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チャンジャーハン3rdアルバム「拾荒者」発売!「ジャケ写撮影時のVTR公開」(&ママブログ更新もあり)

今日は0時きっかりに、デジタル版のリリース。
そして 正午にCD版の予約がスタートした、ハンハンの3rdアルバム「拾荒者」。
事務所から「ジャケ写撮影時のVTR」、
ハンハンからもスペシャルVTRが公開されましたネ♡

今日は、アルバム関係のもろもろと、昨日公開された ハンハンのママブログを全文和訳でご紹介します。
(※今回のママブログは、あの苦しい時期の秘話が出てきて、思わずじ~んでした😢超おすすめです)

目次

チャンジャーハン3rdアルバム発売!「デジタル版&CD予約開始」

まずは 時系列順に。事務所の投稿からご紹介しますネ。

チャンジャーハン事務所公式インスタ7/9投稿「アルバム発売開始」

まずは 事務所の今日の投稿から。

※この元投稿先とYouTubeで、ジャケ写撮影時の動画が公開されています。下のリンク先に飛んでください^^

コメント和訳:チャンジャーハンの3rdアルバム「拾荒者Scavenger」
デジタルアルバムがオンラインになりました

🎧 https://rock-mobile.lnk.to/SCAVENGER

チャンジャーハンの3rdアルバム「拾荒者Scavenger」
フィジカルアルバム(CD)の予約販売開始
※下のリンク先に、台湾の通販会社5社のリンク先が掲示されています。

🛒 https://rock-mobile.lnk.to/SCAVENGER_CD

投稿元リンク先はこちら

※同じ動画が YouTubeでも公開されています。

▶張哲涵|3rdアルバム『Scavenger』予約販売開始

※上の動画が上手く表示されていないときは こちらから飛んでくださいww

公式サイトでも告知登場!「3枚目のアルバム(CD)予約スタート」

そして告知は 公式サイトでも!(〃▽〃)ポッ

チャンジャーハン公式の「正規取り扱い通販サイト」5社のリンク先が 紹介されています。

>> 取り扱い5社のリンク先はこちら

※過去2回のCD発売時と同じ取り扱い会社なので、
すでに利用されたことがある方は、前回購入時の通販サイトを使うと、ボーナスポイントが使えます。
(ロックレコードの場合、56台湾ドル(約280円)相当の割引がありました(^-^;))

購入予定の皆さまは、色々研究してみてくださいネ(^^;)

チャンジャーハン公式インスタ7/9投稿「歴代シングル、撮影時の動画公開」

そして 真打ち! ハンハン自身もインスタ投稿あり。

投稿コメント 来咯 💽(さあ)

投稿元リンク先はこちら

投稿元に アルバム内に収録されている「シングルリリース」時の、振り返りシーンが動画で視聴できます。
※これ事前に予定してないと 撮れない動画。さすがでした ぜひ見てきてください♡

この動画の〆もやっぱ コレww (今日のは、発売記念の告知&プレゼント投稿でした)

ハンハンママがブログ更新!「感動の瞬間に隠された、心温まる瞬間」

昨日、ハンハンのママがブログを更新したのだけど…
「813事件のあとの暗黒時代のことが書かれてる」ことに気づいて、早めに和訳してみました😢

(実は、ママの前号のブログにまだ手をつけてないのだけど、重要度的に こちらが優先(^-^;)

タイトルは「感動の瞬間に隠された、心温まる瞬間」。
とても 心に残る文章でした😢

張ママのブログ7/8更新!「让心发烫的瞬间,藏在感动里(感動の瞬間に隠された、心温まる瞬間)全文和訳

感動の瞬間に隠された、心温まる瞬間

息子が家に帰ってきてから、一緒に過ごす時間がどんどん増えていき、
私は、彼が以前より大人になり、
分別もついたことに、嬉しい驚きを感じました。

以前は、私が少し言葉を発するだけでイライラしていたのに、
今では、自ら私を呼び出して、話しかけてくれるようになりました。​​

会話の中で、彼は生家が自身の成長に与えた深い影響について語り、
その言葉は、真摯さと感謝に満ち溢れていました。

彼はためらうことなく私を褒め、
私が誠実で愛情深く、自立していて、優しく粘り強い人だと言いました。

また、読書と執筆という趣味を通して、
思考と感情の魅力に気づいたとも言ってくれました
(ある朝、彼が起きて、私が本を読んでいるのを見ると思わずこう言いました。
「お母さん、あなたを見ていると心が安らぐよ」)。

息子はまた、自分の良いところはすべて
「私の教えと模範から生まれた」ものだ
と率直に言ってくれました。

「最高の仏陀は両親、つまり母です」という彼の言葉は、
私の心の最も柔らかい部分に、たちまち触れました。

この理解と肯定の言葉は、
かつて彼と過ごした「最も暗く困難な年月」を思い出させました。


あの絶望的で息苦しい瞬間は、胸が張り裂けるほど痛ましく、
忘れられないものでしたが、
それを心にしまい込んだことを、決して後悔しませんでした!

晩婚・晩産の母として、
私も子育ての道につまづきました。
その背景には、実家の深い影響があったのではないでしょうか。

父は清廉潔白で勉強熱心、母は優しく働き者でした。
その気質は、長年私を静かに育み、
私を通して次の世代へと受け継がれてきました。

実際、私が気にしているのは、
彼が私を褒めてくれることではなく、
私の努力に対して抱いてくれる「感謝と感動」
です。

感動は優しさの根底にあり、
優しさは人間性の最も重要な要素
です。

彼は母親の努力に感動し、
また他人が彼のために尽くしてくれることにも感動する
でしょう。
もし彼が感動と優しさを貫くなら、
彼は誠実で、恐れ知らずで、正直で、「立派な大人」になるでしょう。

優しさは、荒野に染み込む月光のように、
静かに人生の織物へと浸透していきます。

それは、見知らぬ人からの笑顔かもしれません。
地下鉄で年配の人に席を譲る率先性かもしれません。

夜、遅刻してきた人のために明かりをつけておくことかもしれません。
危機的状況で立ち上がって助ける英雄的な行為かもしれません…。

優しさは決して騒々しいものではありませんが、
魂の奥底に津波を起こし、
助けられた人の目に浮かぶ「感情のさざ波」を時を経て広げ、
やがて世界を潤す春の潮流となるのです。

それは混沌の中の星の光であり、
深淵に生える蔓(つる)であり、最も柔らかな姿勢で、
人間性の最も強固な記念碑を築き上げます。​​

私の人生も感動的な瞬間と優しさに満ちています。
思い出すたびに涙がこぼれるような話がたくさんあります…

■優しさは光のように、歳月は香りを残す。

過去を振り返ると、いつも感動的な瞬間があります。

何年も前、家族で新しい家に引っ越したのですが、
たまたま隣の人も同じような時期に引っ越してきたのです。

平日、廊下やエレベーターで会うと、
いつも笑顔で挨拶を交わしました。

言葉は多くなくても、さりげない挨拶と心からの笑顔が、
温かい気持ちにさせてくれました。
隣人同士の和気あいあいとした優しさは、
こうしたささやかな交流の中で、静かに伝わってきました。

ある日、エレベーターで会った時のことです。
彼は突然こう言いました。

「張さん、あなたの息子さんはスターだと知っています。
わざわざ家族会議を開いて、子供たち(彼には可愛い子供が3人います)に、
あなたの邪魔をしないように、
そしてこのことを公にしないように言いました」

それを聞いて、私は突然、胸に温かい流れを感じました。
息子がこんなに大きな影響力を持っているとは思ってもみませんでしたし、
他人に頼む勇気もありませんでした。

突然、誰かに丁寧に、そして深く気遣われているように感じました。
「光栄」な気持ちでした。
この気遣いに、私の心は温かい感情で満たされました…。

それ以来、近所の人たちとの交流や友情は、以前よりも深まりました。
祭事には、いつも熱心に地元の特産品を送ってくれます。
私が外出して帰ってこない時でも、
玄関先にきちんと贈り物が置いてあるのを目にすることがあります。

お返しの気持ちで同じように、
私もお返しにふさわしいものを選んでいます。
私たちは互いに思いやり、家族のように仲良く過ごし、
あまり邪魔にならない程度に交流を続けています。

私の人生で最も辛い時期には、ご夫婦はわざわざ私の家に来て、
座って話をし、慰めてくれました。

彼らの優しさと誠実さは、まるで一筋の光のように、
私の心のもやもやを払いのけ、前に進む力を与えてくれました。

この春、彼が経営する会社は、
環境の悪化により苦境に立たされています。

そのことを知った息子は、
私に「もっと近所の人たちを気遣うように」と特に言ってくれました。

しかし、彼に会うたびに、彼はいつも明るい笑顔で、
どんな困難も恐れることはないかのように、穏やかで落ち着いています。
彼の楽観主義と寛容さは私に深く感銘を与え、
彼の前向きな姿勢があれば、どんなに困難な状況や障害に直面しても、
冷静に乗り越えられると確信しています。

彼が一日も早く困難を乗り越え、
事業を軌道に乗せ、幸せな人生を送れるよう、心から願っています。

■見守る者たちが残した、優しい痕跡

あの暗黒の日々を思い出すと、
いつも言葉では言い表せない感動に、胸が熱
くなります。

当時、私が営んでいた小さな茶屋は、
様々な変化により閉店せざるを得ませんでした。

どこにいても恐怖に苛まれ、
家に隠れていても安心感を得ることは困難でした。
時折、何かを取りに茶屋に戻りました。

ドアを押して開けた瞬間、
ガラス戸に刻まれた濃密な痕跡が、目に飛び込んできました。

それは鼻、目、そして口の輪郭。
ガラスに張り付いて覗き込んでいた、
思いやりのある友人たちの痕跡でした。

当時、息子はネットの世界で姿を消し、
この茶屋が息子と関係のある場所であることを知る人はごくわずかで、
彼らはこの場所を息子の痕跡を見つける最後の希望としていました。

彼らが残した様々な温かい痕跡。
それを見るたびに、私はいつも熱い涙をこぼしました。

私は決して繊細な人間ではなく、
涙腺も弱いわけではないのですが、
遠くから心を貫くこの心配りは、私の防御を完全に破りました。
あの日々は、人生で一番涙を流した日だったように思えました。

当時、茶屋の周りでは、
地面にしゃがみ込んで泣きじゃくる娘たちによく出くわしました。

かつて私はこう書きました
「傷ついた心では、傷ついた心を慰めることはできないから、
私は彼女たちを慰めるために前に出る勇気はありません」

結局、私は涙を浮かべながら、
ただ黙ってその場を去ることしかできませんでした。

夜遅く茶屋に行くと、
各地から集まった友人たち(=海哲)に出会いました。

彼女たちは私たちの無事を確かめるために、
ただそばにいてくれました。

一体どんな深い愛情が、山海を越えて、
これほど心配してくれるのでしょうか。

これらの光景を思い出すたびに、
私の心は悲しみと感動の波に飲み込まれ、
なかなか落ち着くことができません…

■病棟に宿る永遠の愛

人生には感動的な瞬間があまりにも多く、
私と直接関係のない温かさを、
一つ一つ言葉で表現するのは難しいです。

しかし、私の記憶に深く刻まれている場面が一つあります。
それは、病棟で出会った、互いに支え合う老夫婦の姿でした。

ある時、病気で入院している友人を見舞いに行きました。
ドアを開けると、友人がベッドに横たわり、
顔色も悪く、私はひどく哀れに思いました。

その友人のベッドサイドには美しい花と高級な滋養強壮剤が飾られ、
部屋には芳しい香りが漂っていましたが、
隣のベッドにいた老婦人の状況は全く異なっていました。

ベッドサイドテーブルの上には、
古びた水の入ったコップと数箱の薬が置いてあり、
ひどく寂しそうでした。
老婦人は右手に点滴のチューブを繋ぎ、
体がかすかに震えていました。
その震えの一つ一つが、まるで人の心を揺さぶっているようでした。

白髪の夫は、彼女の背中を優しく撫で、
痛みを和らげようとしていました。

そんな慰めは効果がないように見えましたが、
夫は手を緩めることなく、
次々と、そして心の痛みと執念に満ちた目で…。

まるで、自分が止めない限り、
妻の痛みが少しでも和らぐのだというように、
繰り返しなでていました。

その瞬間、私の心は深く揺さぶられ、目頭が熱くなりました。

翌日、私は再び病院へ向かいました。
友人を訪ねると言っていたんですが、
実はあの老夫婦のことを考えていたのです。

病棟に入ると、目の前の光景に私は足を止めました。

老人は身をかがめ、妻の長い爪を歯で丁寧に噛み、
切りそろえていました。
銀髪は照明に照らされて柔らかく輝いていました。

老婦人は、点滴をしていない手で夫の髪を優しく撫で、
穏やかな微笑みを浮かべていました。
人生の浮き沈みは、
この瞬間、彼女の瞳を優しさへと変えていったのです。

その瞬間、私の目は潤み、胸は抑えきれない感情で満たされていました。
そして何の準備もなく、
老人二人の足元にひれ伏したのです!

生と死が交錯するこの小さな病棟で、
私は最も純粋な愛の形を目にしました。

友人のベッドサイドに置かれた花やサプリメントと比べて、
この平凡な老夫婦は、支え合うこと、
そして決して離れないことの意味を、最もシンプルな方法で解釈していました。

彼らは平凡で取るに足らない存在かもしれませんし、
生活は質素で貧しいかもしれません。
しかし、互いの目には、相手が「世界の全て」なのです。

その瞬間、私はついに理解しました。
人生には名声も富も権力もないかもしれませんが、
愛は必ずあるのです。
愛は平凡な日々を輝かせ、病の年月を温かさで満たしてくれるのです。

人生は決して完璧ではなく、後悔や苦しみは常に付きまといます。

しかし、一人の人と手をつないで風雨を乗り越え、
長い時間の流れの中で寄り添い合うことができれば、
たとえ欠点があったとしても、
人生もまた、この交わりの中で
完璧なものを手に入れることができるのです。

■愛は光であり、生命の銀河のようです。

かつて、私は息子に、こう言いました。
「時代がどんなに変わっても、
どんなに今の生活が悲惨でも、誠実さ、優しさ、感謝、
そして友情はいつだって社会の主流であり続けることを信じなさい」

息子が人生のどん底で苦しんでいた時、
彼は数え切れないほどの温かさと優しさ、
そして、様々な階層の人々からの思いやり、支え、そして友情を受けました。

彼らはまるで「光」のように息子の行く手を照らし、
私の言葉の意味を確信させてくれました。

息子を見捨てることなく見守ってくれたこれらの人々に、
心から感謝しています。

息子が勇敢に生き、前に進むことができるよう、
温かい手を差し伸べ、支えてくれたのは彼らなのです。

息子がかつてWeChat(ブログ)の
「变成星星照亮你(あなたを照らす星になる)」という記事で、
感動的な話をしてくれたことがあります。

※ハンハンの当時のブログはこちら>>チャンジャーハンが、チャンサンジャンブログで発表した「变成星星照亮你」(2022年2月14日)全文

彼には、一度も会ったことのない、
死期が近い友人(ファン)がいました。

最期の瞬間、彼女は3つの愛情あふれる、
しかし胸が張り裂けるようなメッセージを残しました。

「先生、長い間あなたを待っていましたが、遅すぎました。本当に腹が立ちます。」

「先生、暗闇が怖いです。あなたの光を少し貸して、私を導いてもらえませんか?」

「先生、空が晴れて暗くなるまで待ってください。
空を見上げてください。
私は姉妹たちと一緒に空の星になり、あなたの帰り道を照らします。」

その言葉には、息子への期待と、
この世を去ることへの深い後悔が込められていました。

この特別な友人を偲んで、
息子は「变成星星照亮你(あなたを照らす星になり)」という曲を作りました。

歌 詞の中で、彼は美しい未来のビジョンを描き、
「未来はあなたが思っているよりも素晴らしいものになる」という信念を伝えています。

後に、この曲は彼のコンサートの定番コーラスソングにもなりました。

おなじみのメロディーが鳴り響き、
観客全員が一緒に歌うたびに、
彼は友人から贈られた愛と励ましを心から感じ、
心はいつも感動と感謝で満たされました。

ハーパーズ・バザー誌のインタビューで、
息子は心からこう語りました。

「ファンの皆さんに本当に感謝しています。
どん底にいた時も、彼らはいつも私を支えてくれました」。
その感謝の気持ちは言葉では言い表せないほどでした。

同時に、彼は感動的なエピソードも披露しました。
少女は、自分を照らす星になりたいと願っていました。

この想いが息子にインスピレーションを与え、
周りの人を温め、照らす光になろうと決意させたのです。

そして、この「拾荒者」コンサートのVCRには、
意味深な物語が流れていました。

燃え盛るろうそくを手にした僧侶がこう言いました。

「炎は私、ろうそくは私。
ろうそくはあなた、炎はあなた、そして炎もまた私です。」

これは、触れ合うことでもたらされるポジティブなエネルギーの伝達、
愛と温もりの相互反射と継続、
小さな星の光が集まって輝く銀河となり、
一人ひとりの人生の旅路を照らし出すことなのかもしれません。

息子がハーパーズ・バザーの表紙を飾った時、
彼はカメラの前で確かに輝いていました。

眉は落ち着きがあり、端正で、身振りは穏やかで優雅、
そのハンサムさと気品は称賛に値するものでした。

しかし、私にとってこうした外見的な輝きは、
彼の内面的な資質に比べれば、はるかに物足りないものでした。

彼が言ったように
「母は私を照らす星になろうとし、
そして私にも、他の人を照らすモチベーションを与えてくれました。」

星になった友人が彼に教えてくれたこと、
そして苦難を乗り越えて、共に歩んだファンたちが教えてくれたことは、
やがて彼の心の糧となり、誠実さ、優しさ、
そして感謝の気持ちを日々の生活の中で自然に実践する力となりました。

雑誌に掲載された写真がどんなに美しくても、
それは一瞬を切り取ったものに過ぎません。
しかし、人の骨の温もりは、
時を経てゆっくりと落ち着き、静かに輝き続けるのです。

彼は外見ゆえに多くの人の目に留まるかもしれませんが、
彼をさらに前進させ、真に人々の記憶に残る存在にするのは、
彼の骨に刻まれた良き資質、
つまりレンズに映るどんな美しさよりも貴重で、
時の試練に耐え得るもの、だと私は常に信じています。

60歳を超え、顔は歳を重ねて老けていますが、
私の心は生まれつき、小さな子供のようで
まるでおとぎ話の中に生きているかのようです。

この小さな心は、世界をどこまでも包み込んでくれます。

普通の人には当たり前のことのように思えることに、
私はしばしば心を動かされます。

秋の月や冬の雪といった美しいもの、
そして散りゆく花や流れる水といった無情なものにも、
心を動かされます。

人生におけるあらゆる感​​情、
感情の糸、重なり合う思いを、
書き留めておきたい衝動に駆られることがよくあります。

それは一種の自己解放であり、
自分に言い聞かせているようなものです。

静かな夜に音楽を聴き、
心地よい音楽に心を解き放つこともあります。

歌や出来事、本、人、あるいは、一文に心を動かされると、
人生のあらゆる嫌なことや悩みを忘れ、
感謝の気持ちで胸がいっぱいになります。

歳月がくれた「未熟」な心のおかげで、
いつ、どこで、どんな時でも、
私は今でも、世界の優しさをはっきりと捉えることができます。

人生が与えてくれたすべてのことに感謝しています。

街角で見かけた見知らぬ人からの優しい笑顔、
困っている友人からの静かな手、
見知らぬ人からのさりげない言葉。

日々の生活に潜むこうした小さな親切は、
私の心の中で感動的な瞬間となり
感謝の気持ちが心を柔らかくし、
温かく、少しずつ豊かにしていく栄養となっています。

人生に感謝する、感動的な瞬間は常にそこにあります。
私たちの心と目が、光と温かさで満たされ、
美しさに導かれ、優しさとともに歩んでいきますように。

原文サイトはこちら

※原文には 動画は挟まれていないのですが、上の和訳の該当箇所に入れさせていただきました😢。
やっぱり この歌は 当時のことを思い出させる一番 印象深い歌です…(´;ω;`)ウッ…

今回のママのブログは、813事件が起こってから約半年近くに及んだ「暗黒時代※」を、
リアルに思い起こさせるもので なんだか 胸にぐっとくるものがありました…。(´;ω;`)ウッ…  

※あの事件について一切弁明することができず、ママもまともに発言することができず
李学政氏が自身のウエイボーで「ママの言葉」を転載しくれたのが初めて、私たちに伝わったハンハンの近況報告」でした。このへんの話は 簡単にまとめているので「?」な方は こちらを参照ください
>>チャンジャーハンの現在。813事件、封殺後から活動再開、現在までの記録

あの頃は もう「暗黒」以外の何ものでもなかったけれど…
4年たったいま、力強く立ち上がったハンハンを見れている状況は、まさに奇跡。

でも それは 偶然得た奇跡ではなく 
ハンハン自身が必死にもがきつかんだ、奇跡なのだという事実に、本当に頭が下がる想いです。<(_ _)>

ママのブログに入っていた海哲の皆さんのコメント ちょこっとまとめ

そして このブログには たくさんの海哲の皆さんのコメントあり。
あの暗黒時代、ハンハンとママを心配して ママの茶店に行った方のコメントもありましたよ😢

※1クリックで拡大できます
※自動翻訳なので 日本語的にへんてこな部分があります(そのへんご容赦を(^^;)w)

何だか 感じることはみんな同じと思うコメントが多くて…
きっと ママも喜んでるんじゃないかな…と思う 今回のブログでした<(_ _)> 

ではでは今日は このへんで。ここまでご覧くださりありがとうございましたww

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