今日は、昨日(春節)に公開された、ハンハンのブログの和訳をご紹介しますww
チャンジャーハン(張三堅)ブログ「愛をこめて、新年おめでとう」
今回のテーマは、「愛」。
ハンハンが最近見た2つの「愛についてのドラマ」について、書かれています。
正直、ドラマを見てない立場で読むと ものすごくわかりにくかったんだけど(;^ω^)
(※私自身、韓国ドラマの方が1話だけ視聴。もう1つは全然みてない)
補足していうなら、先に、予告編や「あらすじ」を読んでから、ハンハンのブログを読んだほうが
たぶんわかりやすいと思います(^-^;
そういうわけで、先に、ハンハンが紹介する「2つのドラマ」の内容から
さくっとご紹介しますネ。よかったら こちらに目を通してから ブログ本文に進んでみてください😅
ブログに進む前の予備知識①韓国ドラマ「恋の通訳、できますか?」
多言語通訳者チュ・ホジン(キム・ソノ)がグローバルトップスター、女優チャ・ムヒ(コ・ユンジョン)の通訳を務めるにつれて繰り広げられる予測不可ロマンチックコメディ。ネットフリックスで今年の1月に公開。世界配信されたドラマです、。
『恋の通訳、できますか?』ティーザー予告編 – Netflix
『恋の通訳、できますか?』予告編 – Netflix
※あらすじを書かれているブログ様あり リンク先だけご紹介しますネ
>> ここから飛べます
ブログに進む前の基礎知識② エタニティ(アメリカドラマ)
こちらは日本未公開のドラマでした。(;・∀・)
カンタンに書くと こんな感じのドラマなのだけど…
死後の世界で「永遠を誰と過ごすか」を選ばなければならなくなった女性ジョーンは、65年連れ添った夫ラリーと、戦争で亡くなり67年間待ち続けていた初恋の夫ルークの間で揺れる。
それぞれとの永遠を試すうち、若く理想的な恋よりも、ラリーと積み重ねた何気ない日常の方が自分にとって大切だったと気づく。
最終的にジョーンとラリーは再び巡り合い、二人の人生を思わせる永遠を共に選ぶ。
英語のウイキから プロットを全文和訳してみたので こちらもおいときますネ(^-^;
エタニティ あらすじ
口論の多い老夫婦ラリーとジョーンは、65年間の結婚生活を経て、家族のジェンダーリビールパーティーに出席する。ジョーンは末期がんを患っているが、そのことは二人だけの秘密にしている。パーティーの席で、ラリーは朝鮮戦争で亡くなったジョーンの最初の夫ルークの写真を見せられる。すると、ラリーは突然プレッツェルを食べながら喉を詰まらせ、そのまま死亡する。
ラリーは若い姿で列車の中で目を覚まし、すぐに自分が死後の世界にいることに気づく。彼は担当のアフターライフ・コーディネーター(AC)であるアンナと出会い、自分が永遠をどこで過ごすか決めなければならないと告げられる。それぞれの「永遠」には固有のテーマがあり、いったん選べば変更はできない。また逃亡を試みれば、無限の闇に包まれた場所「ヴォイド」へ追放されると説明される。ラリーは「ジャンクション」と呼ばれる場所でジョーンの到着を待つことを選ぶ。
ほどなくしてジョーンはがんで亡くなり、若い女性の姿でジャンクションに到着する。彼女はラリーと再会するが、ジョーンのACであるライアンがルークを連れて現れる。
ルークは67年間ジャンクションで彼女を待っていたと明かす。誰と永遠を過ごすか決断を迫られ、動揺したジョーンは最近亡くなった友人カレンに胸中を打ち明ける。一方ラリーはアンナに助言を求める。
特別な事情があるため、ジョーンには最終決定の前に二つの「永遠」を試す許可が与えられる。
ひとつはラリーとの永遠、もうひとつはルークとの永遠である。
彼女はまず山岳の大自然をテーマにした永遠でルークと過ごし、「アーカイブ」と呼ばれる建物を訪れる。そこでは個人の人生の記憶の瞬間を見ることができる。二人は自分たちの恋の物語を観るが、ルークは、出征前にジョーンと別れを告げた桟橋でラリーが彼女にプロポーズした場面を見て動揺する。その後ジョーンは、海辺をテーマにした永遠でラリーと過ごすが、ラリーは二人の人生を見返すためにアーカイブへ入ることを拒む。
二人の夫とそれぞれ楽しい時間を過ごすものの、ジョーンは決断に苦しむ。ルークは、ジョーンの死の前にラリーが書いた手紙を彼女に見せる。そこにはラリーがすでに永遠を選び、そこで彼女を待つつもりだったと書かれていた。ジョーンはそれを、67年間ジャンクションで待ち続けたルークの献身と比べてしまう。
彼女はさまざまな永遠の案内所を巡りながらカレンと相談し、その間にルークとラリーは親しくなる。ルークは、魂は最も幸せだった時の肉体年齢に戻ると説明する。ルークはジョーンと家族を築こうとしていた頃、ラリーはジョーンが第二子を妊娠していた頃の姿である。
選べないジョーンは、カレンと永遠を過ごすことを選ぼうとする。しかしラリーは、ジョーンが長い髪をしていることに気づく。それは最初の結婚のときだけの髪型であり、その頃が彼女の一番幸せな時期だったのだと考える。彼女の幸せを願い、ラリーはジョーンにルークと永遠を過ごすよう告げる。ラリーが今後どうするか考えていると、アンナは自分が永遠を選ばず、人を助けることに幸せを見出してきたと語る。年月の中で情熱は薄れていたが、ラリーのおかげでそれが再びよみがえったと彼女は感謝する。
ジョーンとルークは山の永遠で幸せに暮らし始めるが、時が経つにつれジョーンは満足できなくなる。彼女は何度もアーカイブを訪れ、ラリーとの記憶を見返すうちに、ラリーとの日常のささやかな瞬間こそが、自分にとって若く苦難のないルークとの恋より大切だと気づく。ジョーンはラリーと永遠を過ごしたいと決意するが、ルークは彼女を止めようとする。最終的には彼女がヴォイドに落ちることを恐れての行動だった。二人は互いに整理をつけ、共に歩めなかった人生を悼む。ルークはおとり役を引き受け、ジョーンがアーカイブを通ってその永遠から脱出できるようにする。ジョーンは過去のつらい記憶に直面しながらも、ジャンクションへ戻る道を見つける。
ジャンクションでジョーンはライアンとアンナの協力を得て身を隠し、ラリーを探す。彼らは、ラリーがジャンクションに残り、ジョーンなしの永遠を選ばず、かつてルークがしていたバーテンダーの仕事を引き受けていることを知る。ラリーとジョーンは再会し、地上での人生を思わせる、廃止された永遠へと共に入っていく。
ということで この2つのドラマについて書かれた 今回のハンハンのブログ。
以下 全文和訳です。
チャンジャーハンブログ(2/17投稿)「愛をこめて、新年おめでとう」全部和訳

「愛をこめて、新年おめでとう」(全文和訳)
愛をこめて、新年おめでとう。
愛とは、本当に壮大でありながらも、
非常に繊細で捉えがたい命題です。
決して陳腐にならず、
段階的に深まっていく表現でもあります。
それは、人体の末端組織に広がる
「微細な毛細血管」のネットワークのように、
すべての心の部屋の扉をつないでいます。
扉を一つ叩いて開けるたびに、
ある愛は、誰にも知られない北極にあり、
ある愛は揺れ動く花火であり。
ある愛は微笑みながら崖へと落ち、
ある愛は徹夜のあとに見える日の出です。
「愛」をテーマにした映画は
これまで数多く観てきました。
親子のあいだの愛は
『姥姥的外孙
(邦題:おばあちゃんと僕の約束:タイ映画)』のようであり。
永遠の名作としての愛は
「愛在三部曲(邦題:ビフォア・ミッドナイト)」
や『タイタニック』のようであり。
宿命的な記憶の中で奔流する
『暖暖内含光(邦題:エターナル・サンシャイン)』のような映画もあります。
最近新しく観た二つの作品は
『恋の通訳、できますか?』(韓国ドラマ)と『永恒站(邦題:エタニティ)』です。
愛がどのようにして、
ありきたりにならずに表現され、
描かれるのかを見てみたいと思いました。
この二つの作品は、物語の基盤設定の段階から
すでに強い前提を持っています。
一つは愛には「翻訳」が必要であるということ、
もう一つは人が「永生(永遠に生きる)」できるということです。
『恋の通訳、できますか?』は、
人との会話の中で強く勧められて知りました。
翌週の月曜日、定例会議の前に自宅で第1話を観たところ、
少し夢中になり、危うく遅刻しそうになりました……。
ですから、面白い物語というのは、
基本的に第1話の時点で「人を引き込む」ものなのだと思います。
どの視聴者にも、ある作品に
「どれだけ時間を与えるか」という忍耐の限界ラインがあります。
俳優という存在は資本市場の中で選ばれる側であり、
作品が配信されれば、
いま人々の多様化した娯楽の大海の中で
それもまた「選ばれる対象」になります。
ある人は一つの作品に、
3話分の時間を与えるかもしれませんが、
ある人は最初の30分で、
続きを観るかどうかを決めるでしょう。
私も視聴者として自分なりの限界ラインを持っています。
それと同時に、創作者の立場に戻ると、
そのすべてを理解し、尊重していますが―

※文脈上、ここには「恋の通訳」の写真が来るべきですが、ハンハンがこれを2枚続けて使ってる(下にも出てくる)のでそのままにしています(^-^;
それも視聴者それぞれの選択です。
(ちなみに、(いま作っている)私たちの作品にも、もう数話ほど時間をいただけたら嬉しいです。
ありがとうございます。ここで新年のご挨拶も申し上げます。)
話がそれましたので、再びこの作品に戻ります。
(韓国ドラマ『恋の通訳、できますか?』は)
男性主人公(キム・ソノ)は、
多言語に精通した天才翻訳官で、知的で慎重な人物です。
仕事の場では、さまざまな状況に応じて、
人々が伝えたい善意や「皮肉」を、巧みに正確に訳すことができます。
女性主人公(コ・ユンジョン)は、
あるホラー作品で一躍人気となった当代の女優で、
華やかで人を引きつける外見の裏に、
幼少期のトラウマによって分裂した「第二人格」を抱えています。
第1話で二人は、あるラーメン店で偶然出会います。
女性主人公は、元の恋人との関係を取り戻そうとしますが、
元恋人の現在の恋人に遭遇してしまいます。
彼女は、自分の威勢を保つために、
挑発的な言葉を、
その異国の現在の恋人に訳してほしいと
男性主人公に頼みます。
しかし実際には、
関係に割り込まれながらも耐えることを選んだのは、
その異国の現在の恋人のほうでした。
彼女は淡々と、
しかし鋭く、事実と女性主人公の自尊心を突き崩します。
男性主人公はそれらの言葉を理解していましたが、
職業的な立場に従ってそのまま訳すことはせず、
自分なりのやり方で、
この気まずさと体面のなさを封じ込めることを選びます。
彼はその異国の現在の恋人に対し、
自分が女性主人公の現在の恋人であり、
今回は二人の祝福と手土産を届けに来たのだと伝え、
互いの体面を守りました。
彼は翻訳官としての専門的な能力を通して、
実際に問題を解決し、
確かな行動力に移すとき、ひときわ魅力的に映り、
役柄としての輝きも最高潮に引き上げられます。
恋愛であれ日常生活であれ、
問題を解決する力を身につける必要があるのだと思います。
そうすれば恋人にはなれなくても、
良い人にはなれるかもしれません。
同時に、このように魅力と能力を備えた人物がいるからこそ、
どのようにして
「ドラマとしての衝突」を生み出すのかという点も描かれています。
作品では男性主人公の職業上の利点を逆手に取った設定が用いられています―
―彼はあらゆる言語を訳すことができるのに、
自分自身の好意だけは翻訳することができないのです。
男女主人公の関係は、絶えず試し合い、推し量り、膠着し、
本心とは違う言葉を口にすることの上に成り立っています。
彼は言います。
「君は気まぐれで、言うことが変わりやすい。
最初は一つ目の意味で言い、
次には二つ目の意味になり、
最後には三重の意味になる。
私にとっては理解するのがとても難しい。」
彼女は物語の序盤、
自分から男性主人公に好意を示しますが、
男性主人公は「理解するのが難しい」と感じ、
距離を置いた態度を取ります。
彼女は思わず前に出て
問いただしたくなりながらも、
拒絶されることを恐れて引き下がってしまいます。
彼は彼女が後ずさるのを見て、
面倒を避けて、
もう続けたくないのだと思い、
自分も差し出しかけていた手を引っ込めました。
おそらく愛の中では、
あるいは「私たちが理想とする愛」の中では、
理解は本能であり、
コミュニケーションに壁はないものだと考えられています。
何度も重ねられる傾聴や、言い争いが、
この愛をすり減らしてしまうのだと。
けれど、そうした当然視があるからこそ、
言葉にしなくても分かることが、
「実は贅沢なものだ」という事実を
見落としてしまうのかもしれません。
ですから、誤解や矛盾、やるせなさは、
心の問題ではなく、
使う言葉を間違えたことによるものなのかもしれません。
最近読んでいる『人类简史』にもありますが、
私たちホモ・サピエンスは絶えず進化し、
人類学的な訓練を受け、
さまざまな言語集団が伝える言語を学んできました。
「異文化間で効果的にコミュニケーションを取りたいのであれば、
相手の異なる言語を学ぶ必要がある。
愛の領域においても同様であり、
それぞれの“愛の言語”は、
ちょうど中国語と英語のように異なるのかもしれない。」
男女主人公の関係は、氷の表面の上では、
こじれてほろ苦い愛として現れていますが、
海面の下では、
互いの言語を学び続けようとする姿が深く隠されています。
通じ合わない言語は、異なる時差を持つ時刻のようなものです。
時差のある愛は、一種の賭けのようでもあります。
どちらが先に口を開くのか、
どちらが先に退くのかを賭けるようなものです。
私たちは相手の次の一手を推し量りながら、
一語一語を分解して訳そうとします。
訳しきれない言葉は喉の奥で凍りつき、
囲碁でいう「困馬」のように、
打開する場所もなく、
打つべき一手も見つからないまま残されてしまいます。
あるいは、愛の中に限った言語だけではないのかもしれません。
前回『生死疲劳』の読後感で、
最後に「人は動物を理解できないかもしれないが、
動物はその存在として存在している」と書きました。
動物同士には互いの言語があり、
植物の脈絡や成長にもそれぞれの言語があり、
人と人のあいだには身体の言語があります。
一人ひとり、人の種類ごと、あらゆる生き物の動作やまなざし、
心理はすべて一つの言語です。
親しさや疎遠、好悪、距離や是非について
口に出される言葉はほんの表層にすぎず、
本当に伝えたいことの多くには暗号が伴っています。
ですから、女性主人公の設定もとても興味深いものです。
華やかで人目を引く女優という身分のほかに、
彼女には抑圧されて脆い
(第2の人格)「ドラミ」という副人格があります。
「ドラミ」は人と人とのやり取りを理解しており、
自分を嫌っている相手の前では
気づかないふりをするのが得意であり、
第一人格が言い出せない怒りや臆病さ、
恐れや欲望も口にします。
私はこの副人格を「仮面」と呼びます。
人が仮面をつける理由は、
社会に溶け込むためでもありますし、
相手に自分の言葉を理解してもらうために、
やむを得ず装うことでもあります。
やがて最後には、女優としての彼女と「ドラミ」とのどちらが
誰の仮面なのか、判別するのが難しくなっていきます。
劇中でとても主題を象徴している対話があります。作家と翻訳官の会話です。
「この世界には、いったい何種類の言語があると思う?」
「確か、7100種類以上だったはずです」
「違う」
「この世界に何人の人間がいるか、その数だけ言語がある」
「誰もが自分自身の言語を使っている。
だから互いに理解できず、誤解し合い、ときには激しい言葉を口にしてしまう」
この世界にどれだけの個が存在するか、その数だけ言語があります。
言語の異なる表現のかたちは、さまざまな形の愛を描き出します。
恩讐が絡み合うもの、切なく深いもの、
一生に及ぶほど強いもの。穏やかで安らかなもの、
互いに支え合うもの。
衝突して引き裂かれるもの、愛憎が入り混じるもの。
あるいはそれほど光明正大ではないものもあります。
愛には多くの形がありますが、理解は一つしかありません。
もしかすると、愛に出会うことよりも、
理解してくれる人に出会うことのほうが難しいのかもしれません。
結局のところ、私たちは一生のあいだに
恋や情熱に出会うことは珍しくありませんが、
最も大切なのは「理解」に出会うことなのだと思います。
ここまで来ると、二つ目の作品『永恒站(エタニティ)』の中で、
女性主人公がなぜあの選択をしたのかが分かる気がします。
この作品は、人が現実の世界を去ったあと、
無数の永遠の世界をつなぐ「中継地点」にたどり着くという物語です。
そこでは一週間の時間が与えられ、
どこで、誰とともに「永遠の生」を過ごすのかを選ぶことになります。

人々が中継地点に到着したときの姿は、
それぞれの人生の中で「最も幸せだった瞬間の姿」です。
そのため多くの人は若い姿で現れ、
白髪の老年の姿はほとんど見られません。
「高校生の姿は絶対に見かけない」とも言われています。
そして永遠の世界には、喫煙者の世界、カウボーイの世界、
男性のいない世界、美食の世界、マルクス主義の世界、
道化の世界、博物館の世界などが用意されており、
どれか一つの空間を選ぶと、もう引き返すことはできません。
もし戻ろうとすれば指名手配され、
永遠の闇を象徴する虚無の空間へと送られてしまいます。
物語は、男性主人公Aが
一枚のビスケットを喉に詰まらせて死ぬという荒唐無稽な場面から始まります。
彼は中継地点に入り、若さを取り戻します。
妻に手紙を残し、七日間の期限が迫るなかで、海辺の世界へ向かう準備をしていました。
しかし妻がそこに到着したとき、
戦争で戦死したはずの前夫――男性主人公Bと予期せず再会します。
この前夫は、
中継地点で彼女を67年間待ち続けていたのです。
物語は、魂の永遠をめぐる選択から、
二人の男性のあいだで揺れる一つの愛の競い合いへと変わっていきます。
一方には、日々の暮らしの細かな出来事をともに重ねてきた長い年月があり、
もう一方には、激しい愛と生死の別れを経て、
互いの胸に深く刻まれた情熱的な愛があります。
(この場面を見て、私が敬愛している作詞家の歌詞「胸の奥に残る朱砂のような人は必ずいる」という一節を思い出しました。)

物語の展開や台詞に沿って、
私も思わずその場にいるかのように、
女性主人公の立場になって選択を考え始めていました……。
男性主人公Bと女性主人公が再会する場面は、
本当に胸を打つものです。
彼女は「こんなにはっきりとしたあなたの姿を見たことがなかった」と言い、
彼は「君の姿は、僕が夢の中で見ていたものとまったく同じだ」と言います。
男性主人公Aは自ら身を引くことを選び、女性主人公にこう言います。
「君が幸せでいてくれれば、それで僕も幸せだ。ただし、その前提は、君が本当に幸せであることだ。」
女性主人公は選択の前で激しく苦しみます。
「私はどちらも選べない。どちらを選んでも、きっと私は傷だらけになってしまうから。」
そして女性主人公は男性主人公Bとともにいることを選び、静かにこう語ります。
「あなたがいなかったことにして生きていくなんて、できない。私の人生は続けられない。」

結末については、ここまでの描写から
皆さんもある程度想像できるかもしれませんので、
あえて明かさないことにします。
ただ少し迷いを感じたのは、
作品の中で男性主人公Aが望んでいた世界は「海辺の世界」であり、
男性主人公Bが心から望んでいたのは「高山の世界」、
そして女性主人公の親友は迷いなく
「パリの世界」へ向かう列車に乗り込んだという点です。
ところが肝心の女性主人公自身は、
主観的な意見を持つことも、
選択の主導権を与えられることもほとんどなく、
むしろ誰と行くべきかを
周囲から勧められ続けていました。
揺れ動く時計の針は三つの行き先のあいだを行き来し、
彼女に「自分はどの世界へ行きたいのか」
を尋ねる人はいなかったのです。
もし『恋の通訳、できますか?』が、人はそれぞれ自分の言語を持ち、
それゆえに互いを理解しきれないという命題を描いているのだとすれば、
『永恒站(エタニティ)』の女性主人公の言語は、
実は一度もきちんと聞き取られていなかったのかもしれません。
だから彼女は個人としての世界では不幸だったとも言えますが、
同時に、感情の世界ではとても幸運で幸福でもありました。
若き日に最も激しい恋を経験し、
さらに生涯をともにする伴侶にも恵まれたのです。
特別な状況でなければ、白い月光のような存在か
胸に残る朱砂のような存在か、
真夜中か黄昏か、向こう岸かこちら岸か――
そんな「理想の伴侶」をめぐる選択に直面することなど、
誰にあるでしょうか。
こうした設定は、考えるだけでも羨ましくもあり、
同時に少し妬ましくも感じられます。
現実の世界での選択は、そこまで理想的ではないかもしれません。
それでも、まずは自分の声に耳を傾け
自分自身を理解できますように。
そして、自分を理解してくれる誰かに出会えますように。
最後に、新年おめでとうございます。
まずは卓上の麻雀牌を読み解くところから。
いつものことながら クリエイターとしての「高い洞察力」が感じられる、ハンハンの論評。
これは ドラマを見てから 是非もう一度読み返したい 文章でしたネ😅
(正直、いつにもまして 今日のは難しかった(^-^;)
ハンハンが製作しているドラマ。
どんな内容なのか ほんとに気になりますww
チャンジャーハン 公式Youtubeで「グッドナイトストーリー」更新
あと 昨日紹介するのを忘れていた ハンハンのグッドナイトストーリー。
YouTubeで更新がありましたww
チャンジャーハン公式Youtube「张哲瀚|晚睡故事《雨水》」
ハンハンがおすすめの本を朗読する企画。本人映像で拝見できます。
※上の動画がうまく表示されていないときはこちらから飛んでくださいww
これ 誰の本なのか よくわからずなのだけど… とにかく貴重。
御時間があるときに 是非どうぞww
ではでは 今日はこのへんで。ここまでご覧くださりありがとうございましたww
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