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チャンジャーハン(張三堅)3/28ブログ投稿「アルゴリズムの外側」(全文和訳)

今年に入って2本目の、ハンハンのブログ公開♡
昨日更新された、チャンジャーハン(張三堅)「アルゴリズムの外側」を全文和訳でご紹介します♪

目次

チャンジャーハン(張三堅)ブログ「アルゴリズムの外側」

今回のブログは、冒頭は近況で始まるのだけど
途中から、最近見た映画とドラマのレビューが始まります。

その作品というのが、
アメリカ映画『極限審判(邦題:MERCY/マーシー AI裁判)』プライムビデオで配信中)と
韓国ドラマ「サラキムという女」(ネトフリで配信中)。

この2つの作品を通して、ハンハンならではの、
とても深い「人生」の話が語られています。
少々難解な箇所があるかも?なのだけど よかったら読んでみてください♪

チャンジャーハンブログ(3/28投稿)「算力之外(アルゴリズムの外側)」(全文和訳)

Screenshot

算力之外(アルゴリズムの外側)

※「算力」=アルゴリズム:データ処理能力という意味。
アルゴリズムとは、コンピューターで問題や計算を解決するための「手順」や「ルール」のこと
今回の「アルゴリズム」=見えないルールや仕組みという意味合いで使われています。

📢最近の日常を少しお知らせします。
テニスばかりしていて😬、自分の作品を見る以外にも大量のドラマを見ています。

ときどき仕事のグループチャットに、
テニス動画を送るのですが、翌日になると同僚たちから
「自分の他のSNSのホーム画面が
“テニス必修フットワーク”や
“テニス試合で見落とされがちな柔で剛を制する大きな知恵”
で埋め尽くされている」とフィードバックが来ます。

※インターネットでは検索や視聴履歴で
広告やコンテンツが表示されるので、テニスの動画ばかり見ていると
そういう関連コンテンツがたくさん出てくる という意味。

正直、その責任を負いたくはありません🙅🏻‍♀️。
というのも、誰だってアルゴリズム(見えないルールや仕組み)に覆われ、
浸透され、操作されていない人はいないでしょうから。

ちょうど最近見た2本の映像作品も
「算力(アルゴリズム)」というこの論理に当てはめることができます。

『極限審判(邦題:MERCY/マーシー AI裁判)』は人間とデータの対決で、
90分のカウントダウンの中、容疑者がどのように
AIの審判のもとで自分の無罪を証明するかを描いています。

一方『サラの真偽人生(邦題:サラキムという人生)』は人とアイデンティティの関係を描き、
警察が糸をほぐすように証拠を追い、
構築し、容疑者の複数の身分を覆していき、
最終的に48時間以内に彼女の有罪を証明しなければならない物語です。

※以降、作品の名前は、邦題で和訳します。
MERCY/マーシー AI裁判 サラキムという人生

まず『MERCY/マーシー AI裁判』についてですが、
この映画はわずか1.5時間しかなく、
テンポがあまりにも速いため、
私は何度も再生画面で倍速にしていないか確認したほどです。

非常に抑制された上映時間でありながら、
内容は非常に充実した物語が語られています。

ストーリーの流れは滑らかで、
緩急のつけ方も見事で、
どんでん返しの後にさらに覆され、
覆された後にまた迷いが生じる──。

全編を通して、
まるで、思考が潮の満ち引きのように揺れ動き、
断続的に打ち寄せる波が岩にぶつかるような、力強い余韻を残します。

本作では「赦しの法廷」と「AI裁判官」
という概念が構築されています。

高度に人工知能へ依存したシステムの中で、
AI裁判官はあらゆる監視カメラ映像を呼び出し、
個人のメールやSMS、SNSアカウントにアクセスし、
人間のあらゆるパスワードを解読し、
さらには電子機器を遠隔操作することさえ可能です。

そして、事件における
容疑者の映像・音声・テキストなどの資料をもとに
「疑惑指数」を算出します。

容疑者は90分以内に自らの無罪を証明し、
その疑惑指数を「合理的疑いの基準」の92%まで下げなければなりません。

さもなければ、カウントダウン終了と同時に、
座席から放出される超音波装置によってその場で処刑されます。

そしてその容疑者こそ、
かつて自らの手で8人の容疑者を逮捕し、
この法廷に送り込んできた警官レイヴンです。

レイヴンは自分の妻を殺害したとして告発されます。

AIの記録が提示する証拠資料には、次のようなものがあります。

当日、妻と言い争った後にドアを乱暴に押し開けて突入する映像、
バーで泥酔している映像、
逮捕時の極めて高い血中アルコール濃度のデータ、
凶器に残された一致する指紋と繊維、
さらに妻が友人に対して
「彼はよく感情を制御できなくなる」と打ち明けていた情報です。

これら一見すると決定的で反論の余地がないデータによって、
彼の疑惑指数は初期設定で97.5%に設定されています。

この場に設置された巨大なLEDスクリーンは、
人間自身ですら忘れかけているような
人物関係を明確に整理し、
事件現場周辺の監視映像を迅速に呼び出して正確に抽出し、
さらには本人ですら気づいていなかった
娘のプライベートなSNSアカウントまでも探し出します。

人間の記憶や論理、
さらには他人に知られたくないようなことまでも、
このスクリーンの前ではもはや隠れることはできません。

それほどまでに強大で権威的な存在であるならば、
果たしてそれは誤りを犯すことがあるのでしょうか。

主人公は、左側に表示された自分の疑惑指数と、
右側で赤く点滅するカウントダウンを見つめながら、
どこに突破口を見いだすべきかを探ります。

そして彼は、殺人事件が起こる前夜、
娘のプライベートアカウントに投稿された動画の中に、
偶然妻が別の携帯電話を使用している場面が
映り込んでいることに気づきます。

この2台目の携帯は、
ブラックマーケットのSIMカードが挿入されており、
市政府のクラウドには接続されていませんでした。

この携帯こそが、一連の情報の連鎖をこじ開ける鍵となります。

AI裁判官の論理は直線的です。
データが「あなたは事件の発生した時間と場所にいた」
と示せば、それだけで犯人であると判断します。

しかし、データが記録できるのは
「何が起きたか」だけであり、
「なぜ起きたのか」を説明することはできません。

たとえば、巨大で効率的なデータベースは、
妻が所属していた運送会社が誰であるか(who)
いつ(when)、どれだけの量(how much)の化学薬品を密輸したかまでは引き出すことができます。

しかし「なぜ(why)」については分析できません。

その人物は金のためなのか、
名声のためなのか、それとも感情のためなのか
─それを解き明かすことは永遠にできないのです。
そして人間が人間である所以は、
まさにそうしたデータでは捉えられない動機や感情、そして偶然性にあります。

すべての証拠がデータ化されたとき、
人は何をもって「自分」を証明できるのでしょうか。

それはおそらく、「なぜ」と問い続ける好奇心を持ち、
「なぜいけないのか」と問う勇気を持つこと
なのだと思います。

人間がデータによって量化できないもの、
それは魂の中にある深さと浅さ、虚栄と浅薄さ、
そして壊れた部分や傷なのです。

「to be or not to be(生きるべきか死ぬべきか)」
と口にできるハムレットは、
きっと人生の破滅の瀬戸際にまで到達したことがあるのでしょう。

私は、現実の人生が映画のようにデータや知能、
機械と対抗する必要があるとは思いません。

私たちは優れたアルゴリズムを必要としつつも、
自分自身の美しさと平凡さの両方を
受け入れていくべきなのだと思います。

それこそが血肉としての人間だからです。

『MERCY/マーシー AI裁判』が
客観的な意味でのデータ算力を描いているとすれば、
もう一つの『サラキムという人生』は、
人がいかにして
自分自身のアルゴリズムを解き明かしていくのかを
描いているように思えます。

まず、都市的な文脈の中で描かれる
「犯罪サスペンス」には新鮮さを感じましたし、
私にとってもいくらかの気づきがありました。

犯罪サスペンスを描くからといって、
必ずしも薄暗く湿った辺境の地で起きた
「古い殺人事件」である必要はありません。

華やかで洗練されたエリート層も、
ただオフィスビルで会議をしたり、
コーヒーを飲んだりしているだけの存在ではなく、
犯罪の主役になり得ます。

また、ブランドという記号も、
単に贅沢品で富を誇示する世界に存在するだけでなく、
ブラックユーモアとして
「ラグジュアリーの論理」を語ることもできるのです。

たとえば、ヒロインは
偽の身分を使って上流社会に入り込み、
その身分をもとに自らの信用を築いていきます。

そして、自身のブランドにまず希少性を作り出し、
その後に信頼を構築し、
最終的には人々が自ら進んで
その「物語」に対価を支払うようにさせます。

あるバッグが高価であるのは、
単に素材のためだけではなく、
それが十分に多くの人々によって
「高価である価値がある」と認められているからです。

つまり
「ラグジュアリーとは、
それを信じることで価値が生まれる」ということです。

サスペンスの軸に戻ると、
物語は一件の殺人事件を中心に展開します。

現場のすべての手がかりは、
上流社会で脚光を浴びる名媛(名高い美女)
キム・サラへとつながっていました。

同様に、警察は綿密に構築された
この詐欺の中から突破口を探し始め、
彼女の第一の身分─
─百貨店のラグジュアリーブランド売り場の販売員であったことを突き止めます。

彼女は売り場での盗難事件により
巨額の負債を背負わされ、追い詰められていきました。

そして、自らの賃貸の部屋に
香水を吹きかけた遺書を残し、
愛していたバッグを抱えたまま湖に身を投げます。

しかし、水中に沈んでいくその最後の瞬間、
彼女は精神的な浄化のようなものを遂げます。

おそらく彼女もまた、
自分の人生にわずかな「渦」を残し、
そこに橋を架けようとしていたのかもしれません。

こうして彼女は名前を変え、
身分を偽って娯楽施設の従業員となり、
腎臓移植を必要としていた組織のボスと
偽装結婚することで、
合法的な身分を手に入れます。

そして財閥から
「富とは一つの状態ではなく、
一つの心のあり方である」ということを学び、
少しずつ上流社会の門をくぐっていきます。

やがて財閥は、
自分が巧妙に仕組まれた詐欺の中に置かれていたことに気づきます。

そのとき、かつて自宅の庭で
彼がキム・サラに紹介した、
冠のように広がる枝を持つ龍枝蒼樹は、
一夜のうちに移し替えられており、
そこには不格好に残された短い切り株だけが残っていました。

この場面の映像表現は非常に巧みです。
もし財閥が騙されたと知った後の怒りや狼狽を
そのまま描いてしまえば、
ありきたりになってしまいますが、
何もない庭に残された一本の切り株が、無言のまま皮肉を語っているのです。

元手となる資本と
身のこなしを身につけたヒロインは
第三の「皮」をまといます。

それがすなわちキム・サラです。

彼女は小さな工房で生産されたバッグをいったん分解し、
それを海外へ運んで再び組み立て、
「ヨーロッパ輸入品」という名目で韓国へ逆輸入します。

こうして「ピラミッドの最頂点にいる0.01%」
の富裕層を見事に取り込むことに成功します。

そして、真相がまさに明らかになろうとし、
キム・サラが告発に直面したとき、
第四の人生が「偽装者」として現れます。

この偽装者のセリフに、
とても印象的なものがあります。

「私があなたになろうとしたのは、
私が偽物だからではない。
あなたが偽物だからこそ、
私はなりすますことができたのだ」

偽装が成立するのは、
偽装する者がどれほど巧妙だからというわけではなく、
模倣される側そのものに、
もともと亀裂が存在しているからかもしれません。

キム・サラ本人もまた
「サラ」という存在を演じていたのかもしれません。

あの優雅で完璧で、誰もが羨む名媛
──そのように丹念に作り上げられた人物像を。

だとすれば、彼女が演じられるのなら、
なぜ私にはできないのでしょうか。

そして最終的に、
アイデンティティは身につけることのできるものとなります。

アイデンティティは一つ、
あるいは複数のアルゴリズム(見えないルールや仕組み)となり、
人は自分自身の謎となるのです。

結末も非常に興味深いものです。

ヒロインは第四の身分で、
罪を認めて服役することを選び、自らが築いたブランドを守ります。

刑事は真相を解明しますが、
その真相そのものが正義をもたらすわけではないことに気づきます。

騙された財閥や名士たちは、
誰一人として自分が被害者であることを認めようとはしません。

なぜなら、騙されたと認めることは、
自らの虚栄と愚かさを認めることを意味するからです。

こうした財閥や名士たちもまた、
自分自身の謎や、アルゴリズム(見えないルールや仕組み)の中にいるのではないでしょうか。

ただし、それらのアルゴリズムは
自ら進んで受け入れたものもあれば、受動的に与えられたものもあります。

データもアルゴリズム(見えないルールや仕組み)であり、
アイデンティティもアルゴリズムであり、
合理的な計画もアルゴリズムであり、前世の因果さえもアルゴリズムです。

もし私たちが多かれ少なかれ
アルゴリズムに形づくられ、絡め取られ、
あるいは自ら安全で規則的に見えるアルゴリズムを
織り上げているのだとすれば、
では、アルゴリズムの外側にあるものとは、一体何なのでしょうか。

私にはわかりません。
だから、ときどき日記を書きます。

日記帳を開くと、
各ページの右上にはその日の年月日が書かれています。

後ろをめくっていくと、
黒い文字が
過ぎ去ったすべての日々を埋め尽くしていて、
その日がどれほど断片的であれ、
喜びに満ちていようと、
穏やかであろうと、
過去はもはや変えることができません。

さらに先へとめくれば、
そこには白紙のページが続いています。

なぜなら、
明日のことは、
永遠に予測することができないからです。

アルゴリズムは、
宇宙や科学、あるいは
あのような壮大な奥義について、思い巡らす必要などあるのでしょうか。

もしかすると、あらゆる明日は、
アルゴリズムの外側にあるのかもしれません。

昨年3月24日、庭のモクレンが咲きました。
今年、それがいつ咲くのかはわかりません
──それもまた、アルゴリズムの外側にあります。

午後、カフェに座っているときに
偶然耳にした名前も知らない心地よい曲も、
やはりアルゴリズムの外側にあります。

コートの上で、相手が打ち返してくる
一球一球の強さや方向、落ちる位置も、すべてアルゴリズムの外側にあります。

私たちはいつも、
一つの規則や一つの論理を用いて方程式を計算し、
道のりを測り、運命を分析し、性格を分類しようとします。

しかし、もしすべてが予測可能であるならば、
この人の世を一度生き、
その中を歩んでいくことに、
いったい何が期待できるのでしょうか。

アルゴリズムの外側には、
おそらく別の次元、
あるいはいくつかの次元が交差しているのかもしれません。

人生の精彩は、
まさにアルゴリズムでは測ることのできないところにあります

──偶然の巡り合わせ、出会いの微妙さ、そして一瞬の思いの違いが生む無数の分岐に。

おそらく修行とは、こうしたアルゴリズムの外側にある領域において、
不確実さと共に在ることを学び、
その中で自分の姿を見出し、自分自身の軌跡を生きていくことなのだと思います。

原文サイトはこちら

後半から とても難解な感じ、論文みたいな文章になるのだけど(^^;)
よく読むと、とても奥が深い話をしていることに気づきます…。

今回の主題は? 本当の価値や人生の面白さは「見えないルールのその外側」にある

2つの作品を通して ハンハンが書いた「アルゴリズムの外側」。
主題は この部分にあったようです…。

人間はアルゴリズム(見えないルールや仕組み)では捉えきれない存在であり、
本当の価値や人生の面白さは「その外側」にある

つまり…

①アルゴリズム(見えないルール)
データで判断される「AI裁判」
身分もブランドも「設計できる」(サラの人生)
🌟社会も人間も“計算可能なもの”として扱われる
👉 =すべてを説明できそうに見える世界

②でも、その限界がある
データは「何が起きたか」しかわからない
「なぜ」は説明できない
人の動機・感情・偶然は測れない
👉 決定的に足りないものがある

③この話の核心は
未来は予測できない(白紙のページ)
出会い・偶然・一瞬の選択、人の矛盾や傷
=それこそが“人間らしさ”

「全部わかる世界より、わからない余白があるから人生は意味がある」

「もしすべてが予測可能であるならば、
この人の世を一度生き、
その中を歩んでいくことに、いったい何が期待できるのでしょうか」

全部予測できたら、人生って何が楽しいの?
= 予測できない部分こそが、人生の価値

↑つまり こういう話が書かれてた模様。

ハンハンのブログは毎回 人生や生き方について書かれてることが多いのだけど
今回のブログも 本当に奥が深くて さすがでした<(_ _)>

※チャンジャーハン公式サイトにも、今日、ブログの原文+英語訳が掲載されています。
>>チャンジャーハン公式サイト ブログページリンク先はこちら

ハンハンのこれまでのブログの和訳は、こちらでまとめています>>ハンハンブログページ

ではでは 今日はこのへんで。ここまでご覧くださりありがとうございましたww

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