MENU

チャンジャーハンのママがまたブログ更新!「生きていることは本当に素晴らしい」(全文和訳)

ハンハンの公式が静かで、しばらくぶりです(^-^;
なんと今日は、ハンハンではなく ママがブログを更新!

最近、更新頻度が上がってるママ。3/20に親友の話を更新したばかりなのだけど
早くも最新原稿が登場! 今日の文章も 本当にすごかったです…
(813事件当時の話がまた出てきます。とても意味深い話です)

目次

張ママがブログを更新「春天很美,活着真好(春は美しい。生きているって本当に素晴らしい)」

今日17:45に更新されたばかりのブログです。
以下 全文和訳でご紹介します。

張ママブログ3/25投稿「春は美しい。生きているって本当に素晴らしい」全文和訳

春は美しい。生きているって本当に素晴らしい

春節が過ぎてからは、日々の細々とした用事に追われ、
慌ただしく過ごすばかりで、
ゆっくりと春の光景を味わう余裕がなかなかありませんでした。

本日、ようやくさまざまな雑事から解放され、
やわらかな春の景色と
頬をなでる春風を感じながら外へ出て、
春とのやさしいひとときを楽しむ散歩に出かけました。

春風は中心路の内海沿いをやわらかく吹き抜け、
あたたかさがあふれています。

私は息子が丁寧に選んでくれた、
弾力があり軽やかな運動靴を履き、
歩みをゆるめながらコーラ(をのせたベビーカー)を押して、
ゆっくりと深圳湾公園へ向かいました。

足元の遊歩道は広くはありませんが、
海岸線に沿ってまっすぐに延びています。

両側にはブーゲンビリアが咲き誇り、
房ごとに、群れをなして枝いっぱいに花をつけ、
海岸線を鮮やかな赤で染め上げています。

それはまるで、最もあたたかな姿で、
春を訪れるすべての人を迎えているかのようでした。

公園にたどり着くと、
目の前には広大で果てしない海が一面に広がり、
きらきらと光る水面が空の光を映していました。

海風は海の湿り気と草木の香りを含みながら、
やさしく頬をなで、
心の奥にたまっていた「けだるさ」や
「沈んだ気持ち」をそっと払いのけてくれます。

すると自然と心が澄みわたり、
表情もやわらぎ、
思わず「春はとても美しく、
生きていることが本当にありがたい」
と静かに感慨を漏らしてしまいました。

少し離れた海辺の砂浜では、
多くの子どもたちが裸足でやわらかな砂を踏みしめながら集まり、
夢中になって、砂のお城を作っていました。

ある子は城の形を組み立て、
ある子は細かな模様を描き、
またある子は追いかけっこをして楽しそうに遊んでいます。

その澄んだ笑い声は、
波が岸に打ち寄せる音と重なり合い、
心地よいひとつの調べとなって、
純粋な生命の息吹と喜びを感じさせてくれます。

空からはときおり、
ドローンがデリバリーを運ぶ羽音が聞こえてきます。

それらは軽やかに海面や木々の上をかすめていき、
この春の景色にいっそうの活気を添えると同時に、
テクノロジーがもたらす
生活の便利さとやさしさも感じさせてくれます。

コーラはベビーカーの中にうつ伏せになり、
丸く大きな目を輝かせながら、
行き交う人々や満開のブーゲンビリア、
そして名前も知らないさまざまな花々を
興味深そうに眺めていました。

それらの花は房になって咲き誇り、
春の景色を彩っています。

コーラはときおり首をかしげたり、
しっぽを振ったりしながら、
時には顔を少し出して
空気にただよう花の香りや海の湿り気をそっとかぎ、
その愛らしい様子は思わず見守りたくなるほどでした。

通りかかった観光客の方々はコーラを見ると、
皆驚きと喜びの表情を浮かべ、
「触ってもいいですか?」とやさしく尋ねてきます。

私は気さくに「どうぞ」と応じました。
彼女たちがそっと大切そうにコーラに触れる様子を見ながら
「とてもおとなしい子で、噛んだりしませんよ」と静かにお伝えしました。

小姨(叔母)もこの喜びに乗じて、
誇らしげにコーラのことを紹介し、
その抖音(TikTok)のアカウントまで皆さんに教えて、
またぜひ見に来てくださいねと熱心に声をかけていました。

道中では、「わあ!子猫ちゃん、すごくかわいい!」
という明るい驚きの声がたびたび聞こえ、
そのたびに私たちは思わず笑ってしまいました
——この小さなコーラが、私たちの面目を立ててくれているようでした。

やわらかな陽光は、
コーラの毛並みに降り注ぎ、
同時にブーゲンビリアや海の上にも光を落とします。

光と影は穏やかに揺れ、
時の流れは静かで安らかに感じられ、
ありふれた日常の中にある心地よさと美しさが満ちていました。

目の前に広がるすべてが生き生きとしてあたたかく、
子どもたちの笑い声、
コーラの愛らしさ、ブーゲンビリアの華やかさ、
そして海風のやさしさが、
春の日の穏やかな空気の中へと人を深く引き込んでいきます。

そんな心地よさが胸に満ちていくその瞬間、
「生きていることは本当にありがたい」という思いが、
突然強く込み上げてきました。

そして自然と意識は遠くへとさまよい、
昨年、ある若い芸能人が不慮の死を遂げたという悲しい知らせを思い出しました。

※昨年9月に亡くなった
于朦朧( アラン・ユー)さんのことだと思われます😢

その訃報を知った瞬間、
胸に息が詰まるような痛みが押し寄せ、
苦しくて息ができないほどで、
言葉にできない不安と恐れに包まれました。

そのとき、息子は香港で学んでいました。
私は込み上げる感情を落ち着かせる間もなく、
すぐに携帯を手に取り、彼にメッセージを送りました。

「息子が強くいてくれることに感謝します。
だから私は生きていられます」

そして息子には特にこう伝えました。
「心の持ち方を整え、期待を下げ、
平凡を受け入れ、自分を大切にして、しっかり生きていきなさい」

すると驚いたことに、
息子もほぼ同時に私へメッセージを送ってきました。

その言葉は切実で、こう書かれていました。

「お母さんが強くいてくれることに感謝しています。
どうかしっかり生きてください。
生きていること以上に大切なものはありません」

私たち母子は、かつて共に絶望の深淵から、
いわば「地獄」の中から、必死に這い上がってきました。

そのため「生きる」ということの意味について、
他の人には決して理解できないほど
深い実感を抱いています。

この実感は、暗闇の中で歯を食いしばりながら
踏みとどまってきた私たちの支えであり、
幾度となく崩れ落ちそうになりながらも
必死にもがいた瞬間のすべてが染み込んでいます。

そしてそれは、
他の誰にも決して覗き見ることができず、
ましてや、共感することもできないほどの重みを秘めています。

その重みは、私たちがネット上での誹謗中傷の渦に沈み、
生きていることが耐えがたいと感じていたとき、
いっそう強く、息が詰まるほどに押し寄せてきました。

見知らぬ人たちが何事もなかったかのように生き、
明るく笑っている姿
——たとえ街角で掃除をしている女性であっても、
その姿がただただ羨ましくてたまらなかったのです。

あのときの私にとって
「生きる」ということは、
もはや享受することすらできないほどの贅沢なものとなり、
生きたいという願いよりも、
むしろ死にたいという思いの方が強くなっていました。

しかし、この「生きる」ということへの深い実感は、
ふと息子が監督したドキュメンタリー映画『八月』のことを思い出させてくれました。

作品のラストには「生き続けろ、歩み続けろ!」
という大きな言葉が映し出されます。

その一文字一文字は非常に重く、
私たち母子がこれまで歩んできた道のりにおける
「忍耐と願い」を余すことなく語り尽くすものであり、
同時にその瞬間、私は命の重みをより深く実感することになりました。

この世界のあらゆるものは、
「生きている」からこそ、日々のささやかな美しさを感じることができ、
人生の熱や輝きを味わうことができ、
そして、思いがけず訪れる優しさや温もりを抱きしめることができるのです。

そして今この瞬間、春風は心地よく、
あたたかな陽光も穏やかで、私はいっそう強く実感しています。

春は本当に美しく、生きていることは本当に素晴らしいものだと。

この安らぎと美しさは、
同時に戦火のただ中にある「中東」の人々のことを思い起こさせます。

そこでは、人々は爆煙と砲火に巻き込まれ、
明日さえも分からない日々を送っています。

轟く砲撃は空の静けさを引き裂き、
立ちのぼる黒煙はかつての青空を覆い隠し、
かつて賑わっていた街並みは、
今では崩れた壁と瓦礫ばかりとなってしまいました。

壊れた家屋は今にも崩れ落ちそうに傾き、
焼け焦げた廃墟の中には、
かつての生活の気配はもはや見つからず、
子どもたちの楽しげな笑い声も聞こえてきません。

中でも最も胸が痛むのは、
何の罪もない子どもたちの存在です。

彼らは戦争における最大の犠牲者となっています。

ある子どもは空爆の中で一瞬にして命を落とし、
まだ世界の美しさを理解することも、
春のぬくもりを感じることもないまま、
その幼い時間を永遠に止められてしまいました。

またある子どもは、
故郷を離れることを余儀なくされ、
全身に傷を負い、骨の髄にまで染みつく恐怖を抱えながら、
さまよい続ける逃亡の道を歩んでいます。

安らげる住まいもなく、
あたたかい食事もなく、
さらには命そのものが常に危険にさらされています。

どれほど多くの家族が戦火によって引き裂かれ、
どれほど多くの人が生き別れとなり、
どれほど多くの子どもたちが「子どもらしく過ごす時間」
と家族、そして生きる希望を奪われてきたことでしょうか。

彼らにとって、穏やかに呼吸し、
無事に成長することさえも、
手の届かない願いとなってしまっているのです。

戦火の中にいる人々と比べれば、
私たちが春風に包まれ、咲き誇るブーゲンビリアを眺め、
子どもたちの笑い声を聞き、
広がる海辺を穏やかに散歩できること自体が、
この世で最も尊い幸せなのだと感じます。

この強い対比によって、
私は深く理解しました。

平和は決して当たり前のものではなく、
生きていることもまた、
与えられた尊い恵みなのだということを。

私たちが今日手にしている、
ありふれた日常やささやかな幸せの一つひとつは、
戦火の中にいる人々にとっては
夢にまで見た願いであり、
だからこそ私たちは全力でそれを大切にし、
守っていくべきなのです。

この春のあたたかさに背中を押されるようにして、
私は妹に位置情報を送り、
電話をかけて、深圳湾公園へ一緒に来ないかと誘いました。

妹がやって来てからは、
二人で肩を並べて海風に吹かれながら、
咲き誇るブーゲンビリアと広がる海を眺めつつ、
たわいない日常の話をあれこれと語り合いました。

すると、思い出とともに胸に浮かんでいた
重たい気持ちも、
この春のやさしさに少しずつ洗い流され、
やがてやわらいでいきました。

何気ない会話の中で、妹はふと微笑み、
やさしさとぬくもりに満ちた口調で、
九歳になる孫の小さな出来事を丁寧に話してくれました
——それは、子どもの心の奥にひっそりと芽生えた、
まだ幼く純粋で、
少しも世俗に染まっていない「恋心」のお話でした。

妹の話によると、その日、
学校から帰ってきたその子は顔を真っ赤にして、
ずっと両手で頬を覆いながら、
おずおずと彼女のそばに寄ってきて、
何度もこう繰り返していたそうです。

「おばあちゃん、
話したいことがあるんだけど、
恥ずかしくて言えない、言えないよ。」

けれど、その目の奥に
隠しきれない喜びと焦りがあるのは明らかで、
その心の中の小さな秘密を、
大好きなおばあちゃんに
どうしても打ち明けたいという気持ちがはっきりと伝わってきました。

妹はそんな様子を見て微笑みながら

「大丈夫よ、話してごらん。
おばあちゃんは笑わないし、ちゃんとそばにいるからね」

と優しくなだめました。

その子はしばらくもじもじしたあと、
ようやく顔を覆っていた手をゆっくりと外し、
頬を赤くしたまま、真剣な表情で妹にこう言ったそうです。

「おばあちゃん、ぼく恋をしたんだ。」

妹は一瞬驚きましたが、
その子のあまりに真面目な様子に、
思わず笑みがこぼれ、
胸の中には愛おしさと優しさがあふれました。

そしてやさしく尋ねました。

「こんなに小さいのに、
もう好きな子がいるの?どんな子なのか教えてくれる?」

その子は大きくうなずき、
子どもらしい弾んだ声でこう答えました。

「とってもかわいくて、目が大きくて、
授業中にこっそりぼくのことを見てくるんだ。
休み時間には手をつなぎたがって、
手をつながれると、ぼくの心がドキドキするんだ」

妹は静かに最後まで話を聞き、
やさしくこう言い聞かせました。

「私のかわいい子、あなたはまだ小さいけれど、
その気持ちはとても大切なものよ。
しっかり勉強して、しっかり成長して、
もっと良い学校に進んで、
もっと素敵な人になりなさい。
そうすれば、本当に人から好かれるようになるのよ。」

その子はすべてを完全には理解していない様子で
うなずきましたが、目の中にあふれる喜びは隠しきれないものでした。

さらに愛らしいのは、その翌日のことです。

放課後、家に帰るなりその子はすぐ妹のもとへ行き、
前日のような恥ずかしさはすっかり消え、
代わりに年齢に似つかわしくないほどの真剣で
厳かな表情を浮かべ、はっきりとした口調でこう言ったそうです。

「おばあちゃん、もう終わりにしたよ。
この話はこれからはしないで。
ぼくはしっかり勉強して、
いい学校に入って、すごい人になるんだ。」

妹はその背伸びしたような様子を見て、
思わず笑みをこぼしながら、
胸の中にはやさしさと安らぎが満ちていきました。

この子のいわゆる「恋」は、
決して世間一般でいうような感情ではなく、
ただ幼い中での出会いと、
純粋なときめき、そして振り返ることなく前を向いて、
よりよい自分になろうとする
まっすぐな気持ちと決意にほかなりません。

この子どもならではの無垢さとみずみずしさは、
まるで毎年変わらず訪れる春のように、
生命力と希望に満ちあふれ、
命の最も本質的な美しさそのものだと感じられます。

妹がこの話を終えたとき、
その目にはやさしさがあふれていました。

私は目の前に咲き誇るブーゲンビリアを眺め、
砂浜に響く子どもたちの澄んだ笑い声を聞きながら、
胸の奥にやわらかな温もりが満ちていくのを感じました。

この幼い子が成長し、
いつかこの出来事を振り返ったとき、
きっと微笑みながら思い出すことでしょう。

かつて自分には、何の曇りもない、
純粋で清らかなときめきがあったのだと。

そこには世俗のわずらいはなく、
ただ子どもらしいまっすぐな気持ちだけがあり、
それは歳月の中で最もやさしく刻まれた記憶となるはずです。

春風は変わらずやさしく吹き、花の香りもなお漂い、
コーラはベビーカーの中で
好奇心いっぱいに顔をのぞかせています。

深圳湾の海は相変わらずきらきらと輝き、
目の前のすべてが生き生きとしてあたたかさに満ちています。

このようなやさしい瞬間、
このように純粋な美しさ、
このようにあふれる生命の力に触れるたび、私は心から思います。

春はとても美しく、生きていることは本当に素晴らしい。

こうしたやさしさや喜びに出会えること、
このような純粋な成長を見守ることができることは、本当に幸せなことだと。

黄昏がゆっくりと訪れ、
砂浜では子どもたちがなおも砂のお城を作りながら、
思いきり笑い声を響かせています。

コーラも相変わらずベビーカーの中で興味深そうにあたりを見回し、
両岸のブーゲンビリアは変わらず鮮やかに咲き誇っています。

深圳湾の海は夕焼けに染まり、
あたたかな金色に輝きながら、
広々とした青い波がどこまでも続いています。

これは、私にとって春節後初めての外出でした。

このやさしい春風と華やかな春の光景、
そして深まりゆく夕暮れの中で、
この世界の生き生きとした姿を自分の目で見つめ、
胸の奥には水のようにあふれるあたたかな感情が自然と湧き上がってきました。

かつて十分に味わうことができなかった春のひとときや、
いまも戦火の中にある人々の存在は、
私たちに絶えず教えてくれています
——このかけがえのない平和を大切にすること、
手の届くところにあるこの美しさを大切にすること、
自分自身をいたわり、しっかりと生きること。

「生きる」という一瞬一瞬を無駄にせず、
この春という贈り物を無駄にせず、
命が与えてくれたすべてのやさしさと
希望に応えていくことの大切さを。

この春の日のあたたかな陽光を静かに味わいながら、
穏やかな日々とこの世のやさしさに感謝し、
私は心の奥底からひとつの感嘆と、
ひとすじの喜び、そしてひとつの願いを抱きます。
春はとても美しく、生きていることは本当に素晴らしい——と。

追記

この文章「春は美しく、生きていることは本当に素晴らしい」は、先週末に書いたもので、本来は来週末に公開する予定でした。

しかし昨日、張雪峰先生が心原性突然死により急逝されたという知らせを受けました。まだ41歳という若さでした。その報せに触れ、胸には言葉にできない思いとやるせなさが込み上げ、同時に命のもろさを強く突きつけられました。前日までは元気に発信していた方が、あっという間にこの世を去り、一つの家庭が崩れ落ちてしまう——その現実に、人生の無常と、命には決して「これから先がある」とは限らないのだということを、改めて深く思い知らされました。

私はすぐに息子へメッセージを送り、何度も繰り返し伝えました。
運動するときは無理をせず、激しすぎる運動は控えるようにと。何よりも平安と健康が大切だと。

私はかつて息子とともに、どん底の中で必死に生き延びてきました。そのため「生きる」という言葉の重みを誰よりも知っています。そして戦火の中をさまよう子どもたちのことを思うたびに、無事で健康であることこそが、この世で最も恵まれた状態なのだと痛感します。

今日、あらためて深圳湾の春風や、咲き誇るブーゲンビリア、愛らしいコーラ、そして子どもたちの純粋な喜びを目にして、よりいっそうはっきりと理解しました。この世のあらゆる追求も、あらゆる栄光も、あらゆる未来も、すべては健康という土台の上に成り立ち、命があってこそ意味を持つのだということを。

私たちはつい、これから先は長いと思い込み、忙しさを当たり前とし、無理を重ねることを努力だと勘違いし、健康を当然のものと考えてしまいがちです。しかし無常は予告なく訪れ、命にやり直しはありません。健康を失えばすべてはゼロとなり、命を失えばすべては空となってしまいます。

どれほど春が美しくても、生きていなければ見ることはできません。どれほどこの世があたたかくても、健康でなければそれを抱きしめることはできません。完璧を求める必要はなく、無用な消耗に苦しむ必要もなく、自分をすり減らす必要もありません。しっかり食べ、しっかり眠り、自分を大切にし、家族と過ごす時間を大事にすること——それが何よりも大切なのです。

この突然の悲しみと気づきを受けて、私は当初の予定を変更し、本日この文章を前倒しで公開することにしました。春のぬくもりをもって命の重みを想い、言葉の力によって多くの人の気づきにつながることを願っています。健康が第一であり、生きていることこそが最も大切なのだと。

春はとても美しく、生きていることは本当に素晴らしい。健康に生きること、無事に生きること、穏やかに生きることこそが、命に対する最も誠実な敬意であり、私たちを愛してくれる人、そして私たちが愛する人への、何よりの応えなのです。

※本文に写真は1枚もなかったのですが、最後に動画があります。
中国のウイチャットブログに飛ぶのが問題ない方は 下の原文サイトで視聴可能です。

原文サイトはこちら

大事なことは、全てママが今日の文章の中に…。
いろいろ かみしめながら… 今日はこのへんで。

ここまでご覧くださりありがとうございましたww

ブログランキングに参加しています!

いつも応援ありがとうございます! 下のバナーを押してくださるとランキングに反映されます。ぽちりと1回よろしくお願いいたします♪

にほんブログ村 テレビブログ 華流・アジアドラマ(韓国以外)へ
にほんブログ村
目次