昨晩遅く、ハンハンの公式YouTubeで公開された「グッドナイトストーリー」。
いつも、公式サイトで音声だけで公開されることが多かった朗読企画が、
ハンハンの映像で拝見&拝聴できる動画が公開されました (〃▽〃)ポッ
チャンジャーハン公式YouTubeで「グッドナイトストーリー」公開!
今回の映像は、ちょうど、今から1週間前に、
ハンハンがインスタ生ライブをした日に 同時収録した模様♪(〃▽〃)ポッ
※服装とシチュエーションが同じ
&ライブ中も「グッドナイトストーリー」を撮影したと言ってた通りでしたネ
ということで以下詳細。ハンハンが話した内容も 続けてご紹介します。
チャンジャーハン公式YouTube6/27公開「晚睡故事(グッドナイトストーリー)」朗読『木はたくさんのことを覚えている』
※上の動画がうまく表示されていないときは こちらから飛んでください
ハンハンが今回朗読したのは
「树会记住很多事 (『木はたくさんのことを覚えている』」作者 刘亮程。
※ハンハンは 以前もグッドナイトストーリーで、
この作家・劉亮程(リウ・リャンチョン)の本を朗読したことがあります。
(たぶん お気に入りの作家さんに違いない)
詳しくは過去投稿>>チャンジャーハンのグッドナイトストーリー第18弾「一人の村」
树会记住很多事 (『木はたくさんのことを覚えている』)は、
「人は、いつか忘れてしまうが、
木は、その土地で起きた出来事をずっと覚えている」という内容が描かれています。
ということで ハンハンが読んだ部分の内容は 以下のとおり。
チャンジャーハンが朗読した「木はたくさんのことを覚えている」内容和訳

『木はたくさんのことを覚えている』
チャンジャーハン「晚睡故事(グッドナイトストーリー)」朗読
もし私たちが、
この土地で何年暮らしてきたのかを忘れてしまっても、
一本の木を切ってみればいい。
庭の塀の角にある木でも、家の裏にある木でもかまわない。
その年輪を数えれば、おおよその年月がわかる。
木は、たくさんのことを覚えている。
しかし、ほかのものの記憶はあてにならない。
たとえば道は、
人の足跡を消し去り、枝分かれして人を別々の方向へ導いてしまう。
人もまた、多くの人や出来事を忘れてしまう。
では、本当にそれらを忘れてしまったとき、
人はいったい誰に尋ねればいいのだろう。
風に聞いてみよう。
けれど風は、あの秋、
追い風に乗って去って行ったあの人のことなど覚えてはいない。
空高く舞い上がった赤い布切れが、
最後にどこへ落ちたのかも気にしていない。
風は吹きたい場所へ吹き、
そこにさまざまなものを吹き寄せるだけだ。
私たちが失くしたものの多くは、
風によって場所を変えられてしまう。
何年も後になって、反対向きの風に吹き戻され、
土壁に当たって初めて見つかることもある。
まるで一つの夢を見ていたかのように。
また、あるものは昼も夜もわからないほどの大風に乗って村を越え、
どこまでも遠くへ運ばれ、そのまま二度と帰ってこない。
木は、むやみに動き回ることはない。
何十年、あるいは百年ものあいだ、
あのニレの木はずっと同じ場所に立ち続けている。
私たちは去り、また戻ってくる。
土壁は崩れ、屋根は風に吹き飛ばされ、
人も家畜も散り散りになる。
それでも私たちは大きな木の下に家を構え、
家の前や裏に木を植え、
それが少しでも早く大きく育つことを願う。
一本の木は、一生をかけて一つの風を受け止める。
その風はあまりにも激しく枝葉を揺らし、
葉は押し合いながら空へと伸び、
まるで道を切り開くように、さまざまな音を立てる。
人は一生のうちに、
一つの風が吹き荒れ、そして止むのを見ることがある。
それは、疾走していた馬車が車輪を失い、
車体が壊れ、積み荷が地面に散らばり、
最後には馬まで土埃の中へ倒れ込み、荒い息を何度かついて息絶えるようなものだ。
だが、その馬車がどこへ去ってしまったのかは、誰にもわからない。
風が吹き終わると、残るのは風が去ったあとの空しさだけだ。
木は、この天地のあいだで、何かを失っていく。
兄さん、おまえは地下へ探しに行ってくれ。
私は空へ探しに行こう。
木の根と幹は、互いに反対の方向へ伸びていく。
その二つが分かれる場所に、私たち家族は暮らしている。
父は木の幹にもたれ、母は小さな腰掛けに座る。
子どもたちは地面や切り株に腰を下ろしている。
食事を終えると、水を一杯飲み、さらにしばらく座ったままでいる。
庭の門は半開きのまま。
道を行き交う人や牛を眺めている。
地下で木の根が何を探しているのか、誰にもわからない。
私たちは毎日、木を見上げる。
青々と茂る枝葉のあいだから、何かを見つけているのではないかと思いながら。
もし見つけたなら、木は口笛を吹き、遠くへ行ってしまった枝葉を呼び戻すのだろう。
父さん、あなたは土の中を探してください。
私たちは地上で探します。
もし私たちの家が一本の木だったなら――。
私が先に土へ還る日が来たら、きっとこう言うだろう。
私たちも木のように、
ありったけの枝葉を伸ばし、
空いっぱいに手を広げ、
誰にも拾われずに残された陽の光や雨を集めよう。
ぐずぐずと動かない雲や、
鳥や虫の声までつかまえてきて、もう一度大地へ放してやろう。
けれど、私が本当に探しているのは、それらではない。
違うのだ。
空を見つけたら、それを「父さん」と呼ぼう。
一滴の水を見つけても。
一筋の陽の光を見つけても。
それを「父さん」と呼ぼう。
私たちは、本当は何を探しているのだろう。
何年も後になって、私はようやく気づいた。
私たちが本当に探していたもの。
そして、一度失えば二度と取り戻せないもの。
それは、あの時、あの瞬間の暮らしそのものだった。
それは消え去り、今もなお少しずつ忘れられていく。
幹の中に埋もれたあの枯れ枝は、
若かった頃、枝葉をいっぱいに広げていた日々を忘れてしまったのだろうか。
私はこの土地を離れてから、
一生の中でもっと小さな暮らしの情景ばかりを思い出すようになった。
幼いころ、地面に落ちていたのに気づかなかった一本の針。
何気なく聞き流した半分だけの言葉。
ふと交わした一瞬の眼差し。
振り返るたびに、私は生きるということを、
以前よりもっと深く、もっと辛抱強く愛せるようになった。
もし私が何かを忘れてしまっても――
葉の間から落ちた一滴の雨を。
耳元をかすめていった一筋の風を。
そんなささやかなものまで忘れてしまったとしても、
庭に立つあの古いニレの木が、
きっと思い出させてくれる。
父がかつて寄りかかっていた、
あの大きなニレの木がそこにある限り、
この天地のあいだで、思い出せないことなど何一つない。
私が八歳だった年、
母が何気なく木の枝に掛けた籠は、
そのまま木と一緒に大きくなっていった。
11歳の秋、
父は畑で拾った一束の麦を、
鶏につつかれないよう木の枝に挟んだ。
その枝は、いつの間にか
麦束を屋根より高く持ち上げ、半空にまで運んでいた。
そのあいだ、私たちは暮らしに追われ、
あの籠も、あの麦束も、いつしか忘れてしまっていた。
木だけが、一年また一年と、
静かにそれらを空へ近づけていたのだ。
今では、黄金色だった麦はすっかり色あせ、
穂はとうの昔に鳥たちが食べ尽くしてしまった。
籠の中には、
干した唐辛子が少し残っているのかもしれない。
あるいは、
数本のヨモギが入ったままなのかもしれない。
縁には白い鳥の糞がこびりつき、
中はもう空っぽになっているだろう。
私たちは、こんなにも長い年月を生きてきた。
一本の木が、
一束の麦と半籠の干し唐辛子を静かに持ち上げ続け、
屋根を越え、
空の途中まで運んでいたことにも気づかないまま。
「私たちは、とっくの昔に、
大切なものを空へ預けてしまっていたのだ」
何年も後のある朝だった。
午後になっても木には
まだ葉が出ていなかった。
一家そろって木の下で穀物のお粥をすすっていた。
小麦粉は一か月も前に底をつき、
穀物もあとわずか。
夕飯も、おそらくまたお粥だけだった。
飲み終えた茶碗を手にしたまま、
誰も立ち上がらない。
まだ何か食べるものがあるはずだと思いながら、
何もないことも知っていた。
一家は何かを考えているようで、
何も考えていないようでもあった。
ただ頭の中だけが、ぽっかりと空白になっていた。
兄がふと顔を上げて、一言つぶやいた。
そのとき私たちは一斉に空を見上げた。
木の枝には、あの一束の麦と、
あの籠が、今も掛かったままだった。
もし木までがそれらを忘れていたなら、
とうの昔に一本の枯れ木になっていただろう。
「戻っておいで。
もう探さなくていい。何も残っていないのだから」
木の根は地下で、失われた枝や葉を呼び続ける。
枝葉も、それに応えるように帰っていく。
まず葉が帰り、
一年また一年と枝も帰っていく。
葉がすべて落ちると、
枝だけがその場に立ち尽くす。
だが、それも長くはない。
人は一本の枯れ木を、いつまでも立たせてはおかない。
やがて切り倒され、
薪となり、
それでもまだ燃え残れば、
空気の中で静かに朽ちていく。
あるいは誰かが土に埋め、
長い年月を経て掘り起こし、
乾かし、
ほかの薪と積み重ねる。
もし木にも言葉があるのなら、
その長い歳月のあいだに、
きっと何かを語っていたはずだ。
一本の薪は、
どこへ置かれても何十年もの歳月を抱えている。
そのあいだ、木は少しずつ口を開いていく。
近づけば、木が口を開く音さえ聞こえてくる。
一度口を開けば、一つ言葉を語る。
やがて全身が口だらけになれば、
もう言葉を語ることはない。
私たちは、その薪をまたぎ、
踏み越えていく。
乾いた音だけが空しく響く。
根も幹も、
中にはもう何も残っていない。
たとえ何も語らなくても、
互いに向き合っているしかない。
一本のニレの木が朽ち、
切り株だけを残しても、
庭を直すとき以外、
誰もそれを動かそうとはしない。
そのまま朽ち果てていくだけだ。
その足元には、厚く積もった幾度もの秋の落ち葉。
そのそばには、私たち家族がいる。
あるいは――
もう、別の一家が暮らしているのかもしれない。
(映像字幕より和訳)
ハンハンが読む本には、ハンハンのこれまでの人生や志を彷彿とさせるものが多いのだけど
今回の内容も そんな雰囲気でした<(_ _)> YouTubeに入ってたコメントにも、それを感じ取ってるものも多くて いろいろ参考に。ちょこっと和訳でご紹介しますネ
YouTubeに入った海哲の皆さんのコメント 一部抜粋和訳
「あなたの人生みたいだね、イケメンさん。
丁寧に水を注がれ、大切に守られた一本の大樹。
今も枝葉を豊かに茂らせ、すくすく成長している。
あなたが強くいてくれて嬉しいよ、✨💫👍🥰🫰💐❤❤❤❤❤❤」
「木はずっと静かに、すべての記憶を背負っている」
「私たちはあなたに寄り添ってるよ♥」
「声、本当に素敵。冒頭がすごく力強い❤」
「チャン・ジャーハン、ついに……あなたの寝る前のお話が恋しかった」
「とても深みのある寝る前のお話。
船長の心地よい声を聴き、素敵な物語を聴き、
その中の素晴らしさをじっくり味わえて、しかも凛々しい船長まで見られる😊❤」
「聴き終えて眠れるの、すごく幸せ」
「すごく可愛い❤❤❤」
「この木が気高く成長し、花を咲かせ実を結びますように🌹
チャン・ジャーハン、毎日幸せでいてね。
今夜のライブでの寝る前のお話、幸せでいてね、イケメンさん👍🌈😍🥰🫰💐💝💞🌹」
「哲瀚の声、本当に素敵」
「哲瀚が物語を読むのを聴きながら、この素晴らしい文章をじっくり考える」
「心地よい声😊 愛してるよ、船長!」
「動画版の夜更かしのお話が好き👏 目と耳、両方の楽しみ🥰🥰🥰」
「“木は空へ向かって吹く風である。” なんて美しい一文」
「ありがとう、宝宝❤」
「哲瀚がこの文章を読んでくれるのが本当に好き。深い哲理がある」
「また夜更かしのお話が聴ける!嬉しい❤」
「美しい朗読 zhangzhehan……あなたが来てくれて嬉しかった💙⚘️」
「来たよ😊 また心を込めて私たちに物語を読んでくれて、寝かしつけてくれてありがとう🤲」
「“木は空へ向かって吹く風である”、このたとえはとても面白い」
「船長の声を聴くのが好き❤ いい夢を見ながら眠れそう❤❤」
「ライブの日を思い出した。瀚瀚が夜更かしのお話を読んで、自分であくびしてた🥱 可愛すぎる」
「おはよう、船長。木はたくさんの物語を覚えている。
あなたの物語も、きっと語り継がれていくよ❤❤❤」
「すごく優しい声。セリフ回しの実力が本当にすごい」
「物語、とても素敵だった!大好き!
船長、収録お疲れさま。私は気持ちよく眠りにつくね。おやすみ💤」
「姿も見られて、声も聴けるなんて最高。
こんな寝る前のお話、もっとたくさんお願い」
「寝る前に聴くのにぴったり」
「哲瀚の寝る前のお話をありがとう❤❤❤」
「映像付きの寝る前のお話が見られるなんて😋」
「船長の声が本当に大好き。ありがとう、船長。おやすみ😴」
久しぶりの映像版 グッドナイトストーリー。大反響でした♡
香港城市大学EMBA在学中の メモリアル写真 いろいろ
そして最後は、海哲の皆さんがシェアしてくれた 香港城市大学EMBZ在学時の写真。
ウエイボーからまわってきたのだけど たぶん 同期のどなたかがシェアしてくれたと思われる😅

真ん中あたり 白いジャケットが ハンハン。


イギリスのケンブリッジに短期留学したときの写真みたいww
みんなで走ってたのねwww😅(当時、ランニング写真をインスタで投稿してたのを思い出した😅)
※台湾の海哲さんが インスタでほかの写真も投稿してくれています。リンク先だけご紹介します。
>>ここから飛べます
ではでは今日は このへんで。ここまでご覧くださりありがとうございましたww
ブログランキングに参加しています!
いつも応援ありがとうございます♪ 下のバナーを押してくださるとランキングに反映されます。ポチリと1回よろしくお願いします♪
