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チャンジャーハン「トレーニング第2弾VTR」公開!(&張ママ「あのときも支えてくれた親友の話」)

公式サイト2周年記念日今日もハンハンのインスタ更新があり、
テニスのトレーニング映像が公開され
たのだけど… (;・∀・)

ぶっちゃけ、今日、一番おすすめしたいのは「ママのブログ」のほう
なんです…😢

※昨日の記事でちらっと紹介した通り、813事件の時の話が出てくるんですよね…
そして、いまハンハンが撮影してるドラマの話もでてきて、
海哲的に、なんともいえない読後感…TT(おすすめです)

まずは ハンハンのインスタ内容を紹介してから、ママブログにいきますネ。
よかったらぜひ読んでみてください(´;ω;`)ウゥゥ

目次

チャンジャーハン、公式インスタで「テニストレーニング第2弾」動画公開

ではでは さっそく。まずは ハンハンのインスタから。以下詳細。

チャンジャーハン公式インスタ3/21投稿「おはよう!トレーニングを始めよう」

ハンハンの投稿コメント 早上好啊! 练起来!
和訳: おはよう!トレーニングを始めよう!

投稿元リンク先はこちら

3日前の投稿に続いての、トレーニング映像!
これをやったら ほんとにダイエットにききそうなんだけどwww(;^ω^)

ハンハンが映像の中でトライした内容。画像内の文字の和訳もおいときますネ。
※写真は、1クリックで拡大できます。

01:オープンスタンスのスイング
3セット
各セット12回
各セットの休憩間隔:30秒

02:クローズドスタンスのスイング
3セット
各セット12回
各セットの休憩間隔:30秒

03:アルカラス式スイング
3セット
ベースラインからネット前までを1セット
各セットの休憩間隔:30秒

04:片脚ジャンプスイング
3セット
左右の脚それぞれ8回
各セットの休憩間隔:30秒

05:スキージャンプ
3セット
ベースラインからネット前までを1セット
各セットの休憩間隔:30秒

06:ダッシュ&バック走
3セット
5往復
各セットの休憩間隔:30秒

07:片脚クイックステップ
3セット
20秒で1セット
各セットの休憩間隔:30秒

08:横方向クイックステップ
3セット
20秒で1セット
各セットの休憩間隔:30秒

09:左右両脚ジャンプ
3セット
各セット20回
各セットの休憩間隔:30秒

10:前後両脚ジャンプ
3セット
各セット20回
各セットの休憩間隔:30秒

11:片脚左右ジャンプ
3セット
各セット20回
各セットの休憩間隔:30秒

(以上 全11行程でした(^-^;)

チャンジャーハンのママがブログ更新「私たちは互いの木へと成長していきます」

最近、頻繁にブログを更新してくれているママ。
若いころを振り返る内容が続いているのだけど、今日、紹介する話も、ここ最近の流れをくんでいます。 

昨日更新された内容は、ママの親友の話でした。
この中に、あの事件のときも、そしていまも、変わらずママを支えてくれている、
すごく素敵な親友のお姉さんの話が出てきます。

※後半に、ハンハンの話が出てくるのですが ぜひ読んでみてください(´;ω;`)ウゥゥ

張ママブログ3/20投稿「私たちは互いの木へと成長していきます」全文和訳

私たちは互いの木へと溶け込んでいきます

人生とは本来、予期せず訪れる遠い旅であり、
前途は果てしなく、
出会いと別れは、もともと
歳月の中でおこる、ごくありふれた「当たり前に起こること」です。

私たちは決して予知することができません。
次の曲がり角で誰と出会うのかも、
また、風に乗って遠くへ去ることが定められた人を、
引き留めることもできません。

ある人はすれ違うだけで、
ただ一筋の清らかな風が
肩をなでて過ぎるだけです。

ある人は一時の道のりを共にしますが、
やがて、一抹の雲煙となって、
歳月の中に散っていきます。

ある人は世の浮き沈みの中で、
次第に遠ざかっていき、
ある人は執念や考えの違いによって、
背を向けて別々の道を進みます。

より多くの人は、
時の長い流れの中で、ゆっくりと薄れ、
遠ざかり、散っていきます。

ただごく少数の人だけが、
風雨を越えて共に歩み、
平穏な歳月を守り抜き、
終始肩を並べて進み、
ひとときの短い同行を、
一生の温かな守りへと歩み変えていきます。

出会いは偶然の幸運であり、
共にいることは恵みであり、
別れは常であり、
そして心の通じ合う知己こそが、
この人世で最も貴重な宝なのです。

人は晩年になると、
まるで時の流れに浸され、育まれた
「一冊の黄ばんだ古本」のようになります。

表紙はかつての鮮やかさを失い、
紙のページはわずかに脆くなり、
角の折れ跡は、歳月が刻んだ深い情の印であり、
色あせた文字の中には
半生にわたって経験した風霜雨雪が秘められています。

あの熱烈さと沈黙、執着と手放し、
出会いと別れは、すべて
時の流れによって、
ひそかに紙の中へと書き込まれていきます。

「黄ばみ」は決して「古びた」ことを意味するのではなく、
歳月が積み重ねた、温かな質感であり、
「色あせ」もまた消え去ることではなく、
時の流れが押した貴重な蔵印なのです。

そっとページをめくるたびに、
最初に目に飛び込んでくるのは、
やはり若い頃に肩を並べて歩んだ、
あのはっきりとした姿であり、
それは今もなお生き生きとして、
まるで昨日のことのように温かいのです。

あの頃の私たちは、愁いというものを知らず、
人情の薄さも理解せず、
ただ一腔のまっすぐな真心だけを頼りに、
平凡な歳月さえも
ロマンあふれる詩のように歩むことができました。

共に乗り越えた若さゆえの無鉄砲さ、
共に胸の奥にしまい込んだ秘密、
涙が出るほど笑い合ったひととき、
共に風雨に耐えた困難な瞬間――
今振り返っても、なお刻まれたように鮮明です。

あの目立たない細やかな日常、
あの何の束縛もない笑いふざけ合う時間、
あの不器用でありながら、
熱を帯びた真心のこもった寄り添いは、
すべてこの「本」の中で、
最も生き生きとして、
最も温かく、最もめくるに忍びない章となっています。

大姐(お姉さん)と出会ったのは、
私が組織部で働いていたあの時期がきっかけでした。

彼女はよく、ひっそりと事務室の入口に立ち、
音も立てず、体を半分だけ横にして、
そっと顔をのぞかせ、
さっと一目見ては静かに引っ込みます。

しばらくするとまた、
慎重に身を寄せて顔をのぞかせる――
それを繰り返す様子に、
いつも不思議と興味を引かれていました。

その日、私は机に向かって原稿を書いていましたが、
また彼女の見慣れた姿が
入口をうろついているのを見て、
自ら立ち上がって声をかけました。

すると彼女は
目元を細めてやわらかく笑い、
にこやかな笑みを浮かべながら、
自分の身分を明かしました。

彼女は「人民代表大会」の幹部で、
組織部に書類を取りに来たのだと言います。

私は冗談めかして
「どうしていつも入口でこっそり私を見ているんですか」と尋ねました。

彼女は理由を説明せず、
ただ真面目に、問いには直接答えずにこう返しました。

「あなたの文章はとても上手です」

その不器用でありながら
誠実なひと言の称賛は、まるで温かな種のように、
静かに互いの心の奥へと落ちていきました。

私たちは見知らぬ関係から親しくなり、
軽く会釈を交わす間柄から、
何でも話せる関係へと変わっていきました。

その後の歳月の中で、風雨を共にし、
喜びも楽しさも分かち合いながら歩んできて、
彼女は私の人生において、
最も貴重で、離れることのない一生の親友となりました。

今あらためて彼女を思い出すと、
時のひだに隠された、
あの細やかな出来事や温かな瞬間が、
一つひとつ目の前に浮かび上がり、
まるで当時のままのように生き生きとしています。

大姐は、性格が外向的で情熱的であり、
精力に満ち、人に対して誠実で、
与えることをいとわず、
損をしても受け入れ、苦労にも耐え、
個人の得失をまったく気にせず、
ひたすら人を助けることを楽しみとしています。

また、生まれつき人懐こい、
親しみやすい雰囲気を持っており、
どこへ行っても人々の中で自然と中心的な存在となり、
すぐに親しい友人を作ることができます。

新余の地元では、
人付き合いの良さから、どこでも顔が利くほどです。

それに対して私は、
彼女とはまったく性格が異なります。

内向的で口数が少なく、
自分から人と親しくなるのが苦手で、
言葉での表現もうまくなく、
心の奥にはどこか少しの孤高があり、
人との間にはいつも薄い距離を隔てています。

しかし、そのように性格が大きく異なる二人でありながら、
私たちは心を許し合う、
親しい友人となりました。

彼女はその温かさと情熱によって、
少しずつ私の心の奥にある固い氷を溶かし、
知らぬ間に「私の人生の軌跡」にも影響を与えていきました。

その頃の私はまだ独身で、
政府から割り当てられた宿舎に住み、
三度の食事はすべて機関の食堂で済ませていました。

大姐は私より五歳年上で、
すでに温かく満ち足りた家庭を持ち、
二人の息子を育てていました。

ご主人は穏やかで誠実な性格で、
同じく政府機関に勤務しており、
夫婦は珍しい「妻が外で働き、夫が家庭を支える」形(※)をとっていて、
生活は和やかで温かいものでした。

※共働きだけど「家のことは主に旦那さんがしている家庭」という意味。

彼女はいつも熱心に私を家に招いてくれました。
ご主人は料理がとても上手で、
その料理はちょうど私の好みに合っていました。

私も喜んでよくお邪魔しており、
ときには食堂で、先にご飯を受け取ってから
それを持って彼女の家へ行きました。
ご主人の料理と一緒に、
少し食べ足したりもして、
そうすると、
ひときわ美味しく感じられました。

彼女の二人の子どもたちは、
私にとてもよく懐き、
まったくよそよそしさがなく、
その生活の温もりに満ちた家庭の空気は、
私の独身時代において、最も貴重な慰めとなっていました。

大姐夫婦の「家庭における金銭管理の方法」は、
もともと明確で合理的なAA制(割り勘制)です。

ご主人が、家庭の日常的な食住や移動に関する費用を負担し、
大姐は人付き合いに関わる出費や、
家庭の大きな支出を担当しています。

何十年も連れ添ってきましたが、
経済的なもめごとは一度もありませんでした。

私も彼女の家庭のこうしたあり方を知っていたため、
後に彼女の住宅購入の計画を手伝った際にも、
わたしも、特に口出しをしたり、
詳しく尋ねたりすることはなく、
ただこの暗黙の了解を守っていました。

その後、私は自分の家庭を持ち、
日々は細々としたことや忙しさに満たされ、
かつてのように朝から晩まで一緒に過ごす余裕はなくなりました。

さらに当時は携帯電話や微信(ウイチャットアプリ)もなく、
連絡手段も便利ではなかったため、
私たちの交流は次第に少しずつ薄れていきましたが、
完全に途切れることはありませんでした。

忙しい日常や遠く離れた距離に隔てられていても、
この絆は依然として、
しっかりと心の中に置かれ、
遠すぎず近すぎず、離れることなく続いていました。

あの若い頃に共に過ごした温かな時間は、
その後も続く関係のために、
長く続くほどに、強くなる土台を深く根づかせていたのです。

私たちの絆がさらに深まり、
行き来もより頻繁になったのは、
私が新余を離れて深圳へ向かった後のことでした。

思いもよらず、
千里も離れたことで、かえって心の距離はより近くなりました。

深圳に来たばかりの頃、
私はすべてをゼロから始め、
村民が自ら建てた狭い住まいを借り、
深圳に出稼ぎに来た人々と同じように、
少しずつ積み重ねるように苦労して働いていました。

やがて少しずつ貯えを蓄え、
私は小产权房(※)を購入し、
この見知らぬ移民都市の中で、
ようやく自分の安定した住まいを持つことができました。

※小产权房=正式な所有権(国の登記)がない住宅のこと。
(※中国では基本的に土地の所有ができないので、土地を使う権利+建物の所有 を買う。
ママが購入したのは、農村の土地に建てられた住宅で、国の正式な不動産登記(=大产权)がない
だから価格が安いそう)

深圳は気候が穏やかで、
冬も暖かく老後を過ごすのに適しているため、
私は大姐にも、同じ地区で住宅を購入し、
将来の冬の滞在や老後に備えるよう強く勧めました。

彼女は私の提案を聞くとすぐに、
一室一厅(1LDKくらい)の部屋を購入しました。
総額は二十万元(約400万円)を少し上回る程度でした。

しかし、思わず苦笑してしまうのは、
その家を手に入れてから、
彼女は一日もそこに住んだことがなく、
ずっと他人に貸し出していたことです。

入居者が退去して部屋が空くたびに、
彼女は嬉しそうに私のところへ来て、内装の改修について相談し、
一室一厅を二室一厅に改造して、
冬に住むために使おうと話します。

私もそのたびに真剣に受け止め、
計画や設計を手伝い、施工業者にも連絡しますが、
計画がまとまるやいなや、
誰かが借りたいと言ってくると、
彼女はすぐに考えを変えてまた貸し出し、
心はすっかり家賃収入の喜びで満たされてしまうのです。

このようなことが何度も繰り返され、
私は彼女のために内装を手伝う情熱も次第に削がれていきました。

その後は、部屋が空いて彼女がまた私を訪ねてくるたびに、
私は笑いながらこう言い返すようになりました。

「そんな話、信じるものですか」

彼女はそれを聞くと、いつも心から楽しそうに大笑いし、
まったく気にする様子はありませんでした。

私たちの間柄は、すでに何でも話せて
何の遠慮もいらない親しい関係であり、
形式ばる必要もなく、
隠すこともなく、笑い合う中のすべてが本心でした。

年齢を重ねるにつれて、
大姐は外出するたびに遺言を書き残し、
資産やパスワードを記して、
小さな金庫にしまい、ご主人にこう言い含めていました。

「私が帰ってきたら開けてはいけない。
もし帰ってこなかったら、そのときに開けて」

ご主人は一貫して約束を守り、
これまで何事もなく過ごしていました。

ところがある日、私は突然、大哥(だんなさん)から電話を受けました。

「張霞(=ママの名前)、君は私に黙って大姐のために
小产权房を一軒買ってあげたんだろう?」

私は一瞬ためらい、しどろもどろになり、
どう答えてよいか分からず気まずくなっていましたが、
彼は突然話題を変え、笑いながらこう言いました。

「ありがとうな、私のためにお金を稼いでくれたんだな。」

思わず笑ってしまうような、ひと騒動でした。

後になって知ったのですが、
大哥(お兄さん=だんなさんのこと)は、結局好奇心を抑えきれず、
金庫を開けて大姐の秘密を見てしまい、
それでこのような興味深い出来事が生まれたのです。

コロナ禍の期間、息子は故郷の新余を気にかけ、
自ら、市の赤十字会に寄付を申し出ましたが、
その際も大姐が熱心に連絡や調整を手伝ってくれました。

その後、息子が医療用マスクなどの防疫物資を集めた際にも、
彼女が積極的に連絡を取り、
市の病院への指定寄付を完了させる手助けをしてくれました。

彼女は終始、熱心で無私に力を尽くし、
私たちの寄付に関わる、
一切のことをしっかりと支えてくれました。

この善意と責任感は、
冬の日の暖かな陽のようであり、私たち母子は今でも深く感謝しています。

私にとって、最も忘れがたいのは、
息子が、かつてない規模のネット上での攻撃に遭い、
人生のどん底に落ちたときのことです。

あらゆる方向からあふれる噂が真実をかき乱し、
多くの人が軽々しくそれを信じ、
次第に私から距離を置くようになり、
わたしに巻き込まれて、
自分の評判に影響することを恐れました。

ただ大姐だけが、終始揺るがず、
私たち母子のそばに立ち続けてくれました。

彼女はかつて、
私の父が公務で殉職した際の追悼式にも参列し、
私のこれまでの仕事人生を理解し、
息子の成長の過程も見守ってきました。

――彼女は私の家庭背景をよく知っており、
私たちの「人となり」を信じ、
「息子が無実である」ことを強く信じていました。

あの暗く先の見えない日々、
私は生きるのもつらく、
言い尽くせない苦しみの中にありました。

ある人はわざと、
噂で息子を中傷する内容を、
朋友圈(WeChat内の投稿機能)で
転送して私に見せ、
ある人は
個人的にメッセージを送りつけてきて
こう言いました。

「まさかそうとは思わなかった、
あなたが日本人の夫と結婚していたなんて」※

※813事件の誹謗中傷で、
ハンハンママが日本人の愛人だったというデマを流されました😢
ここでの話は、そのことですTT

また、後に知り合ったある友人は、
当時メディアの報道を見て、
すっかりそれを信じ込んでしまい、
さらには、ネット上の写真だけを見て、
私の顔立ちが日本人のようだと感じたと
率直に語りました。

それほどまでに、噂の浸透は深く、恐ろしいものでした。

行き場を失った私は、
朋友圈(ウイチャット)に文章を投稿し、
息子のこれまでの愛国的な言動や成長の過程、
成し遂げてきたこと、
そして前向きな行いを、
一つひとつ示し、噂の霧を晴らそうとしました。

そして大姐は、
私の投稿を見るたびに、
ためらうことなく自ら進んでそれを転送し、
さらには息子の母校である、
四中の教師グループにも共有しました。

彼女のこの行動は、
ある元上司から「政治的な自覚がない」と
批判されたこともありましたが、
彼女は堂々とこう言い返しました。

「私は彼を知っています。彼は無実です」

たとえ非難を受けても、
彼女はなお転送し続け、
一度も引き下がることはありませんでした。

昨年の冬至に帰郷した際、
彼女は笑いながら私にこう言いました。

「当時、私を批判していたあの上司は、
汚職の問題で、刑務所に入ってミシンを踏んでいるのよ」

彼女は静かに続けました。

「あなたは運命を信じなくてもいいけれど、
因果は必ず信じなければならないわ」

この一言は、人の世の正しい道を言い尽くすと同時に、
歳月の公正さも語り尽くしています。

息子の芸能活動が、突然どん底に落ち込み、
さらに、ブランドの広告契約に関する賠償請求によって、
深刻な経済的困難に陥ったとき、
大姐はそれを知るやいなや、
すぐに私のもとへ来て、助けが必要かどうかを尋ねました。

さらには、
自分の全財産を差し出してでも、
私たち母子を支えようとしました。

私は彼女の財産を一切使うことは
ありませんでしたが、
その真心は、一生忘れられないものとなりました。

大姐は退職後、
日々はさらにゆったりと穏やかなものとなり、
私たちはよく一緒に旅に出て、
幾度も山や川の風景を共に巡るようになりました。

若い頃に出会ったご縁は、
このようにして、
晩年に寄り添う温かさへと熟成され、
まるで熟成された酒のように、
味わうほどに、深みを増していきました。

彼女はとりわけ写真を撮ることを好み、
出かけるたびにさまざまな服装を用意します。

鮮やかな色のスカーフ、
しなやかな趣のある旗袍(チーパオ=チャイナドレスのこと)、
さらに数多くの小道具まで取り揃え、
私たちが装いを気にする必要はまったくありません。

どこへ行っても、
彼女は楽しそうにさまざまなポーズを取り、
写真を撮り、動画を録ります。

人に「花一輪の前でも1時間は撮り続けられる」と冗談を言われるほどです。

撮り終えた後は、丁寧に動画を編集し、
自分を若々しく美しく整えてから、嬉しそうに私たちに共有します。

私は遠慮なくこうからかいます。

「写真では十八歳の少女なのに、実物は見た瞬間に幻滅ね!」

彼女は一度も腹を立てることなく、
ただ一緒に大笑いし、明るくて愛らしいままです。

その純粋な楽しさは、
いつも周囲の人々に伝わり、
歳月の積み重ねによる重みさえも、
どこか生き生きとしたものにしてくれるのです。

私が最も心を動かされるのは、
私が新余に帰るたびに、
彼女がいつも事前に、長らく住んでいない私の家へ行き、
細やかに掃除をし、丁寧に整え、
部屋を隅々まで清潔にし、
温もりに満ちた空間にしてくれることです。

ただ私が玄関を一歩入った瞬間に、
家の安心と温かさを感じられるようにするためです。

それだけではなく、
彼女は心を込めて私の行程も手配し、
気の合う旧友たちを集めて、
温かな雰囲気に満ちた「文旅団※」を組みます。

※文化や観光を楽しむ仲間の集まり という意味。

今日は山や水辺を訪ね、
明日は上品に集って語り合い、
私の帰郷の時間を充実した精彩あるものにしてくれます。

私もまた、できる限りの力を尽くして、
故郷・新余の文化観光の発信に貢献したいと思っており、
集まりのたびに大切にして、
全力で協力しています。

また、活動に参加する皆さんにも、
ささやかな贈り物を用意し、
大姐の取り組みへの支援の気持ちを表しています。

こうした、かつて指導的立場にあった、
教養が高く、情熱と才気に満ちた旧友たちと共に過ごすことで、
私は多くのものを得て、心も満たされます。

年老いた彼女たちの顔には、
歳月の刻んだ跡が見えますが、
その眼には物語が宿り、なおも情熱にあふれ、
意気軒昂で、自信に満ちています。

私はいつも感慨を覚えます。
歳月は私たちの身に、時間の痕跡を刻みはしても、
心の中の熱意と光を消し去ることは決してないのだと。

私と大姐の友情は、これまで歩んできた中で、
彼女の方がはるかに多くを与えてくれました。

私が返事をできるかどうかに関わらず、
彼女はいつも楽しそうにメッセージを送り続け、
私が新余に戻ると、
ほぼ全行程に寄り添い、私の帰郷を行き届いた温かなものにしてくれます。

そして今に至っても、
息子が撮影のために資金繰りを急に必要としたとき、
彼女はそれを知ると、
昔と同じように何のためらいもなく、
すべてを差し出してでも助けると率直に言ってくれました。

私は彼女の財産に手をつけたことは一度もありませんが、
この歳月を越え、
血縁の親にも勝るほどの深い情は、
思い出すたびに胸がいっぱいになり、
涙があふれるほどの感動を覚えます。

もちろん、彼女が困難にあるときには、
私もまた全力で支えています。

ただ、私が彼女に与えているものは、
おそらくより多くが精神的な支えや慰めであり、
歳月の中で互いを理解し、寄り添うことそのものなのだと思います。

歳月は巡り、世の中も移り変わり、
私たちは皆、時の中で少しずつ老いていきます。

しかし同時に、互いに寄り添う中で、
私たちは互いの木へと成長してきました。

根は地下でしっかりと結びつき、
絡み合いながら、同じ歳月の養分を吸い上げ、
葉は雲の中で触れ合い、
風に揺れながら、同じ空のやさしさを分かち合っています。

常にそばにいる必要はなくとも、
心は常につながっており、日々共に過ごさなくとも、
永遠に互いを支え合っています。

この世で最も尊い情は、決して激しい誓いではなく、
風雨を経てもなお離れないことにあり、
華やかさを添えるものではなく、
困難の中で差し伸べられる支えにあります。

それは歳月の風霜を越え、
世の冷たさに抗い、長い人生の旅路の中で、
二つの独立した魂を互いに育み、
互いに高め合い、並び立つ二本の木のように成長させます。

そして一つの温もりを守り、
一生の光を受けながら、
歳月の果てに至るまで、
なお初めのような温かさを保ち続けます。

これこそが知己の最も美しい姿であり、
また人生における最も円満な修行なのです。

※今回、文中に写真はなかったのですが、原文サイトでは一番最後に、ママと大姐さんの動画があります。
ウイチャットに飛ぶのが問題ない方は 下のリンク先に飛んでください。

原文サイトはこちら

ママの親友の話、読んでいくうちに、813事件の時の話がでてきて…😢

(当時本当にひどかったけど、
知り合いさえもが、わざわざママに、
転送してくるなんていうひどい話は今日初めて知りました(´;ω;`)ウッ…)

もう、そのことにとにかく胸がつまると同時に、この友情にほんとに感動…
(友情という言葉では、言い表せない。素晴らしい友達ですよ😢)

さらには、いまハンハンが制作しているドラマの資金繰りについて話も、びっくり仰天。

※生ライブのときに、莫大な費用がかかるから、寝る間も惜しんで撮影してた話が出てきたのだけど、やっぱり、自分で出資してドラマを制作するという前代未聞の作品作りに挑戦したハンハンが本当にスゴイと思う。

いろいろなことを乗り越えて 前進し続けているハンハンとママ。
本当にスゴイですネ…😢
(今日の内容は、想像以上に深い内容がたくさんあり、しばし余韻にひたります…)

祝・今日は、チャンジャーハン公式サイト2周年!

そして最後は 今日が「チャンジャーハン」公式サイトの開設2周年記念日ということで…
※2年前の今日、公式オープンしました※
事務所のインスタと、公式サイトにお祝い投稿がありました♡

チャンジャーハン事務所3/21投稿 「2周年」

投稿コメント和訳 zhangzhehan.net
2周年、読み込み完了💙
張哲瀚 #zhangzhehan_super3


投稿元リンク先はこちら

公式サイトでも「公式サイト2周年のお祝いビジュアル」掲示中!

そして おなじビジュアルが 公式サイトにも!

チャンジャーハン公式サイト リンク先はこちら

改めまして 公式サイト2周年 本当におめでとうー(〃▽〃)ポッ
3年目も、ハンハンの情報発信 よろしくお願いします^^

ということで 本日以上にて。ここまでご覧くださりありがとうございましたww

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