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チャンジャーハン、公式インスタ10/15更新!「寒かったり暖かかったりするね」(近況コメント)

昨日、このブログを更新したあと、23時ちょっと前に…
ハンハンのインスタ更新があって、ドビックリでした😅

ということで 今日は、その内容からご紹介しますネ。

目次

チャンジャーハンが「公式インスタ」でまた近況コメント!(10/15)

現在、深圳に滞在中と思われるハンハンだけど… やっぱ深圳も涼しくなってきたのかな?
(深圳は香港の隣で、北京に比べるとかなり温暖ですww)

※ちなみに今日の気温は、最高気温33℃ 最低気温20℃(温度差が結構あるww)
ウエザーnewsより リンク先はこちら

チャンジャーハン公式インスタ10/15投稿 内容詳細

投稿コメント 嘿嘿 冷热交替
和訳:「へへ、寒かったり暖かかったりするね」(寒暖が交互にやってくるね)

投稿元リンク先はこちら

ということで 今回のハンハンの投稿写真がこちら。

ここまで 全部 昨日発売されたEHZZの「新作披露」でしたネ♪

この写真、すごくかっこよくないですか? (^ー^* )フフ♪

そしてここからは テニスのハンハンww

やる!となったら どこまで突き詰める ハンハン。
テニスを始めてまだ数か月のはずだけど😅 ここまで一生懸命やってたら かなり上達してるに違いないww

ということで 以上 ハンハンのインスタ投稿でした♪

チャンジャーハン関係の「このほかの話題」ちょこっとまとめ

さてさて!このほかの話題も少しあり。ちょこっとまとめで さくっとどうぞww

ARFF公式インスタに「審査員チャンジャーハンVTR」登場!!

まずは 去年ハンハンが「映画8月」でドキュメンタリー映画賞を受賞したARFFから。
公式インスタで、今年の審査員としての「ご挨拶」投稿がありました。(〃▽〃)ポッ

国際的に高い評価を得ているミュージシャン、俳優、そして(ARFFの)卒業生でもある、映画監督のチャンジャーハンが、ARFFとWSXAの統合審査員に加わり、映画的な繊細さと音楽の深みを融合させた稀有な作品を発表します。感情に訴えるパフォーマンスとストーリーテリングで知られる張は、その多面的な芸術性で世界中の観客を魅了し続けています。

ドキュメンタリー映画『8月August』がアムステルダムARFFで最優秀ドキュメンタリー賞を受賞した本作は、シャングリラからラサへの自転車旅行中に撮影され、息を呑むような風景、偶然の出会い、そして回復力の瞬間を通して展開し、個人の再生において、脆さ、自然、そして勇気がどのように交差するかを探求しています。

張は舞台からカメラの裏側へと転身し、インディペンデント映画の真髄である、真実と真実の価値に根ざした創造力を発揮しています。2025/2026年度審査員として、彼は映画界の力強い新進気鋭の才能を称えるために、独自の視点をもたらします。

今年のベルリンでの集いは、国境を越えて映画、アート、そして表現を称える国際的なクリエイティブコミュニティにとって、ひとつの結束の瞬間を象徴するものです。Around Filmsファミリーの一員であるチャン・ジャーハンの存在は、彼の世界的な影響力と、文化と感情を繋ぐ物語への献身の両方を反映しています。
彼は、その芸術性と誠実さを通して、音楽、映像、そして意味が融合するハーモニーを体現し続けています。🎬🎶✨

※投稿元に動画があります。

投稿元リンク先はこちら

動画は去年撮影したものみたい😅
※審査員になった話は去年から出てたけど、今年も授賞式に参加したりするのかな??
この辺の話は まだよくわからないので 判明したらご紹介しますネ(^-^;

チャンジャーハンのグッドナイトストーリー第56弾の内容和訳

海外海哲のsannaさんから、先週土曜日に公開されたグッドナイトストーリーの要点解説。

https://twitter.com/SannaU4/status/1978392203257852040

グッドナイトストーリー56回「帳簿への願い」
この無常の世界を記す
「貨幣一枚一枚の運命」最高に甘い挨拶で始まる

以下和訳 ※sannaさんが英訳してくれた原文の和訳です。
※ハンハンの朗読音声は 公式サイトで>>ここから飛べます

皆さん、こんにちは。チャン・ジャーハンです。
今日は丰子恺の『大帳簿』を読みます

幼いころ、一度船に乗って田舎へ墓参りに行ったことがある。
船の窓辺に寄りかかり、船のへさきで次々と生まれては消える波を眺めていたとき、手に持っていたダルマおとし人形(※)が、誤って川へ落ちてしまった。

それが波間に跳ね入り、船の後方へ転がっていくのを目で追ったが、一瞬のうちに影も形も消えてしまい、すべては知ることのできぬ彼方の世界へと委ねられた。私は自分の空っぽの手を見つめ、再び窓の下の絶え間ない波を眺めた。

※だるま落とし人形:日本にもある人形で、頭は赤いだるまで、胴体がいくつもの円柱状の積み木になっていて、 遊び方;木づち(ハンマー)で横からコンコンと叩いて、下の段だけを落とす人形です。「不倒翁」=だるま(倒れない縁起物)🔨「叠叠乐」=だるま落とし(積み木的な遊び)

ダルマの転落した場所を思うと胸が痛み、船の後ろの白い水面をしばらく見つめながら、心に疑問と哀しみが静かに広がっていった。

あのダルマは今どこへ行ったのか、どうなってしまったのか。
それを知ることは永遠にできないのだと思うと、どうしようもない悲しさに包まれた。

もしかすると波に流されて岸辺に打ち上げられ、どこかの子どもの手に拾われたのかもしれない。
あるいは漁網に引っかかって、漁船のお守りのように扱われているかもしれない。

それとも暗い川底に沈み、長い年月のうちに泥となって、この世から完全に姿を消してしまったのかもしれない。確かに今もどこかにその行方はあるはずで、やがて何らかの結末を迎えるだろう。

しかし、いったい誰がそれを調べることができるだろう?
この「知りえぬ運命」を知る者など、誰ひとりいない。
私はその疑問と哀しみを胸の奥に抱えたまま、ただぼんやりと考え続けた。

そして思った。父ならこの謎を知っているかもしれない。
そうでなければ、大人になったときには自分で答えを見つけ、疑問と哀しみを解き放てるだろうと。

——だが後に本当に大人になってみると、その疑問と哀しみは消えるどころか、ますます深く心に根を下ろしていた。

小学校の友達と郊外を散歩しているとき、偶然拾った木の枝を杖代わりに使い、しばらくして畑に捨てた。
だが私は立ち去る前に必ず何度も振り返ってしまう。

「もう二度とこの枝には会えないのだろうか」
「この先どうなるのだろう」

そんなことを考えては、取り返しのつかない喪失を感じた。

ひとりで散歩しているときなら、なおさら名残惜しくて離れがたく、何歩か進んでは戻って拾い上げ、「さようなら」と心の中で告げて、ようやく置いて歩き出した。

そんな自分の姿に苦笑しつつも、その哀しみと疑問は本当に胸に満ちていた。
人の多い場所や忙しいときには、この感情は心の底に押し込められ、
私は他人と同じように平然と振る舞うことができた。

だが静かな場所や夜の孤独の中では、それらが再び浮かび上がってくる。
ある夜、勉強の途中で詩を書きつけた紙を火に近づけ、
燃えるのを見つめながら、私は灰になるまで一文字ずつに別れを告げた。

灰となったあと、私は元の紙の姿をはっきりと思い浮かべたが、
それをもう一度取り戻すことは、どんな権力者や聖人の力をもってしても不可能なのだと気づき、深い悲しみに沈んだ。

私はその灰の中から、どの粒が「春」という字の名残で、どれが「蚕」という字の灰なのかを見分けようとした。
そしてそれが明日、風に吹かれてどこへ散っていくのか、あるいは土に混じってどんな草木を育てるのかを想像した。

それもすべて、永遠にわからぬことだった。

食事のとき、ひと粒のご飯が衣に落ちた。
その一粒を見て、またも疑問と哀しみが湧き上がった。

この米は、いつ、どこの田んぼで、どんな農夫の手によって植えられたのだろう?
誰が刈り取り、精米し、私の家に届き、いま私の前にあるのだろう?

理屈では調べようと思えばわかることかもしれない。
だが実際にそれを知る者は、この米粒自身を除いて、誰もいないのだ。

銅貨を一握り取り出すと、その一枚一枚に長い歴史がある。
あるものは乞食の手を渡り、あるものは労働者の汗の代価となり、またあるものは盗賊の戦利品となった。

どれも黙したまま、決して自らの物語を語ろうとはしない。

今、私は三十歳になった。
この疑問と哀しみは、年齢とともに重くなったが、感じる刺激は薄れている。

人々がこのようなことを気に留めず、食べて、稼いで、眠るだけで平穏に暮らしている姿を見て、私は彼らの「幸福」を学ぼうと努めてきた。だが学び続けてもなお、完全には卒業できず、疑問と哀しみは形を変えて私の中に残っている。

旅館を去るときには、どんなに粗末な部屋でも「もう二度とここに泊まることはないのか」と感じ、列車を降りるときには「もうこの隣の人とは会えないのだろう」と思う。

その感情はほんの一瞬、鳥の影が水面をかすめるように去っていく。
私はそれを抑えられるようになったが、ひとりになるとまた元に戻ってしまう。

春風が窓から吹き込み、庭の白桃の花びらが一枚、原稿の上に落ちてきた。
それがどの枝のどの花から落ちたものなのか、誰にわかるだろう?

地面を覆う無数の花びらもまた、それぞれに帰るべき萼(がく)を持っている。
だが誰も、その出所を調べ、元に戻してやることなどできはしない。

再び、疑問と哀しみが私の心を襲った。
幼いころから今に至るまで、私はこの疑問と哀しみから逃れることができなかった。

年を重ね、知識を得るほどに、それはますます強くなる。
人々の無関心が強まるほど、私の内での反動も強くなる。

もしこの三十年間に私が感じたすべての疑問と悲哀を書き記したなら、その量は「四庫全書」や「大蔵経」にも匹敵するだろう。だがそれでも、私の経験など宇宙の広がりに比べれば、恒河の砂一粒にも満たぬものだ。

そして私は見たような気がした――
宇宙のすべての出来事と存在の「過去・現在・未来」が、ことごとく記された巨大な帳簿を。

原子の動きから天体の運行まで、微生物の行動から世界の終焉まで、
すべての因果が克明に記され、ひとつとして漏れがない帳簿を。

その帳簿を前にして、私はこれまでのすべての疑問と悲しみから解き放たれた。

あのダルマの行方も、灰の行く末も、米粒や銅貨の来歴も、旅や邂逅のすべても記されている。
そして、庭の砂の一粒一粒まで――

私は確信した。
この宇宙には、必ずや「大いなる帳簿」が存在するのだと。
こうして、私の疑問と哀しみは、ついにすべて解き放たれた。

(終わり)

人間の「存在への問い」と「知りえぬことの悲しみ」を書いてる本だそうです😢
(ハンハンが読む本は いつも、とても深い意味がありますね…)


ということで 以上 ちょこっとまとめでした。

ではでは今日はこの辺で。ここまでご覧くださりありがとうございましたww

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