今日、お昼ごろに、立て続けに2本も更新された、ハンハンのインスタ…
こういう投稿は、私の記憶では「初」の出来事で 超~驚いてます(^-^;
※加えて、ママブログの更新あり。
先日の映画ブログの続きに加えて、
ハンハンの誕生日に投稿したブログが削除された件についても書かれてて、これまた驚きました。
全文和訳で紹介します<(_ _)>
チャンジャーハン、今日2本連続の「インスタ投稿の記録」
今日の投稿、2本とも動画だったのだけど(;^ω^)

両方、6分近くある動画で、動画の内容まで和訳するのが
時間的に難しかったので、以下は記録だけ。 (;・∀・)
1本目:5/3のクアラルンプールファンミ、本番スタートまでのビハインドVTR

投稿コメント:来咯!
和訳「来たよー!」
投稿元リンク先はこちら
🌟北京でのリハーサル風景から、クアラルンプール入り!
その後の、テニス(汗だくで大変だった話が出てた、その動画が公開されましたネww)
そして本番を目の前にした、会場入り!
会場前では、お供え物をしてお祈りしてるシーンもあって驚きましたww
(ドラマのクランクインでよく見かける風景と似てる)
これ 字幕が出せる動画だったらよいのになぁ…(ぼやきww^^;)
2本目:テニス動画「テニス試合日 EP10」
そして2本目は テニスのVLOG!

投稿コメント和訳:「遅れていたテニス動画も来ました〜!🏆 優勝者は誰でしょう?」
投稿元リンク先はこちら
もう10本目になった ハンハンのテニスVログ。
ほんとに テニスに本気なのが よくわかる(;^ω^)ww
(これもほんとに 字幕希望ww)
張ママがブログ更新!『おばあちゃんへの手紙』を観ての余談
そしてここからは ママのブログ。
昨晩、また更新がありました。以下 全文和訳で👍
※一昨日紹介したブログからの続きです。
「??」な皆様はこちらで↓
張ママがブログ更新!「息子と一緒に見た映画『おばあちゃんへの手紙』を観た感想」(全文和訳)
張ママブログ5/17投稿「「善意を心に抱き、流れる歳月に背かない」—『おばあちゃんへの手紙』を観ての余談(全文和訳)

「善意を心に抱き、流れる歳月に背かない」
——『おばあちゃんへの手紙』を観ての余談
心温まる映画『おばあちゃんへの手紙』を見終えたあと、
心の奥は長いあいだ柔らかな温もりに包まれていました。
息子と映画を観て感じたことや,
考えたことをじっくり語り合ったあと、
無数の思いが胸に込み上げてきました。
そこで筆を取り、映画鑑賞のエッセイ
『心の中には永遠にひとつの穴がある』を書き、
個人のWeChat公式アカウントに掲載しました。

文章を投稿した後、多くの読者が読み、
共感を寄せてくださいました。
コメント欄には心を動かされた読者たちの
率直な感想が数多く寄せられ、
それぞれが胸の内の思いや
人生についての考えを語っていました。
大多数の読者は、
映画の温かな情感に深く心を打たれ、
強い共鳴を覚えていましたが、
ごく一部には異なる見方をする人もいました。
彼らは、謝南枝が深い想いを胸に秘め、
鄭木生の名を借りて、
密かに葉淑柔の家族を援助し続けたことについて、
この善意の中には「隠し事」も含まれていたと感じていました。
葉淑柔は終始その事実を知らされずにいたからです。
たとえ真実を知っていたとしても、
彼女の人生の歩み自体は、
変わらなかったかもしれません。
ですが、自ら選択する機会を
実際に失っていたこともまた事実であり、
この無言の支援には、
どこか少しの心残りがある――そうした見方でした。
こうした多様な声を受け、
私自身も、当初文章を書いた際には少々急ぎすぎていて、
映画の中に込められた、
数々の繊細な感情や巧みな細部を
十分に描き切れていなかったのだと気づかされました。
文字による説明が十分に行き届いていなかったからこそ、
読者それぞれが受け取る印象に違いが生まれ、
さまざまな解釈につながったのでしょう。
それもまた、
当時の私の思慮が十分ではなかったためです。
とはいえ、文章を書く際には
物語の細部を十分に描写できなかったとしても、
静かに改めて、
映画そのものを味わい直してみると、
なお深く、その独特な趣と
意味合いを感じ取ることができます。
映画の物語の流れは自然で滑らかであり、
展開の転換や場面移行もよどみなく進みます。
語りのテンポは穏やかで落ち着いており、
ごく普通の人々の暮らしの苦しさ、
別れの切なさ、
そして現実の困難を誠実に映し出しています。
作品全体は、大きなドラマ的衝突をあえて避け、
淡々として素朴な作風を貫いています。
まるで静かで余韻の深い人生の散文詩のように、
普通の人々の人生の軌跡に沿って、
ゆっくりと物語を広げ、
歳月の中の貧しさや苦しみ、
人と人との離合集散、
そして日常の暮らしの煙火の中に隠れた
真心や善意を、余すことなく描き出しています。
その平易な語りの中にこそ、
人の心を打つ力が静かに積み重なっているのです。
映画の語り口は内省的で節度があり、
わざと感情を煽って共感を誘うようなことはしません。
それでも、人間社会のありのままの姿によって、
まっすぐ人の心に届いてきます。
静かに味わい直せば、心の焦りを鎮め、
俗世の騒がしさを淡く見つめ直せるだけでなく、
人生の容易ではなさを理解し、
身近な真情を大切にする気持ち、
そしてこの人間らしい暮らしの中に根付いた
長く温かな情を、
より深く感じ取ることができるのです。
世の中にはさまざまな人の心があり、
それぞれ異なる心境があります。
人生で深い傷を負った人の中には、
この映画を心から評価していても、
どうしても観る勇気を持てない人もいます。
それは映画の主題や情感を
理解できないからではありません。
現実の世界に目を向ければ、
不公平なことは後を絶たず、
人の冷淡さや理不尽な悪意も、しばしば目に入ります。
世の移ろいを数多く経験すれば、
心に尽きない無力感が生まれるのも無理はありません。
映画は、純粋な本心と誠実な善良さを力強く称え、
情を重んじ、恩を知り、
善へ向かう人の道を描いています。
ですが、その澄み切った温かな価値観は、
現実に存在する人間関係の冷たさ、争い、
悪意による押し潰し合いと、
鮮やかな対比を成しています。
その大きな落差の中で、
多くの人が次第に迷いを抱き、
現実世界における
「純粋な善意」そのものを疑うようになり、
さらには本能的な拒絶感さえ
抱くようになってしまうのです。
こうした感情は、
すべて数年前に突然降りかかった、
あの悪意あるネット暴力に由来しています。
あの理不尽な災難は、
私と息子を深く傷つけ、
長年寄り添ってくれた多くの友人たちまで巻き込みました。
心に残った傷は、今なお完全には癒えていません。
理由もなく傷つけられることを身をもって知り、
人間の暗い部分を数多く見てしまえば、
時が経つにつれ、
人々は「善意」や「真心」を語る言葉を、
以前のように素直には受け止められなくなっていきます。
その拒絶感や距離感は、
世の冷たさを味わい尽くした後に生まれる、
人の心の自己防衛なのです。
そして、この騒動を
「最も身近で現実に経験した当事者」として、
その中にあった、
尽きない悔しさや苦しみ、
人生の喜怒哀楽について、
私は誰よりも深く味わってきました。
たとえ世の冷たさを見尽くし、
この世界にあふれる「理不尽な悪意」を
味わい尽くしたとしても、
私はなお固く信じています。
善意を胸に抱き、
情義を守り抜くことこそ、
人の心にとって最も尊い本質なのだと。
「世界が痛みをもって私に接するなら、
私は歌をもって応える」。
たとえ前途に風雨が吹き荒れようとも、
善良さをもって身を立て、情義をもって人に接する
――それは人として決して失ってはいけない一線です。
もし人々が心の中の善意を捨て、
人情や道義に背を向け、
利己心と冷淡さに本心を支配されてしまったなら、
私たちがこの俗世を慌ただしく生き、
年々歳々駆け抜けていく人生は、
最も大切な精神の核を失い、
暮らしそのものも本来の意味を失ってしまうでしょう。
息子の誕生日の日、
私は母としての深い愛情を胸に、
温かな誕生日メッセージを書きました。
その一言一言には、
太陽に向かって生きる人生の信念と、
勤勉に歩み続け、
勇敢に前へ進む力を伝えたいという
真心が込められていました。
人の心を癒やし、励まし、
美しさを届ける言葉は、
本来なら人々の善意と共感を受け取るべき
「正のエネルギー」の声であるはずでした。
しかし、理由もなく二度にわたり
悪意ある通報を受け、
最終的には削除・封鎖されてしまいました。
陰でそのような行為をする
「人間の心理」を突き詰めれば、
結局は二つしかありません。
一つは、自分自身の利益のため。
もう一つは、
人を傷つけること自体に快感を覚えているためです。
私はそうした陰に隠れた人々と面識もなく、
恨みも因縁もなく、
これまで何の接点もありませんでした。
それなのに、なぜここまで
深い悪意を向けられなければならないのか、
本当に理解できません。
その根本原因をたどれば、
ネット社会では、悪事を働く代償があまりにも低く、
好き勝手に悪意をぶつけても、
何の責任も負わずに済むからこそ、
陰湿な感情が際限なく広がっていくのでしょう。
彼らにとっては、
理由もなく他人を傷つけることこそが、
歪んだ快感なのであり、
それ以外に理由など存在しないのです。
悪意が突然襲いかかれば、
確かに一時は心の平穏を乱されます。
ですが人生とは、
もともと幸と不幸が隣り合わせのもの。
激しい風雨もまた、
運命が別の形で与えてくれる成就なのかもしれません。
真心を込めて書いた文章が理不尽に封じられたことで、
かえってその正のエネルギーが消え去るどころか、
人々の「読んでみたい」という気持ちを呼び起こしました。
多くの友人たちは互いに勧め合いながらも
読むことができず、
ますますその内容を知りたいと願うようになりました。
さらに、温かな心を持つ親しい友人たちは、
ひそかにスクリーンショットを保存し、
共有し続けてくれました。
そのおかげで、この人間らしい温もりと
正しい気概は幾重もの障害を越えて広がり、
さらに多くの人を温めていったのです。
そしてまさに、
この突然の理不尽な騒動があったからこそ、
私は価値観の合う、
心を通わせられる多くの友人たちと出会い、
数え切れないほどの「温かな支え」を得ることができました。
同じ志を持つ多くの読者や友人たちと知り合えただけでなく、
以前から綴ってきた心を込めた文章にも、
さらに多くの関心が寄せられるようになりました。
読まれる機会も増え、
私の悲しみや喜びを理解し、
心をわかってくれる「人生の知己(ちき)たち」と出会うことができたのです。
🌟知己(ちき):自分の心や信念を深く理解してくれる、かけがえのない相手
「魂の理解者」(山河令でも出てきた言葉です(^-^;)
人情の温かさと冷たさを味わい尽くし、
この世のさまざまな姿を見てきた今、私はますます確信しています。
善良さと情義こそ、
人が生きるうえで最も大切な拠り所なのだと。
たとえ半生にわたり風雨に翻弄され、
幾度も非難や理不尽な扱いを受けたとしても、
私は世俗によって情熱を削がれたくありませんし、
他人の悪意によって本来の心を失いたくもありません。
人生には浮き沈みがあり、
困難は避けられないものです。
一時の失意によって、
この世界の光まで否定する必要はありません。
私はずっと信じています。
善意は決して無駄にはならず、
純粋さと誠実さを守り抜いた人は、
いつか歳月から優しく報われるのだと。
映画の中の鄭木生もまたそうでした。
一生を通して誠実で善良に生き、
善念を抱き、黙々と善行を積み重ねた末に、
その福徳は最終的に家族へと返っていったのです。
人として「この世を生きる修行」において、
大切なのは、自らの心を守り保つこと。
非難や損得を淡く受け流し、
常に寛容さを持ち、初心を太陽へ向け続けることです。
温かな誠実さをいつまでも失わないこと
――それこそが、最も透徹した、
そして大らかな人生の智慧なのだと思います。

ハンハンもそうなのだけど…ママも…
あれだけのことを経験してなお、「人の善意」を信じる というところが…
本当に すごいとしかいいようがありません…
人には、本当にいろいろな人がいて、自分がもちあわせている「ものさし」から
はるかにかけ離れている人
(自分の常識では存在自体がありえない人間)も、いますよね…😢
(私は 813事件でそういう人たち
=愛してるといいながら、その本人を本気で徹底的にたたくCPFをたくさんみてきましたが
いまだに、理解できるところが 1mmどころか 0.0000000000000001%もありません)
張ママの 最後の、この部分。
「この世を生きる修行」において、
大切なのは、自らの心を守り保つこと。
非難や損得を淡く受け流し、常に寛容さを持ち、初心を太陽へ向け続けることです。
温かな誠実さをいつまでも失わないこと
――それこそが、最も透徹した、そして大らかな人生の智慧なのです。
本当に奥が深いです… TT
おまけ ママの愛猫コーラのドゥインに「チャンジャーハンの写真」登場
最後におまけ。ママの愛猫コーラのドゥイン(中国内のTIKTOK)に。
また ハンハンの写真がww

作者(つまりコーラチャンネルの主)写真を投稿。

ここに コメントで質問:「汗??? 雨水??? 風邪ひかないようにね🌹🌹🌹」
(汗なの?雨なの?風邪に気をつけてね、って意味)
それに対してチャンネル主が回答 「汗水」(汗だよ)
↑ 雨にふられたみたいに びしょ濡れなんですけども、汗水ってww(^^;)
これは 究極のダイエットになるんじゃ…
(ハンハンが全然太らないのは やっぱ運動ww)
いやはや いろいろな面で 人生の師匠です…<(_ _)>
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