなたの得意分野だからだ。

9秒91、わかるだろうか? 
2時間5分59秒、わかるだろうか? 

つまり、100メートル走からマラソンまで、
距離がどれほど長くても、
あなたより速く走れる者はいないということだ。

2メートル45、
8メートル91、
これが何を意味するかわかるだろうか? 

つまり、あなたより高く跳べる者も、
あなたより遠くへ跳べる者もいないということだ。

23メートル、80メートル、100メートルを突破する。

つまり、砲丸投げであれ、円盤投げであれ、
やり投げであれ、投てき競技においても、
やはりあなたには敵う者がいないということだ。

もちろん、これだけでは足りない。
幸運に、これで十分ということなどあるだろうか?

ほとんどすべてのスポーツを、
あなたはこなすことができる。

水泳、スキー、スケート、サッカー、
バスケットボール、
さらにはフェンシング、馬術、射撃、
さらにはトライアスロンに至るまで、
あなたはどれも見事に、軽やかに、美しくやってのける。

あなたが走れば、
全身の肌が波のようにうねり、
旗のようにはためく。

あなたが跳べば、大地にも弾力が生まれ、
空中にも身を預ける支えがあるかのようだ。

あなたは波を切り、水と戯れ、
体を曲げ伸ばし、伸びやかに身を翻し、
神出鬼没に動く。

氷原や雪原では、身を翻し、
自在に移動し、風や稲妻のように駆け抜ける。

あなたにとって生命とは、祝祭であり、
祝典であり、狂歓のひとときだ。

それはもはやスポーツではない。
あなたはスポーツを、
単なるスポーツではないものへと変えてしまった。

幸運な人よ、それは舞踊だ。

それは人の世で最も自然で、最も偽りのない舞踊だ。

それは芸術であり、神に選ばれた、
最も素朴で最も輝かしい芸術の形なのだ。

このとき、あなた自身を含め、
あなたの肉体も精神も、すべてが芸術となる。

幸運なあなた、世界で最も幸運なあなたが、
よりによって神から、美の化身として選ばれたのだ。

続いて、あなたは恋の季節を迎える。
あなたは18歳、あるいは19歳か20歳になっている。

このころ、あなたは名門大学で学び、
誰もが最も憧れる学部の、
最も畏敬の念を抱かれる専攻に進んでいる。

成績も優秀で、さまざまな賞がまたもや、
我先にとあなたのもとへ押しかけてくる。

すでに身長は1メートル88。
喉仏が目立ちはじめ、唇の上には黒いけれど、
まだ柔らかなひげが生えはじめる。

ちょうどこのころ、あなたの声は
深みのある魅惑的なものへと変わり、
100メートル走の記録も10秒の壁を破りはじめる。

動くときも静かにしているときも、
座るときも横になるときも、
その一挙手一投足から
男らしい輝きがあふれている。

要するに、これまで設計してきた数々の長所、
あるいは優位性によって、
あからさまにあなたを追いかける娘たちや、
そぶりには出さず
あなたに思いを寄せる娘たちは、
すでに群れを成すほどになっている。

教室では、彼女たちのいつもとは違う視線をたびたび感じ、
食堂では、彼女たちがあなたについてひそひそと話す声を耳にする。

夜の催しでは、彼女たちはあなたの歌声に魅了され、
運動会では、あなたの姿に心を揺さぶられ、
我を忘れて歓声を上げ、飛び跳ねる。

けれども、あなたはいつもただ断る。
断り、また断る。

遠回しに、しかし誠実に断り、
善意をもって巧みに逃れる。

そのため、自尊心の高い娘たちのなかには、
傷ついて涙を流す者さえいる。

ところがある日、
あなたが運動場で力を抜いてゆっくり走っていると、
同じようにジョギングをしている見知らぬ娘が、
ふいに目に入る。

彼女の鍛えられた美しさは、
あなたに少しも劣らない。

すらりと伸びた両脚も、敏捷な足取りも、
あなたに少しも劣らない。

生命から注がれた寵愛も、
青春から与えられた豊かさも、
決してあなたに引けを取らない。

けれども彼女は、
あなたの存在にまったく気づいていないようだ。

ただ一人でまっすぐ前を見つめて走り続ける。
まるで彼女とその美しさ以外、
この世界には何も存在していないかのように。

それどころか、自分自身にも、
自らの美しさにも気を留めることなく、
ただそれが思いのままに流れ、
自然のままに湧き動くに任せている。

ところがあなたは、
彼女の美しさと自信に圧倒され、
その優雅さと健やかさに呆然とする。

彼女が突然目の前に現れたことで、
心はうつろになり、
どうしてよいかわからなくなる。

(彼女にも同じように「幸運の設計」をしてあげることができる。彼女は神が生み出した完璧な作品だ。幸運な一人の男のために、この世界には当然、完璧な一人の女がいるべきなのだ。もちろん、その逆も同じである。)

そこであなたは走るのをやめ、
トラック脇の柵にもたれかかり、すべてを忘れて、ただ彼女を見つめる。

彼女はあまりにも軽やかに、
あまりにも悠然と、あまりにも優美に、
あまりにも輝かしく走っている。

あなたは彼女に微笑みかけ、
少しばかり敬意を示したいと思う。

けれども、彼女はそんな機会を与えてくれない。

何周走っても、あなたに気づくことはない。
そして、彼女は去っていく。

実に単純なことだ。

つまり、走り終えたから帰るべきときが来て、帰っていった。
それだけのことだ。

つまり彼女は去り、去ってから長い時間がたっても、
あなたはまだその場に立っている。

つまり、運動場はがらんとして、
そこにはあなた一人だけが残されている。

あなたは生まれて初めて、もの悲しさと孤独を感じる。

彼女はあなたが誰なのかを知らず、
あなたも彼女がどこから来たのかを知らない。

けれども、あなたは彼女を心に刻む。

しかし、幸運の神は依然としてあなたとともにいる。

その後、あなたは図書館で再び彼女を見かける。
あらゆる手を尽くし、
ようやく彼女がどの学部にいるのかを突き止める。

その後、あなたはプールで再び彼女を見かける。
遠回しに人から聞き出して、彼女の名前を知る。

その後、あなたはスケート場で再び彼女を見かける。
彼女の周囲で、そ知らぬふりをしながら、
ありとあらゆる技や腕前を披露し、ついに彼女の注意を引く。

その後、あなたは表彰台で彼女と一緒に並ぶ。
このとき、彼女はあなたに微笑みかける。
その微笑みを、
あなたは生涯忘れることができなくなる。

その後、あなたは友人の家で彼女と一緒に昼食をとる。
(あなたと友人は、このためにずっと前から計画を練っていた。)

こうして、二人はようやく知り合いになった。
二人はたくさんのことを語り合い、話は弾み、熱を帯びる。

その後は、あなたが彼女を訪ねるか、
彼女があなたを訪ねてくる。

春、夏、秋、冬、春、夏、秋、冬。

彼女があなたを訪ねてくるか、
あなたが彼女を訪ねる。

春、夏、秋、冬……。

要するに、結局のところ、二人はついに結ばれる。

あなたは幸運な人だ。

少なくとも、私たちの「幸運の設計」にはそう書かれている。
だから、あなたは何もかも思いどおりになる。

もしかすると、すでに気づいているかもしれない。
私たちの「幸運の設計」は、
ここに来て、いささか粗雑になっている。

そのとおりだ。

しかし、それをもっと緻密に、もっと完璧に、
もっとロマンチックに、
もっと魅力的にできないからでは決してない。

そうではなく、ふと少しばかり疑念が生じ、
わずかな困惑を覚えたからだ。
淡い影が姿を現し、こちらへ近づいてきている。

どうか私たちが、その影から逃れ、
それを消し去ることができますように。

その影は、最初、このように姿を現した。

これほど思いどおりで、
これほど順調で、
これほど申し分のない恋愛と結婚のなかで、
あなたは幸福を存分に味わうことができるだろうか?

つまり、挫折もなく、険しい道のりもなく、
待ち焦がれるほどの切実な願いもなく、
胸を引き裂かれるような苦しみもなく、
死にたいほどの苦痛を伴う執着や狂気もなく、
たとえ幾度死のうとも
悔いないほどの追求と待望もない。

そんななかで成功が訪れたとき、
あなたは万感胸に迫るような喜びを味わえるだろうか?

成功が訪れたあとにも、
骨身に刻まれるほどの幸福が残るだろうか? 

あるいは、その喜びはいったいどれほどのものになるのだろう? 
その幸福を、どれほど長く大切にできるのだろう?

あまりに順調であるために、
その魅力が薄れてしまうことはないだろうか? 

あまりに完全であるために、
渇望が塞がれ、想像力が制限され、
情熱が失われてしまうことはないだろうか?

そして、その後の長い歳月を、
ただ一つの経済法則、
一つの生理的な手順、
一つの物理的な時間に従って過ごす一方で、
心の道はすでに荒れ果てていく。

やがて飽き、流言や噂話でその退屈を紛らわせ、
次には感覚が麻痺し、
さらに冗談やふざけた言葉によって、
その麻痺をいっそう深めていく。

そうはならないだろうか? 
本当に、そうならないだろうか?

地球が、あまりにも容易に、
あまりにも思いどおりに月をその腕のなかへ抱き込み、
晴れたり曇ったり、
満ちたり欠けたりすることがなくなり、
潮の満ち引きもなくなったとしたら。

距離がなければ道のりもなく、
斥力がなければ引力もない。それはいったい何なのだろう?

答えは明白だ。それは死である。

もちろん、すべてはそこへ向かっている。

もちろん、そこはすべての行き着く先であり、
宇宙も静寂へと向かっている。

しかし今この瞬間、宇宙は回転し、疾走し、
高らかに歌い、激しく舞っている。

はるかに続く星の川と、果てしなく流れる時の力を借り、
その道のりを味わっている。
崩壊したあとも消えることのない低い歌声を味わい、
爆発のあとに響く輝かしい詠嘆を味わい、
追い求めることと待つことを味わっている。

これこそが幸運だ。
これこそが本当の幸運なのだ。

まさに死を迎える前に、
壮大な波のように思う存分ほとばしり、
色鮮やかに燃え上がること。

それこそが、
幸運な者だけに与えられた恵まれた機会なのだ。

あなたは幸運な者だ。
このことを、しっかり心に刻んでおかなければならない。

だから、あなたは世間一般の平凡な人々が抱く夢を真似てはならない。
私たちもまた、空は晴れ、太陽は明るく、水は静まり、
風もなく穏やかだというだけの設計に、満足してはならない。

いわゆる幸運、いわゆる幸福とは、
明らかに客観的な一つの過程ではない。

それは完全に心が感じるものであり、
ただ強烈な幸福感にほかならない。

幸福感。そうだ。

苦痛や苦難がなければ、
幸福を強烈に感じることはできない。

そうだ。

それでは、ただ快適なだけであり、
ただ平凡なだけだ。幸運ではなく、幸福でもない。

今度こそ、これでいい。

ではここで、私たちの「設計」をどのように調整すれば、
あの不吉な影を振り払い、
そこから遠く離れることができるのか、考えてみよう。

もしかすると私たちは、あなたのために、
ほんの少しだけ困難を付け加えなければならないかもしれない。

それほど大きくはない険しい道のりや挫折、
さらには、いくらかの必要な苦痛や苦難さえも。

あなたの幸福の価値が下がってしまわないように、
私たちはそうしなければならない。

もちろん、その加減には十分注意するつもりだ。

引き続き、恋愛を例にしてみよう。

私たちは、こんなふうにしてはどうかと考える。

まず初めに、将来あなたの義父母となる二人に、
あなたたちの恋愛へ反対する立場を取らせる。

彼らは、あなたをあまり気に入らない。
将来の義兄や義妹、義兄の妻、義妹の恋人などを含め、
一家の者たちがそろって、あなたを気に入らない。

義父は、こんなことになるくらいなら死んだほうがましだと言う。
義母は、こんなことになるくらいなら寿命が縮んだほうがましだと言う。

そこで義兄は、命を受けてあなたの職場の上司を訪ね、
あなたが一つの幸せな家庭を壊したと訴える。

義妹は涙を流しながら、
姉にもう一度、さらにもう一度よく考えるよう説得する。
父には心臓病があり、母には高血圧があるのだと。

すると義父は、自分は死んでも死にきれないと言う。
義母は、死んで幽霊になっても、あなたたちを許さないと言う。

あなたは幸運な人だ。
あなたは、あの娘を本当に見誤ってはいなかった。

彼女はあなたを一途に深く愛し、
その思いは初めから終わりまで変わらない。

彼女は言う。

「こんなことになるくらいなら、
私があの人たちより先に死んだほうがいい。
でも死ぬ前に、どうしても一つ尋ねなければならないことがあります」――。

「お尋ねしますが、彼のどこが、あなたたちに劣っているのですか? 
彼のどこがいけないのですか?」

そうだ。彼のどこがいけないのだろう?

あなた――
そう、あなたのことだ。あなたのどこがいけないのだろう?

娘の両親が返す言葉を失うだけでなく、
私たちでさえ答えることができない。

これまでの設計によれば、
あなたには悪いところなど一つもないように見える。

あなたはまったく非の打ちどころがない。

あの二人の老人が、狂っているわけでも、
愚か者でも、精神的に異常なわけでもないとしたら、
なぜあなたが自分たちの婿になることに反対するのだろう?

だから、この点には少し修正を加えなければならない。

あなたはもう、完璧な人間であってはならない。

少なくとも一つは弱点が必要だ。
それどころか、かなり重大な欠点、
世の中のたいていの義父母が受け入れがたいような欠点が必要になる。

そしてあなたは、愛に励まされ、
横暴なあの二人の老人から向けられる、
かなり筋の通った蔑視に刺激されて、固い決意をする。

退路を断ち、奮起して努力し、
あらゆる苦難を乗り越え、
ついには大きなことを成し遂げ、まばゆいばかりの輝きを放つ。

ついには、あの二人の老人を震撼させ、
感動させ、自らの行いを恥じて悔やませる。

こうして二人は心から納得し、
あなたを婿として認める。

あなたは目に涙を浮かべ、喜びに我を忘れる。

そして突然、空はひときわ青く、
地球は驚くほど丸いことに気づく。

優しい思いは水のように流れ、
幸せなひとときは夢のように過ぎ、幸福はいつまでも続いていく。

こうしなければならないのだろうか?

こうしなければならない。

おそらく、こうしなければならないのだ。

終わり

この朗読で、伝わってくるもの(幸福は、挫折や苦労を乗り越えたときにこそ感じる)

まだ第3弾が終わったところで まだまだ この先の話があるのだけど
すでに 今日の朗読部分だけで 伝わってくるものもあり ちょこっと書き留めますネ😅

※以下私見。

今回の流れをまとめると、
最初は、容姿・頭脳・運動能力・才能・恋愛まで、
何もかも完璧な「世界一幸運な人」を設計
していたのに、

作者が途中で、疑問を投げかけたのが、
何の苦労もなく、すべて思いどおりになる人生で、
本当に幸福を感じられるのか?
という部分でした(;・∀・)。

そこで 何をしたかというと
幸福を強く感じさせるために、
わざと人生へ苦痛や挫折を加えよう
とした部分が登場します。

恋人の家族に猛反対させる
→ 本人に重大な欠点を持たせる
→ 努力して克服させる
→ 家族に認めさせる
→ 感動の大団円

という、試練を経た上での「幸福を設計」したわけなのだけど…(^-^;

完璧な幸運は、ただ快適で平凡なだけ。
苦痛や困難がなければ、人は幸福を幸福として強く感じられないのではないか

という話。

ここまで3回もかけて、
完璧な幸運を設計する → 完璧すぎると幸福を感じられない → では適度な苦難を加えよう

「幸運とは何か」という本題の入口に立ったのが、今回の第3弾。
この先 どういうオチになるのか… またハンハンの朗読の続きが気になるところです。

※これは余談だけど ハンハンが一貫して読書してきた本には
「人生の苦難を乗り越える」話がとても多い気がします。
あの事件を経て 今まさに その苦難を乗り越えてる最中だからこそ、
こういう書籍に惹かれるのだと思うし、人生の深い部分も そこにある、んじゃないかな?

ハンハンが ふつうのスターとは全く違う才能の持ち主であり、
ふつうのスターが経験しない境遇の持ち主でもある事実が、とても深いメッセージ性をもつような気がします…

また、続きの第4弾が公開されたら また 読み込んでみましょう!😅

といいつつ、グッドナイトストーリーって、基本「寝物語」だから。
うとうとさせるために読んでるものでもあるわけだから、深い意味なんて考えず。
ハンハンの声を聴いて、いい夢見る企画なんじゃ?と思うんだけど…😅
ついつい 意味を考えちゃいますネ
でも意味はともかく ハンハンが好きな文章を読みきかせてくれてるわけだから、引き続き和訳する予定です。ボチボチいきましょ~( ̄∇ ̄;)

ではでは 今日はこのへんで。ここまでご覧くださりありがとうございましたww

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