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チャンジャーハンのママブログ8/7更新分「心は遠くを目指し、歳月に老いず」

しばらく点検していなかった ハンハンママのブログww
なんと 8/7に1本 更新されておりました(;・∀・)

超~遅ればせなんですが 今日は このブログを全文和訳でご紹介します。

目次

チャンママのブログ8月7日の投稿「心向远方,岁月不老」

ハンハンママが、8月7日に投稿したブログ。


以下全文和訳です😅

張ママ8/7投稿「心向远方,岁月不老(心は遠くを目指し、歳月に老いず)」全文和訳

心は遠くを目指し、歳月に老いず

多くの人は、情熱にあふれ、
生き生きとしていられるのは、若い頃だけだと思っています。

まるで、青く未熟だった歳月を過ぎ、
年齢を重ねていけば、
憧れをしまい込み、
変わり映えのしない日常に安住し、
決められた型に従って
一生を終えるべきであるかのようです。

長い道のりを歩んできて、
ようやく見えてきたことがあります。

肉体の老いは時の流れに従うものですが、
精神の老いは、
ただ心のあり方にかかわるものです。

心が遠くを目指してこそ、
歳月を重ねても老いることはありません。

本当の若さとは、
外見や顔立ちとは関係なく、
心の奥でいつも山や海の彼方に憧れ、
世の中の美しいものへと向かい、
それを探し求める情熱を持ち続けることです。

歳月は年輪を重ね、経験を積み重ね、
心の尖った部分を丸くしていきます。

しかし、心の中にある「好き」という思いまで
消し去ってしまうべきではありません。

肉体が老いていくことは自然の摂理です。

私たちは時の流れを止めることはできませんが、
自律とおおらかな心によって
内面を豊かにし、老いの気配を脱ぎ去り、
心も身体もいつも陽の光に向かって
伸びやかに生きていくことはできます。

以前、劉暁慶(リウ・シャオチン※)のあるインタビューを見たことがあり、
とても印象に残っています。
彼女は飾らず、さっぱりとした口調でこう語っていました。

※劉暁慶(リウ・シャオチン)中国の有名な女優。
少し前に紹介したママブログに出てきたのと同じ方です。

「『七十古来稀なり※』っていうけど、
古来稀もクソもないでしょう。

※「70歳まで生きる人は、昔から非常に珍しい」という意味。
日本でもおなじみの「古希」のいわれ。杜甫(とほ)**の詩「曲江」に登場する言葉。

どうして私は優雅に老いていかなきゃいけないの? 
牙をむき、爪を振りかざしながら
老いていったっていいじゃない?」

それを聞いて、思わず笑ってしまいました。

この言葉は世俗のしがらみから抜け出したもので、
静かに埋もれてしまうことを
よしとしない生命力に満ちています。

心を静めてじっくり考えてみると、
私の中にも共感するところがあり、
それと同時に、自分なりに感じることもありました。

いわゆる「七十古来稀なり」という言葉は、
物資が乏しく、医療も限られていた昔の時代に生まれたもので、
今日ではとうに時代にそぐわなくなっています。

今は暮らしも豊かになり、
長寿の人は至るところにいます。

70歳などごく普通の年齢にすぎず、
「稀(まれ)」と呼ぶほどのものではありません。

私は、この「老いに屈しない」という姿勢には共感します。

人生は年齢によって枠にはめられる必要はありませんし、
年齢を重ねるにつれて、自ら狭い世界に閉じこもり、
静かに埋もれていくことを受け入れる必要もありません。

人が歳月とどのように付き合っていくかは、
もともと人それぞれであり、それぞれに自分なりの修養があります。

私は、奔放に振る舞い、
反骨心をむき出しにして、
あえて流れゆく歳月に抗うよりも、
穏やかに自分を保ちながら、優雅に老いていきたいと思っています。

優雅に老いていくということは、
人生の半ばまでに経験した
さまざまな風雨によって培われた教養であり、
数多くのことを経験した末に身につけた、
物事を見通す澄んだ心です。

それは、時がもたらしてくれるものを
穏やかに受け入れる余裕であり、
歳月によって磨き上げられた、
柔らかく穏やかな気質です。

慌てることも焦ることもなく、自由に、自分の心のままに。

歳月と穏やかに寄り添うことを学び、
流れゆく時の中で心を磨き、静かに自分を深めながら、
品位と偽りのない心、そして物事を見通す澄んだ心を守っていく。

年齢を重ねることを受け入れ、
一つひとつの経験によって
視野と物事を見る器を広げていけば、
人生はおのずと、
ますます穏やかでゆとりのあるものになっていくでしょう。

歳月と向き合うとき、
情熱的でおおらかに生きる人もいれば、
静かに自分を律して生きる人もいます。

この二つの姿勢に、優劣も正誤もありません。

奔放さは生き生きと生きる自信であり、
優雅さは歳月を重ねた人の品位です。

物事をよくわかっている人は、
年齢を重ねることを穏やかに受け入れながらも、
決して心が沈んでいくままにはせず、
流れゆく歳月を無駄にはしません。

どのような形で歳月と付き合っていくにせよ、
心の中から遠くへの憧れを失ってはいけません。

それこそが、老いの気配に抗い、
いつまでも生き生きとあり続けるための根本なのです。

世間ではいつも、成長することや年齢を重ねることに対して
偏った見方があります。

人はある年齢になれば、
自分の好きなことを控え、
感情や気質を抑え、
分をわきまえて昔ながらのやり方を守るべきだと思われています。

しかし私は、ずっとこう信じています。

人は老いたから好きなものへの情熱を失うのではなく、
情熱を失ったときにこそ、本当に老いるのだと。

肉体の老いとは、額にしわが刻まれ、
こめかみの髪がすっかり白くなっていくことです。

しかし、魂の老いは、
もともと年齢とは何の関係もありません。

それは、感覚が閉ざされ、
情熱がしぼんでいくことです。

暮らしに何の面白みも感じなくなり、
あらゆるものへの期待を失うことです。

たとえまだ若く、身体は生き生きとしていても、
精神はとっくに冬眠に入ってしまっている人が大勢います。

食べても味わいを感じず、
何かを見ても心が動かず、
新しい知識を拒み、変化を恐れ、
来る日も来る日も機械のように日々を送り、
麻痺したように生きています。

このように生命力が失われていくことは、
病の苦しみよりもはるかに恐ろしいものです。
それは、魂が最も徹底的に荒れ果ててしまった状態なのです。

魂を決して枯れさせないために、
最もよい「鮮度を保つもの」は、感覚の生命力を守る
ことです。

第一に、生活に対する感受性を保つことです。

黄庭堅の詩にこうあります。

「桃李春風一杯酒、江湖夜雨十年灯※」

(意味:桃や李(すもも)の花が咲く春風の中で、一杯の酒を酌み交わした。
それから十年、江湖をさすらい、夜の雨の中、灯火のもとで過ごしてきた」
🌟かつて友人と楽しく過ごした春の日の思い出と、
そこから別れて十年という長い歳月をそれぞれ離れた場所で過ごしてきた寂しさ込められた詩)

人生において尊いものは、決して寿命の長さではなく、
美しいものを感じ取り、
暮らしに共感する力をいつまでも持ち続けること
です。

決して自分自身を、
よどんだ一つの水たまりのようにしてはいけません。

好きなものへの思いを閉ざし、
新しいものを拒み、変化を恐れる。
それは落ち着きではなく、
音もなくひっそりと進んでいく老いなのです。

第二に、自ら生活に新鮮さをつくり出すことです。

固定化された生活リズム、
繰り返される行動パターン、
限られた人間関係は、少しずつ人の生気を空っぽにしていきます。

心理学では、生活の繰り返しの度合いが高いほど、
人生の質感は薄くなり、心が空虚で荒れ果てた状態になりやすいといいます。

本当の「老いへの抵抗」とは、
決して意識して養生することではありません。

たまにはいつもと違う道を歩いてみる、
新しいことを一つ学んでみる、新しい体験をしてみる、一つひとつの変化を受け入れることです。

身体は動かなければ衰え、魂は変わらなければ枯れていきます。

第三に、決して自らを閉ざさないことです。

多くの人は、
自分の置かれた境遇や年齢を言い訳にして、
その場にとどまり、
すべての新旧の移り変わりを拒むことに慣れてしまっています。

けれど実際に自分を閉じ込めているのは、
歳月ではありません。

自らの手で、自分の生命力に貼り付けた封印なのです。

肉体の老いは元に戻すことができません。

しかし、魂が枯れていくことは、十分に防ぐことができます。

人生には、二つの「長寿」の境地があります。

肉体の長寿とは、病気も痛みもなく、
穏やかに日々を送ること。

魂の長寿とは、瞳には光があり、
心には温もりがあり、暮らしには味わいがあること
です。

たとえ歳月に促されるように老いていったとしても、
感覚はなお鋭く、魂はいつまでも生き生きとしている。

それこそが、一人の人間にとって最も上質な「品位」なのです。

心に愛するものを抱き、瞳の先に遠くを見つめていれば、
人生の境界に閉じ込められることは、決してありません。

普段の私の生活は、穏やかで規則正しく、
家庭と職場を行き来する、
二地点を一直線に往復するような日々の繰り返しです。

家では本を読み、文章を書き、運動をし、
心身を整え、自分を養っています。

職場では地道に仕事に取り組み、
一歩ずつ着実に自分を高めています。

けれど私は、長いあいだ固定化された生活こそが、
最も人の生気をすり減らし、
視野を狭いところに閉じ込めやすいことをよくわかっています。

変わることのない日常は、
まるで扉も窓も固く閉ざされた部屋のようです。

安定してはいても息苦しく、
爽やかな風も新鮮さも足りません。

だからこそ私は、いつも遠くに憧れ、
立ち止まりたくないのです。

狭い場所にとどまり続ければ、
心は静かに沈んでいきやすい。

絶えずどこかへ向かって歩み続けることは、
「心は遠くを目指す」ことの、最も素朴な実践なのです。

私は、人生を目の前にある、
日々の細々とした暮らしだけに限定したくありません。

平凡な日常は暮らしの基調ですが、
人生の本当の豊かさは、山や海へと向かう道の途中にあり、
この世のさまざまな人々の暮らしの中にあります。

私は、決まりきった軌道から飛び出し、
見知らぬ街角や広々とした天地へと向かい、
異なる土地の風土や人情に出会い、
多様な美しさを受け入れることが好きです。

旅立つたびに、それは平凡さから抜け出すための一歩となり、
一つひとつの旅は、好きなものへの情熱をつなぎ、
自分の本心を守り続けることになります。

少し前、私は親しい女友達と早くから広西への旅行を約束し、
久しぶりの再会と、
肩の力を抜いて出かける旅を心から楽しみにしていました。

ところが、出発直前になって柳州で地震が発生しました。

安全を考え、長いあいだ楽しみにしていた旅は、
残念ながら断念するしかありませんでした。

旅が実現しなかったことへの心残りはありましたが、
それによって遠くへ向かいたいという
私の情熱が薄れることはありませんでした。

一度の心残りくらいで、
心の中にある「どこかへ向かいたい」という思いを
閉じ込めることはできません。

遠くへ旅することの意味は、
決して目的地の景色だけにあるのではありません。

心いっぱいに期待する偽りのない気持ち、
心を込めて準備する喜び、
そして、いつまでも旅立ちを楽しみにし、
いつまでも未知のものに憧れる本心にもあります。

目的地にたどり着けるかどうかは巡り合わせ次第です。

しかし、遠くを目指す心の情熱は、
決して現実の束縛を受けるものではありません。

旅の計画が決まるたび、心の中には純粋な喜びが湧いてきます。

この喜びは年齢や境遇とは関係なく、
この世界に対する最も偽りのない愛情から生まれるものです。

旅先の風物を調べ、荷物を整えること。

ほかの人から見れば些細なことかもしれませんが、
私にとっては、平凡な歳月の中で心を最も癒してくれる、一つの大切な儀式です。

荷物を整えることは、
これから先の道へ向けて力を蓄えることであり、
世界へと向かって出発することでもあります。

私はいつも願っています。

一度旅に出るたびに、新しい景色の扉を開き、
新たな巡り合わせと出会い、
そして、より物事を見通し、
より生き生きとした自分自身に出会えることを。

私はとりわけ、心に期待を抱き、
まさに遠くへ旅立とうとしているときの自分の状態を大切にしています。

それは、繰り返される日常に楽しみをもたらし、
平凡な歳月に光を与えてくれます。

人生には、二つの修養があります。

一つは今この瞬間に根を張り、
日々の暮らしを着実に営み、生活の土台をしっかりと築くこと。

もう一つは外へ向かって成長し、
狭い世界の束縛を打ち破り、人生の視野と器を広げること
です。

安定は人生の基調であり、
どこかへ向かって歩み続けることは良い処方箋です。

私はいつも、健康でいられる年月には、
毎年遠くへ旅をし、一歩一歩前へ進んでいきたいと願っています。

歩みを止めることなく視野を広げ、
好奇心をいつも新鮮に保つ。

人生の厚みは、決して同じ場所で
安穏としていることにあるのではなく、
道を歩く中で得る見聞や体験、
そして成長にあるのです。

私の身近には、
長年私について
深圳で懸命に働いてきた二人の若者がいます。

置かれている境遇も似ていて、
年齢も近い二人ですが、
その生き方はまったく異なります。

そして、その二人を見ていると、
私はますます確信するのです。

若者らしい気概とは、
決して年齢に関係するものではなく、
ただ心のあり方と、
前へ向かって進み続けることにかかわるものなのだと。

一人は、生き生きとした性格で、
限られた世界に甘んじることなく、
いつも遠くに憧れ、歩みを止めません。

暇があれば山に登り、海へ行き、
山野へと出かけ、
自ら進んで居心地のよい場所から抜け出し、
新しいものを受け入れ、新たな体験を重ねています。

彼はいつも世界に好奇心を抱き、
いつも自分自身を乗り越えようとしています。

このような人は、
決して歳月によって心を閉じ込められることはありません。

もう一人は内向的な性格で、
安定した暮らしを好み、
長年変わることのない生活リズムを守り続けています。

会社と住まいを往復し、
来る日も来る日も、その二地点だけを行き来しています。

私はよく彼に、もっと外へ出て、
広大な山河を見てみるよう勧めます。

しかし彼はいつもあまり興味を示さず、今の状態に満足しています。

この静かな生き方そのものが
間違っているわけではありません。

しかし、長いあいだ狭い世界にとどまり、
新しい知識を拒んでいると、
生活から流動性や新鮮さが失われ、
心も少しずつ生き生きとしたものではなくなり、
外の世界を探求する活力も徐々に失われていきます。

まさにそのような姿を目にしているからこそ、
私は彼の心の奥にある
遠くへの憧れを呼び覚ます方法を、
絶えず考えています。

外へ出て何かを見てみたいという気持ちに
火をつけようとしているのです。

何千里もの遠い旅をする必要はありません。

ただ少なくとも、
変わることのない閉じた循環の中に、
いつまでも自分自身を閉じ込めないでほしいのです。

同じような年齢でありながら、
二つの異なる生き方。
それが、最も素朴な真実を物語っています。

本当の老いとは、
心を閉ざし、歩みを止めること。
本当の若々しさとは、
いつまでも遠くに憧れ、
そこへ向かって歩み続けることです。

情熱をもって前へ進むことは、
生き生きとした生き方です。

一方、穏やかにその場所を守ることも、
また一つの選択です。

どちらが優れている、
劣っているということではありません。
ただ選択が異なり、
それぞれが歩んできた経験が異なるだけです。

しかし、人と人との最終的な精神面での違いは、
心の中に「遠く」を抱くことができるかどうかから始まります。

世間はいつも、
人生を型にはめて決めつけます。

若いうちは外へ出て挑戦するべきで、
年齢を重ねれば安定して暮らすべきだ、と。

けれど、これまで歩んできた中で私は、
青春のただ中にいながら、
考え方が凝り固まり、変化を恐れ、
味気なく荒涼とした日々を送っている人を
あまりにも多く見てきました。

その一方で、幾多の風雨をくぐり抜け、
世の中の移り変わりを十分に見てきてもなお情熱を失わず、
世間のさまざまな事情を経験しても
なお純粋さを失わず、
熱気に満ちて生きている人たちも、
数えきれないほど見てきました。

本当の「少年らしさ」とは、
決して若々しい外見のことではありません。
人生に磨かれたあともなお、この世界を愛し、
これから先の道へ向かって進んでいこうとする、
偽りのないまっすぐな心のことです。

心の中で消えることのない好奇心と、
歩みを止めない勇気は、
平凡さを打ち破り、束縛から抜け出させ、
人をいつまでも上へ向かって成長させ、
人生に秘められた無限の可能性を垣間見せてくれます。

安定した暮らしを守ることには、
それならではの静かで穏やかな美しさがあります。

しかし、長いあいだ狭い世界に閉じこもり、
ほとんど外を探求することなく過ごしていると、
探求したいという気持ちは薄れ、
視野も狭くなり、
暮らしには変わることのない穏やかさだけが残り、
少しずつ起伏や新鮮さが失われていきます。

二つの生き方には、それぞれ得るものと手放すものがあります。

その中で私は、いつも「道の途中にいること」を好みます。

絶えずどこかへ向かうことで
自分自身を豊かにし、
心の奥にある偽りのないまっすぐな気持ちと、
生き生きとした心をいつまでも守っていたいのです。

生き生きとあり続けることは、
それ自体が生涯にわたる修養です。

本当に物事を見通すことのできる人の修養とは、
広大な天地を見たあとに生まれる謙虚さであり、
世の中のさまざまな風雨を経験したあとに
身につく優しさです。

私にとって、
何度も山や海へ向かって旅立つことは、
長い時間をかけて
自分自身を完成させていくことでもあります。

幾千里もの山河を歩き、
人の世のさまざまな姿を見てきてこそ、
あらゆるものを畏敬し、
違いを受け入れ、
人には穏やかに接し、
物事にはおおらかに向き合うことを知るようになります。

偏執的にならず、
狭い考えに陥らず、
自らを閉ざしてその場にとどまらない。

この物事を見通す心とゆとりは、
どれも遠くへの旅と探求が与えてくれた修養です。

多くの人の暮らしは、結局のところ、
日々の衣食や暮らしに追われる
平凡さから逃れることはできません。

しかし、人と人との視野や器の違いは、
まさに何度も出発し、
何度も探求していく中で生まれていきます。

繰り返される日常は
人の生気をすり減らしますが、
遠くの景色やそこでの巡り合わせは、
心の奥にある情熱を呼び覚まし、
人生の蓄積をより厚いものにしてくれます。

異なる山河は、それぞれ異なる心の世界を広げ、
異なる旅は、それぞれ異なる人生を積み重ねてくれます。

私はいつも、
世俗の平凡さの中に閉じ込められたくない
と思っています。

好奇心を守り、
どこかへ向かって歩み続けることを貫き、
健康で身体を動かせるかぎり、
生涯にわたって探求し続けたいのです。

人生は短く、
安定こそが最も尊い贈り物というわけではありません。

いつまでも心に愛するものを抱き、
いつまでも遠くに憧れ、
いつまでも旅立とうとすること。

それでこそ、
この人生を無駄にしなかったと言えるのです。

年齢によって人生を決めつけられる必要はありません。
歳月によって心を縛られる必要もなく、
安逸によって情熱をすり減らす必要もありません。

年齢を重ね、経験が積み重なっていっても、
心の奥にある愛するものへの思いと好奇心は、
いつまでも初めの頃のように生き生きと保つことができます。

本当の「少年らしさ」は、
年齢とは関係ありません。

ただ、自分の本心と、遠くを目指す心の中にあるのです。

心が遠くを目指していれば、
歳月の風雨を恐れることはありません。
歩みを止めなければ、いつまでも若くいられます。

これから先の人生も、心に愛するものを抱き、
瞳に星の光を宿し、
偽りのないまっすぐな心で広い天地へと向かい、
優しさをもって流れゆく歳月と向き合っていけますように。

いつまでも情熱を持ち、
いつまでも前へ向かい、いつまでも生き生きと。

初心は老いることなく、
歳を重ねるたびに陽の光へ向かって歩んでいけますように。

この文章を書き終えたあと、
親しい女友達に誘われ、
私はまもなく次の旅を始め、
また別の遠くの地へ向かいます。

前回、広西への旅が実現しなかった心残りを埋めるためです。

心の中は、
長年の友人と再会することへの期待と
弾むような喜びでいっぱいです。

荷物を整えることさえ、ちょっとした儀式のような気持ちになります。

それでは、出発の準備をします!

(コーラ:ママ、僕も一緒に遠くへ連れて行ってよ。)

原文サイトはこちら

今回、ハンハンの話は全然でてこなかったんだけど…
途中で出てきた エピソードの中に、「ママがまだガンガン働いてること」
「一緒に働いてる対照的なふたり」の話が出てきたこと。感慨深く拝読しました。

一昨年、ママが目の病気を患ったことで、社長業のメインはハンハンに移行したのかな?と。
勝手に想像してたんだけど… そうではない感じがしたり…(ママスゴイ)

一緒に働いてる人の ひとりは もしかしてシャオユ??と思ったり。
(シャオユ:ハンハンの幼馴染で、事件前はマネージャーでした。
最初のチベット旅行に同行して以降、あまり出てこないのだけど、
宝登源の運営を手伝ってるという話をみたことがあり…そうかも?と思ったのだけど果たして…)

いろいろ発見のあるブログでした。(^^ゞ

(ママの前向き&ポジティブな文章に、力をいただきました<(_ _)>)

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