一昨日、ハンハンがインスタで投稿した「ママと見た映画」の話。
覚えていらっしゃいますか?(〃▽〃)ポッ
今日は、早くも「その映画の話」を書いたママのブログを全文和訳でご紹介します。
※ハンハンの話が、たくさん出てくるので ぜひ読んでみてください♪
張ママがブログ更新! 映画「おばあちゃんの手紙」を息子と見た感想
ハンハンが こうコメントした映画の話。
母と一緒に
『おばあちゃんの手紙』を観に行って、
家に帰ったら母が夢中で文章を書き始めてた。
一通一通の手紙には、全部想いと情が込められてる。
公式サイトやInstagramは、
喜びや悲しみを分かち合える「心のよりどころ」のような存在です。
詳細は過去投稿>>チャンジャーハン、公式インスタで「誕生日当日の記念写真&エピソード」を公開!
まさに その「おばあちゃんの手紙」について 書かれた文章です。
※実は昨日更新されてました(;^ω^)
以下 全文和訳でご紹介します。
張ママブログ5/15更新!「心の中には永遠にひとつの穴がある――『おばあちゃんへの手紙』を観た感想」全文和訳

心の中には永遠にひとつの穴がある――『おばあちゃんへの手紙』を観た感想
息子と一緒に
映画『おばあちゃんへの手紙』を観終えたあと、
帰り道でもずっと感想を語り合っていました。
家に着くと胸がいっぱいになり、
私はパソコンの前に座って、
映画の感想を書きたくなりました。
すると息子は自分のSNSに
「母さんが今から勢いよく書き始めるぞ」
と投稿していました。
はい、どうしても机に向かって
筆を執らずにはいられませんでした。
この世で人を最も苦しめる痛みは、
突然の生死の別れではなく、
生きながらの別れです。
山や海を隔てて想い合っていても、
二度と帰る日が来ないこと。
骨の髄まで想っていても、
まったく便りがないこと。
運命は、人の心にぽっかりと穴を開けます。
それは血も見えず、
傷跡もありませんが、
生涯ずっと空しく苦しく、
風が吹けばただ静まり返り、
永遠に埋まることはありません。
友人が何度もこの作品を勧め
「ティッシュを準備して観て」と念を押してきました。
私は息子を誘い、
一緒に潮汕の温かな人情映画
『おばあちゃんへの手紙』を観に
映画館へ入りました。
上映中、館内は
静かで張りつめた空気に包まれていました。
心を打たれる場面では、
暗がりの中で、
堪えきれなずに出た
小さなすすり泣きが静かに聞こえていました。
私も何度も目を潤ませ、
涙が静かに頬を伝いました。
隣の息子は黙ったままでしたが、
耳元では彼が必死に抑え込む
鼻をすする音が何度も響いていました。
映像が終わり、胸の痛みだけが
心の底に沈殿していく中で、
私はふとやるせない悲しさに包まれました。
人は一生のうちに、叶わなかった縁も、
別れを告げることもできなかった離別も、
生と死に隔てられた後悔も、
結局は心の中の、
決して癒えない空洞へと変わっていくのだと。
おばあちゃんもそうであり、
謝南枝※もまたそうでした。
🌟謝南枝=映画の中で、おばあちゃんの夫「鄭木生」に成り代わって、
手紙とお金を贈ることになる女性です(下で詳しく出てきます)
それはこの世で最も優しく、そして最も残酷な宿命なのです。

この潮汕を舞台にした地域映画は、
商業映画のような大げさで派手な演出を捨て去り、
素朴で静かな映像表現によって、
20世紀、1940年代の南洋華僑たちの
悲喜こもごもの人生を描いています。
作品は潮汕の華僑文化に深く根を下ろし
「僑批(きょうひ)※」を軸として、
山や海を越え、善意と後悔を抱えながら続いていく
長い別離の物語を静かに語っています。
🌟僑批(きょうひ)海外へ出稼ぎに行った華僑が、
故郷の家族へ送った「手紙+送金」のこと。
激しい対立もなく、わざと涙を誘う演出もありません。
ただ平凡な日々の暮らしの中に、
一世代の人々が背負わざるを得なかった
宿命が隠されています。
この世の人々は、
決して孤独に生きているわけではありません。
誰もが人情の絡み合う網の中を生き、
家族愛や恩情、善意によって固く結びつけられています。
断ち切ることも整理することもできない、
無数の感情のつながりを抱えているのです。
ひとつの善意が二つの家族の半生を結びつけ、
一度の救いの手が、
山や海を越えた支え合いと、
恩返しへとつながっていきます。
人と人との縁や絆は、
偶然のように見えても、
実は長い歳月の中ですでに静かに根を下ろしているのです。
戦乱の時代、潮汕の青年・鄭木生は、
徴兵から逃れるため、妻・葉淑柔と別れ、
ひとり南洋へ渡って生計を立てることを余儀なくされました。
別れはあまりにも突然で、
何気なく口にした「帰る」という約束の言葉だけが、
妻にとって半生を支える、
心の拠り所となりました。
若き葉淑柔は古い家を守りながら、
幼い三人の子どもをひとりで育て、
別離の苦しみを胸の奥深くにしまい込んで生きていきます。
山と海に隔てられ、
通信手段も乏しかった時代、
薄い「僑批(きょうひ:お金と手紙)」だけが、
海を越える絆となっていました。
一枚の手紙に書かれた文字には、
無事を知らせる想いが託され、
わずかな言葉の中に、
尽きることのない気がかりと愛情が込められていました。
それは混乱の時代を生きる
普通の人々にとって、唯一の心の支えだったのです。
善良さとは、もともと
運命に張られた伏線のようなものです。
この世のあらゆる優しい報いは、
すべて、かつて命を懸けて人を救った
真心から始まっています。
南洋へ渡った鄭木生は、
まっすぐで義理堅い性格でした。
船旅の途中、自分の船のそばで、
別の船が盗賊に襲われているのを目にします。
本来なら関わらずに済ませることもできましたが、
それでも彼は義を重んじて、
隣の船へ飛び移り、
虐げられていた乗客たちを助けました。
しかし悪人たちに激しく殴られ、
最後は海へ投げ込まれ、
そのまま命を落としてしまいます。
別れはあまりにも突然で、
遺言もなく、誰かに託す言葉もないまま、
彼の人生は広い海の上で永遠に止まってしまいました。
けれど、運命の優しい巡り合わせは、
実はずっと以前から、静かに埋め込まれていました。
かつて悪人が故意に放火し、
謝南枝の家の旅館が焼かれたことがありました。
火の勢いは激しく、命の危険が迫る中、
鄭木生は迷わず飛び込み、
謝南枝の父を救い出します。
さらに放火犯と命懸けで戦い、
その結果、自らも巻き込まれて二年間投獄されました。
この命がけの行動は、
相手を守るために、すべてを顧みなかった
真っ直ぐな善意でした。
その深い恩情は、
謝南枝の心に強く刻まれ、
のちの半生を支える執念となっていきます。
その恩を深く受けていた謝南枝は、
鄭木生の訃報を真っ先に知りました。
彼女はすでに訃告を書き終え、
遠く潮汕にいる葉淑柔へ真実を伝える準備をしていました。
しかし運命は、
一通の故郷からの手紙によって大きく動きます。
それは葉淑柔が夫へ送った家族の手紙でした。
そこには深い愛情があふれ、
家の出来事や子どもたちの近況が細やかに綴られており、
一文字一文字に「帰ってきてほしい」
という真心のこもった想いが込められていました。
その温かな言葉を目にした謝南枝は、
ひとりの女性のすべての希望を壊すことに、
どうしても耐えられませんでした。
彼女はその大きな恩義に感謝し、
深い憐れみを抱きながら、
ついに訃告を破り捨てます。
そして鄭木生の名で「無事だ」という手紙を書き、
生活費を添えて送りました。
こうして、優しい嘘が始まったのです。
最初の四年間、彼女は毎月欠かさず
手紙を送り続けました。
遠く離れ、孤独に待ち続けるおばあちゃんの心に、
いつも小さな希望を灯し続けるためでした。
その後も長い歳月にわたって
断続的にやり取りは続き、
18年間交わされた僑批のひとつひとつは、
すべて謝南枝ひとりの手によって書かれていたのです。
彼女は自らその責任を背負い、
鄭家の三人の子どもを陰ながら育て、
亡き恩人の代わりに、
夫として、父としての重荷を引き受けました。
半生にわたる孤独と苦しみをもって、
かつて命を懸けて
自分を守ってくれた恩へ報い続けたのです。
一方、故郷にいる葉淑柔は、
その真実をまったく知りませんでした。
40年もの長い歳月、
彼女は古い家を守り続け、
別れ際に交わした「帰る」という約束だけを支えに、
貧しく慎ましい暮らしの中で待ち続けていました。
しかしある日、台風が過ぎ去ったあと、
海水に浸かって傷んだ手紙が届けられます。
そこに残っていたのは、
鄭木生と当時の教え子たちが一緒に写った写真一枚だけでした。
葉淑柔はそれを見て、
彼には外に別の女性と家庭があり、
多くの子どもまでいるのだと思い込んでしまいます。
その瞬間、彼女の心の空洞はさらに深くなり、
僑批のやり取りもそこで途絶えてしまいました。
それから長い年月が過ぎ、
孫(まご)がタイへ親族を探しに渡ったことで、
封じ込められていた歳月の真実が少しずつ明らかになり、
この隠されていた過去が、ようやく解き明かされます。
40年もの長い歳月を待ち続けた末に、
彼女はようやく知るのです。
半生をかけて想い続けてきた人は、
すでに海で命を落としていたことを。
そして、自分が孤独な年月を耐え抜く
「支え」としていた「家族からの手紙」は、
ずっと謝南枝によって書かれていたことを。
突然訪れた死別。
善意によって紡がれた恩返し。
そして半生を費やした、待ち続ける人生。
それらは最後には、
生涯癒えることのない欠落となって心に残り、
永遠に埋まらない空洞を刻みました。
同時にこの作品は
「善良さには必ず応えがあり、
深い恩は人生をかけて返される」
という温かな核心を描き切っているのです。
素朴な物語でありながら、
この作品には洗練された映像構成と、
滑らかで自然な場面転換の巧みさがあります。
監督は徹底して写実的なスタイルを貫き、
淡々とした語り口と“余白”の表現を基調にしています。
わざと感情を煽る演出を避け、
柔らかく素朴な映像の中に、
歳月の重みを静かに沈め、
抑え込まれた感情を、
何気ない場面の中へと忍ばせながら、
静かに人の心を打ってきます。
映画を観終えて家へ帰る途中、
息子はこの作品の“格の高さ”について語っていました。
それは制作陣が、
多くの非職業俳優を思い切って起用したことだと言うのです。
型にはまった演技や、
わざとらしく作り込まれた表現はなく、
ただ自然で真実味のある表情だけがありました。
そこには普通の人々の内側にある素朴さ、
優しさ、そして耐え忍ぶ強さが、
そのまま映し出されていました。
まるで本当の人間の暮らしのぬくもりを、
そのまま再現しているようでした。
この飾らない純粋さは、
“演技をしている”という痕跡を消し去り、
何気ない日常の中で静かに人の心を揺さぶるのです。

「僑批」は、
作品全体を貫く中心的な象徴として描かれています。
黄ばんだ便箋や古びた消印は、
どれも歳月の痕跡です。
それは家族の情をつなぐ、
温かな絆であると同時に、
善意とどうにもならない切なさを秘めた
感情の器でもあります。
映像は手紙の細部を丁寧に映し出し、
文字に宿るぬくもりによって、
東洋的感情表現ならではの含みと抑制を
描き出しています。
ゆったりと落ち着いた物語のテンポもまた、
時の流れの質感に寄り添っており、
観客は別離や守り続けること、
そして後悔の中に潜む、
人生の重みを静かに味わうことができるのです。
作品全体を通して、
最も深く描かれているテーマは、
人の心に残る「永遠の空洞」です。
運命は決して誰かを特別扱いしません。
この山や海を越えた、優しい嘘の中で、
葉淑柔と謝南枝は、南と北に分かれ、
一人は待ち続け、一人は秘密を抱え続けながら、
ともに運命に裏切られた存在でした。
面識すらない二人の女性は、
遠く海を隔て、
それぞれの心に、
決して癒えることのない空洞を刻み込んでいきます。
ひとつは募る想いのために、
もうひとつは恩返しのために。
二つの孤独な悲しみは、
どちらも同じように痛ましく、寂しいものなのです。
おばあちゃん・葉淑柔の空洞は、
“生きながらの別れ”によって生まれた空洞であり、
長年消えることのなかった執着にも似た恋しさの痛みでした。
彼女は、潮汕の華僑の故郷に取り残された
「女性たちの象徴」でもあります。
穏やかで芯が強く、黙って耐え忍びながら、
一生分の感情を胸の奥に封じ込めて生きていました。
彼女は夫のたった1枚の古い写真を大切にしまい込み、
何度も手に取り続けたことで、
写真の端は白く擦り切れていました。
潮が満ち、風が吹くたびに海辺に立ち尽くし、
広い海を見つめながら、
帰ってくる船影を待ち続けます。
そして、18年間にわたる僑批を丁寧に包み、
大切な宝物のように保管していました。
最初の四年間、途切れることなく届いた家族からの手紙は、
荒れ果てたような彼女の年月の中で唯一の光でした。
郵便配達人の足音が聞こえるたびに、
張り詰めた彼女の心は大きく揺さぶられます。
文字は孤独を慰め、
希望は心の空洞を埋めていました。
彼女は、山や海には終わりがあり、
帰る日にも終わりがあると信じて疑いませんでした。
しかし、その想いの果てには、
もともと帰ってくる人など存在していなかったのです。
40年という歳月が流れ、
黒髪は白く変わりました。
彼女は虚しい希望を抱いたまま、
飢えにも孤独にも耐え続けます。
そして真実が明らかになったその瞬間、
彼女は取り乱して泣き崩れることすらありませんでした。
ただ深い静寂と寂しさだけが残っていたのです。
半生を支えてきた心の支柱は音を立てて崩れ去り、
数十年抱き続けた想いは行き場を失いました。
その長く積み重なった恋しさは、
内側から静かに腐っていくように、
心の空洞をさらに荒れ果てたものへ変えていきます。
彼女の空洞は、目に見えるようで、
触れられるようでもあります。
それは海辺で遠くを見つめる後ろ姿の中にあり、
黄ばんで封じられた手紙の中にもあります。
それは一生待ち続け、
そして一生叶わなかった、決して答えの出ない後悔なのです。

謝南枝の心の空洞は、
“執念”によって生まれた空洞でした。
それは静かに誰かを支え続ける「孤独な勇気の痛み」であり、
同時に、善意は巡り巡って返ってくるということを
最も胸を打つ形で示した存在でもあります。
多くの人は、おばあちゃんの長い歳月にわたる
「待ち続ける人生」には心を寄せます。
しかし、陰でひっそりと手紙を書き続けていた
この女性の存在には、なかなか目が向けられません。
当時、鄭木生が命を顧みず人を救ったことで、
誰かの絶望は救われました。
そして時が流れ、
その恩人は突然命を落とし、
残された妻子は苦難の中へ置き去りにされます。
謝南枝は、その恩に人生をかけて報いる道を選びました。
亡くなった人から頼まれたわけでもなく、
誰かに強制されたわけでもありません。
彼女はただ自分の心に従い、
訃告を破り捨て、ひとりで重い善意を背負い続けたのです。
その恩返しの初心を守り抜くため、
彼女は生涯結婚せず、ただ養子をひとり迎えて共に暮らしました。
財産も時間も惜しまず使い、
鄭家の三人の子どもたちを陰ながら支え育て、
恩人が果たせなかった父としての責任を
最後まで引き受けました。
彼女自身は潮汕の味付けを知らなかったにもかかわらず、
毎年塩漬け豚肉を作っては、
丁寧に包み、海を越えて送り続けます。
ただ、一度も会ったことのないおばあちゃんに、
少しでも温もりを届けたかったからです。
古びた木造の家では、
白紙の便箋がいつも机の上に広げられていました。
筆を取っても置いても、
そのすべてが誰かへの想いでした。
彼女は半生を、他人の幸せを守るために費やし、
自分自身のための温かな暮らしを持つことはありませんでした。
晩年になると、アルツハイマー病によって
彼女の記憶の大半は失われていきます。
人も出来事も曖昧になり、
歳月の記憶も薄れていき、
この世のあらゆることが
少しずつ彼女の心から消えていきました。
映画を観終えたあと、
私は息子と一緒に作品の細部を静かに振り返っていました。
その中で最も胸を打ち、
“神がかった演出”だと感じた場面があります。
それは、半生にわたって
遠く離れたまま互いを想い続けてきた
二人の白髪の女性が、
人生で初めて出会い、
おそらくそれが最初で最後の対面になる場面でした。
年老いた謝南枝は、
手の中で何度も木綿花(もめんばな)を撫でていました。
その花は、彼女が生涯抱え続けた
最も深い絆と想いを宿しており、
すでに骨の髄まで染み込んだ記憶の印となっていました。
病によって過去の記憶が少しずつ失われていっても、
木綿花だけは彼女だけの“感情の鍵”として残り、
そっと長年閉ざされていた記憶の扉を開いていきます。
その瞬間、
彼女の目には急にはっきりとした光が戻り、
ぼんやりとしていた意識の霧が晴れます。
そして彼女は、素朴で温かな言葉を静かに口にするのです。
「淑柔お姉さん、
私が送った塩漬け豚肉、おいしかったですか?
おいしかったなら、また送りますね」
葉淑柔は涙を浮かべながら、優しく答えます。
「おいしかったですよ」
たったそれだけの、何気ない日常の言葉でした。
深い愛を語る台詞もなく、
涙を誘うような演出もありません。
それなのに、その短い会話の中には、
半生にわたる忍耐と孤独、
そして山や海を越えて誰かを思い続けた、
優しさのすべてが込められていました。
その瞬間は、まっすぐに涙腺へ届き、
人は自然と涙を流さずにはいられなくなるのです。
彼女の心の空洞は、
静かで、誰にも知られず、
誰にも理解されないものでした。
それは自ら望んで誰かを支え続けた人生であり、
永遠に終わることのない“恩への想い”でもありました。
そしてそれこそが、
善良さというものを最も美しく表しているのです。
ひとつの善意が、互いを救うことにつながる。
鄭木生の善良さがすべての始まりとなり、
謝南枝の守り続ける想いが、
その物語を完成させました。
この素朴で純粋な因果の巡りこそが、
この作品に流れる最も温かく、希望に満ちた根底の色なのです。

二人の老人は遠く離れたまま互いを見つめ合い、
それぞれの心に埋めることのできない
空洞を抱えていました。それはどちらも、
歳月の中で刻まれた時代の傷跡だったのです。
あの戦乱と流浪の時代、
多くの潮汕の人々は、
やむを得ず南洋へ渡りました。
別れは日常となり、漂泊は宿命となっていました。
故郷に残された多くの女性たちは、
青春を使い果たしながら帰りを待ち続け、
多くの異郷の旅人たちは、
流転の果てに異国の地で骨を埋めました。
時代の混乱は人々の団らんを打ち砕き、
山や海は深い情を引き裂きました。
激しい時代の流れの中では、
一人ひとりの悲しみなどあまりにも小さく無力で、
心に空洞を抱えた無数の人々が、
思慕と孤独の中で静かに揺れながら生きていたのです。
映画を観ている間、
隣に座っていた息子は静かに涙を流していました。
この素朴な人情の温かさと切なさの中で、
彼は善良さや別離、
そして守り続けることの意味を感じ取っていたのでしょう。
私にとって、この映画鑑賞は、
優しく自分の魂を見つめ直す時間でもありました。
私たちは今、通信が発達し、
どこへでも行ける穏やかな時代に生きています。
すぐに会うことができ、
一瞬で連絡も取れる生活に慣れすぎて、
ゆっくりとした時代の中で交わされた一通の手紙の重みを、
いつの間にか忘れてしまっています。
そして遠く離れて想い続けることの、
骨に沁みるような切なさにも気づかなくなっています。
私たちはいつも
「これから先、まだ時間はある」と思っています。
しかし世の中は常に変わり続けるものであり、
平穏な時代の中では気づけないことがあります。
あの激動の時代において、
ただ家族が揃って暮らせることこそが、
一生をかけて願うほど贅沢な望みだったのです。
そして、この作品が最も大切に描いている、
最も温かく前向きなテーマは、
“善良さ”への讃歌です。
善にも悪にも、
必ず巡り返ってくるものがあります。
善意は決して無駄にはなりません。
鄭木生は人を救おうとした一念によって、
自ら命を落としたあとも、
誰かが代わりに彼の家族を守り、
子どもを育て、愛する人を支え続けました。
謝南枝は恩返しをしたいという一念によって、
半生の孤独を差し出しながら、
他人の幸せを守り抜き、
山や海を越えた優しい救済を成し遂げたのです。
そこには大げさな美談もありません。
ただ、素朴で純粋な“人として善くありたい”
という想いだけがあります。
それこそが、この作品が人の心を打つ温度なのです。
作品全体を通して、
わざと涙を誘う演出もなく、誇張された展開もありません。
ただ、人間らしい暮らしのぬくもりと、
素朴な人情や義理を静かに語っていくだけです。
真心こそが人の心を打つ
――それは芸術作品において
永遠に最も大切な原則であり、
まさにそこがこの映画最大の成功なのだと思います。
また、作品後半で繰り返し描かれていたのは、
“人としてどう生きるべきか”という最も素朴で熱い真理でした。
人は一生の中で、
「情と義」を持って生きることが何より大切なのです。
情義とは、人間の本質にある最も純粋な色であり、
貧富にも、距離にも、損得にも左右されません。
鄭木生が人を助けたのは
「義に厚い情義」であり、
謝南枝が半生をかけて恩返しをしたのは
「感謝の情義」であり、
葉淑柔が待ち続けたのは「変わることのない情義」でした。
混乱の時代の中では、
お金や名声などは儚いものです。
ただ骨の髄まで刻まれた情義だけが、
歳月や距離を越え、
人と人を結ぶ最も強い絆として残り続けるのです。
映画が終わったとき、私はようやく
この作品の深い哲学に気づきました。
欠けた部分を抱えて生きることこそが
人生の常であり、
空洞こそが命の底にあるものなのだと。
人生には完璧な幸福などありません。
別れも、後悔も、果たせなかった想いも、
すべて人が生きるうえで避けられないものです。
そして善良さとは、この世で最も優しい“生き方”なのです。
ある人とは、一度別れれば永遠の別れとなります。
ある想いは、一度抱えれば半生を費やして
守り続けることになります。
おばあちゃんの空洞は
“思慕の行き着く場所”であり、
謝南枝の空洞は“善意の記念碑”でした。
ひとつの優しい嘘は、
一人の女性の半生を温め、
そして善意が巡っていく物語を完成させたのです。
山や海に隔てられても、善意は朽ちません。
歳月は静かに流れても、
想いは長く続いていきます。
僑批(きょうひ)に綴られた文字も、
心に埋め込まれた執念も、
やがては優しい力となり、山や海を越え、時を越えていくのでしょう。
人の心の穴は、永遠に完全には埋まりません。
けれど、その痛みは優しさによって
静かに包み込まれることがあります。
別れの苦しみも、永遠に消えることはありません。
けれど、歳月の中で大切に抱えられていくのです。
映像はいつか終わっても、深い想いは決して終わりません。
どうか私たちが、
今そばにいる人を大切にし、
一つひとつの出会いを大事にできますように。
そして後悔を少しでも減らし、
共に過ごす時間を増やせますように。
また、この世のすべての静かな待ち続ける想いと、
純粋な善意が、歳月によって優しく報われますように。
心に残る決して癒えない空洞も、
いつの日か時の流れの中で静かに安らぎへ変わり、
そのぬくもりだけが残っていきますように。
その場の ハンハンとママの会話まで 頭に浮かぶような…
とても 大きな余韻のあるブログでしたネ…
(大切なことは全部 ママが書ききってるので 感想はこのへんでww)
おまけ 素のハンハンと「山河令」阿絮の「酔っ払い」写真比較
最後は おまけ^^; SNSで拝見した こちら。
1クリックで拡大可能。


左:先日の「夜9時には酔っ払ってしまった 素のハンハン」
右:山河令の阿絮 酔っ払いシーン。
結論 どちらもかわいいwww (〃▽〃)ポッ
ということで 本日以上にて。ここまでご覧くださりありがとうございましたww
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