今日でついに、2026年も終わり!という、大晦日に…
なんとなんとの「YouTube生ライブ」の告知+インスタ更新!
ハンハンの2026年は、スタートダッシュで勢いに乗れそうです💗
チャンジャーハン、2026年をYouTube生ライブでスタート!
今日は、このブログの投稿時間がすごく遅くなってしまったので😅
きっと、もうご存知の方も多いと思うのですが、まずは重要なお知らせからご紹介しますネ。
チャンジャーハン公式YouTubeで「1月1日、午前0時45分~生ライブでQ&A」
今日、突如!ライブ配信のカウントダウン が始まった「公式YouTube」。
日本時間の1月1日 午前0時45分~生ライブがスタートします。
▶張哲涵|2025年に関するQ&A
時間になったら ここでも視聴できます。
※タイトルが「 張哲涵|2025年に関するQ&A」なので、YouTubeのコメント欄で、質問受付可能。
コメントしたい方は、YouTubeにログインして、書き込みしてくださいネ。
>>YouTubeリンク先はこちら
どんな内容が出てくるのか 今から超楽しみです♡
チャンジャーハン公式インスタ12/31更新!
そして ハンハンのインスタも更新あり。


コメントは絵文字 🧧 (カード…封筒かな?)
※元投稿は動画です。>> ここから飛んでみてきてください💗
YouTubeで生ライブするよ~の告知にも見えるのだけど…果たして??
※もってるカードに書かれている文字を Xの9菜さんが訳してくれています。
リンク先だけご紹介しますネ>> ここから飛んでください
公式サイトが「ハッピーニューイヤー」仕様に大変身!
そして 公式サイトのお話しも。早くも「新年バージョンに大変身!」

右下にあるアイコンマークを押すと ハンハン列車が登場!
2025年の出来事をふり替えることができます(荷台に注目)


一番最後の列車は 「2025年の最もハンサムな顔100人」のニュースでした♡
ハンハンの1年が走馬灯のように… 今年も本当によく頑張りました♡
チャンジャーハンのママが書いた「私が”蘇東坡”と出会ったとき」
そして 今からご紹介するのが 昨日公開された ママのブログ。
冒頭は、蘇東坡という、宋時代の文人の書物の話から始まるのだけど…
実は、この文人の人生と、ハンハンとすごく似てる話が展開されていきます。
真ん中から後半にかけて かなりオーバーラップ。
しかも ハンハン自身が、この文人の生き方を継承してることがよくわかる話が出てきます(^-^;
※先に、蘇東坡の経歴を知ってから読むと、より理解しやすいです。
蘇東坡:宋代を代表する文人。左遷という逆境に幾度も置かれながら、その試練を生の深みへと昇華し「人はこう生きられる」と示した宋代随一の文人。
👍才能ゆえに左遷され、何度も人生の逆境を味わったが、その苦しみさえも受け入れ、前向きでおおらかな生き方へと変えていった人物。
※人生で何度も左遷=逆境にあう部分が、あの事件で封殺されて今に至るハンハンの境遇とオーバーラップします。詳しい話はウイキにでているので余力のある方はこちらで>>ウイキペディアリンク先はこちら
※くどいのだけど 驚くほど長いのですが、良かったら読んでみてください。
張ママブログ12/30投稿「人は、このように生きることができる——私が「蘇東坡」と“出会ったとき”」(全文和訳)

人は、このように生きることができる——私が「蘇東坡」と“出会ったとき”
時の流れは早く、
歳月は灯火のように、
また一年が終わりを迎え、
燃え尽きようとしています。
かすかな灯りは変わらず、
しみじみとした静けさの中で心を落ち着かせ、
再び書を手に取り、
茶の香りとコーラに寄り添われながら、
文章を丁寧に読み進めています。
読書のよさについては、これまで幾度となく語ってきました。
けれど今、最も深く感じ、その妙をはっきりと実感しているのは、
もはや時空に縛られることなく、自由に飛び回り、
過去・現在・未来の人々と「出会う」ことができる点です。
彼らの痛快な言葉に耳を傾け、
彼らが積み重ねてきた歳月の重みを見つめ、
彼らのはかない人生への悟りを味わい、
思索が自在に広がっていくのを感じます。
そうした一人ひとりの生き生きとした人物像は、
まるで文字の行間にその姿をほのかに現し、
立ち居振る舞いのすべてが、どこか味わい深く映ります。
日々の暮らしと照らし合わせてみると、
そこには無数の共通点が見つかり、
自然と親しみが湧き、さらに深い気づきへと導かれるのです。
今回、私が「出会った」のは、大文豪・蘇東坡でした。
蘇東坡は、歴史上のみならず、
現代においても、疑いようもなく
「国民的アイドル」級の“大物”です。
その卓越した才能は「千年に一度の英傑」に数えられ、
文学・絵画・書法など多方面にわたり、
後世に語り継がれる輝かしい業績を残しました。
詩や詞の作風は、豪放で伸びやかなものから、
繊細でしとやかなものまで自在に操り、
中国文壇におけるまばゆい宝石のような存在です。
『念奴娇・赤壁懐古※』では、壮大な気勢で過去をしのび、
今を思い起こしながら、
「大江東去、浪淘尽、千古風流人物」
と詠み、わずか数句で、歴史のうつろいと英雄の豪胆さを余すところなく描き出しました。
※『念奴娇・赤壁懐古』:赤壁の歴史を題材に、英雄の盛衰と悠久の時の流れを壮大に描いた、蘇東坡の代表作。
※「大江東去、浪淘尽、千古風流人物」;大河は東へと流れ去り、その波は、千年にわたって名を残した英雄たちさえも洗い流していく。つまり、どれほど名高い英雄であっても、時の流れの中ではやがて過去の存在となる、という 歴史の無常と時間の圧倒的な力を表した一句。
一方、『江城子・乙卯正月二十日夜記夢』では、深い情を込めた筆致によって亡き妻への思慕を表し、
「十年生死両茫茫(※2)、思わずとも、自然と忘れがたい」
という一節に、その偽りのない感情がにじみ出ており、読む者の胸を強く打ちます。
※『江城子・乙卯正月二十日夜記夢』:江城子(こうじょうし)・乙卯年正月二十日の夜、夢に見たことを記す」
亡き妻を夢に見た夜の切ない思慕を、深い哀情をもって綴った、蘇東坡の追悼詞。
※2:十年生死両茫茫=亡き妻と死別して十年、生者と死者は隔てられ、互いの行方も分からぬまま、ただ果てしない隔たりだけが広がっている
詩にとどまらず、蘇東坡の絵画作品もまた、称賛に値するものです。
彼の絵は、奥深い意境と生き生きとした筆致で知られ、
とりわけ竹を描くことを得意としました。
描かれた竹は姿かたちもさまざまで、
まるで命が宿っているかのようです。
さらに書法においても、
彼は独自の境地を切り開きました。
『寒食帖』は「天下第三の行書」と称され、
筆法は精妙で、そこに込められた感情も真摯であり、
彼の卓越した芸術的才能を余すところなく示しています。
私は若い頃から蘇東坡の作品が好きで、
息子にも名作や名句を一つ一つ暗唱させてきました
(たとえば中秋の折には、『水調歌頭・明月幾時有』を一緒に覚えました)。
しかし、私の理解は詩詞の世界にとどまり、
彼の生涯については断片的に知っている程度で、
とても語れるほどではありませんでした。
今回、あらためて蘇東坡を読み返すことになったきっかけは、
息子の存在です。
ここ数年、彼は旅に出るたび、
必ず、蘇東坡に関する本を一冊荷物に忍ばせ、
読み終えると感想を私に語ってくれます。
息子の蘇東坡への熱中は、
まるで一本の鍵のように、私を蘇東坡の世界へと導いてくれました。
その情熱は、また星火のように、
私の中の好奇心と探究心に火をつけ、
久しく遠ざかっていたこの偉大な人物について、
作品からその運命に至るまで、
もう一度深く知りたいという思いを呼び覚ましてくれたのです。
私は、蘇東坡に関する書籍や文章を読み始め、
次第に、彼の生涯における成就や数々の境遇について、
より深く理解するようになりました。
蘇東坡の人生は、名声と高い評価に彩られている一方で、
同時に多くの苦難と試練にも満ちていました。
彼は言葉によって罪を得て、幾度も左遷されます。
黄州にも赴きましたが、
当時のそこは辺鄙で荒れ果てた土地で、
経済は立ち遅れ、生活環境もきわめて厳しいものでした。
蘇東坡が初めてその地に着いた頃、
暮らしは困窮を極めていました。
あまりの苦しさに、
川に身を投げて自ら命を絶とうとさえ考えたのです。
これは、彼の人生における大きな挫折でした。
この本を読み終えたあと、
私は再び蘇東坡の詩や詞(抒情詩)に向き合いました。
詩文というものは、かなりの部分で
作者の人格や精神を映し出すものであり、
文学の力はまさにそこに宿っています。
今あらためて読むと、これまでとは経験も心境も異なり、
さらに蘇東坡の生涯について、
ある程度理解したこともあって、
彼の「詩詞」が私に与える響きはいっそう強いものとなりました。
私はその中でも特に数篇を愛し、
繰り返し味わいながら、ふと我に返って思います。
――蘇東坡とは、いったいどのような人物だったのでしょうか。
そう考えた瞬間、思わず自分で笑ってしまいました。
「一千人いれば、一千通りのハムレットがいる」と言われるように、
文字を通して千年前の人物を知り、
評価しようとすること自体、
多くは自分なりの想像に過ぎず、
人は一人でありながら千の顔を持つものだからです。
『人生、蘇東坡に出会う』を書いた人が述べているように、
「……本当の蘇東坡がどのような人だったのかは、必ずしも重要ではありません。
大切なのは、彼が一つの“参照軸(自分を省みるための鏡)”を示してくれたことであり、
それによって私たちは自分自身を映し出すことができるのです」
そこから私は、蘇東坡の生き方を「映し出し」、
同時に自分の人生に広がる、
より多くの可能性をも「映し出しました」。
そして、自分自身を見つめ直すとともに、
私の人生における、あの愛すべき若者
―息子の姿をも、はっきりと「映し出した」のです。
しかし彼は、最終的にその苦難に打ち倒されることはありませんでした。
むしろ、楽天的に向き合い、
人生への愛と、逆境をものともしない姿勢を示したのです。
その波乱に満ちた人生は、
確かに人の胸を打ち、嘆息を誘いますが、
それ以上に、彼の鷹揚で前向きな生き方は、
彼を「堂々たる一人の人間」として生き抜かせました。
彼は私に教えてくれたのです。――人は、このように生きることができるのだと。
『人生得遇苏东坡(人生で、幸運にも蘇東坡に出会うこと)』をじっくり読み終えるまでには、
実に多くの時間を要しました。
一つには目の具合の問題があり、
もう一つには、この本が描き出す蘇東坡の姿が、
私の中に尽きることのない思いを次々と呼び起こしたからです。

孤館の灯は青く、
野の宿では鶏が鳴き、
旅の枕に残る夢も途切れます。
やがて月の光は白絹のように引いてゆき、
朝霜はきらりと冴え、
雲に包まれた山々は錦を広げるように連なり、
朝露は玉のように重く宿ります。
世の道は果てしなく続く一方で、
人の一生は限られています。
このようなささやかな旅の身では、
長く歓びを保つことなどできません。
かすかに詩を吟じ終え、
旅鞍にもたれて言葉を失い、
過去の出来事が幾重にも胸に去来します。
かつて私たちは共に長安に客となり、
陸機・陸雲の兄弟が初めて都に出た頃のように、
ともに若者でした。
筆を執れば千字が一気にあふれ、
胸の内には万巻の書を収め、
君主を堯・舜の世のように導くことも、
難しいことではないと思っていました。
用いられるか退けられるかは時の成り行き、
進むか退くかは自分次第。
ならば手を袖に収め、
静かな場所から世を眺めていてもよいではありませんか。
身は健やかであるのですから、
のびやかに一年を過ごし、
まずは杯を前にして、酒を酌み交わしましょう。
——『沁園春・孤館灯青』
この詞は、蘇東坡が(まだ「東坡」という号を持つ以前に)
弟の蘇轍に宛てて書いたものです。
若々しい気概が筆先にあふれ、
意気は高く昂り、胸の内には果てしない山河を抱き、
行間には計り知れない志がにじみ出ています。
彼は自由であり、波乱を恐れず、
目の前に広がる大路を縦横に行き交い、
世に出て生きる者としての豪放さと
洒脱さ※を余すところなく示しています。
※洒脱さ:苦難の中にあっても、重く沈まず、笑みを忘れず、自由な精神で生きる姿
息子もまた、まさにそうです。
彼の眼差しにはいつも燃えるような光が宿り、
善良でおおらか、正直に、そして自由に、
世界や人生への愛を表現しています。
何事にも全力で取り組みます。
バスケットボールでは、
どんな相手にも臆することなく全力を尽くし、
MVPを手にしたときにだけ、思わず言葉を詰まらせます。
ゴルフに取り組めば、真剣に研究を重ね、
ホールインワンを達成する一方で、試合の解説も理路整然とこなします。
チベットまで自転車で走ることを志し――
一度は自分を試し、夢を実行に移すため、
もう一度は自分自身を見つめ直すために――
天地を見、衆生を見、
そして自分を見つめ、不遠千里の道のりを越え、
山を越え川を渡りながら、
心に描いた夢を何度も測り直しました。
その過程で新たな道を切り開き、
国際的な影響力を持つドキュメンタリー映画『八月』の演出・制作にも携わりました。
愛する芸術の道に身を投じてからも、
愚痴一つこぼさず、たとえ傷だらけになっても、
「大丈夫」という一言で済ませ、
なお前へ進み続けます。
中韓合同の国際バラエティ番組「中韓ドリームチーム」に参加した際も、
最後までやり抜き、転倒して顔を血に染めても、
国の名誉を背負って戦い抜きました。
……私の子どもは、人生のあらゆる段階で全力を尽くし
(今の言葉で言えば、少し「熱血で中二的※」かもしれませんが)、
自分にできることをやり切ってきました。
※热血中二(熱血で中二的)=情熱が先走り、理屈よりも「信念・理想・勢い」で全力投入してしまう、若々しく真っ直ぐなあり方
これもまた、「用いられるかは時次第、進退は我にあり」という生き方ではないでしょうか。
人は、このように生きることができます。
思うがままに、自由に、
胸に胆力を宿し、
恐れずに、生きるのです。

夜、東坡で酒を飲み、
醒めてはまた酔い、
帰り着いたころには、夜もすでに三更(現在の23時〜翌1時ごろ)でした。
家の童僕は鼻息も荒く、雷のように眠りこけ、
戸を叩いてもまったく応じません。
私は杖に寄りかかり、
ただ川の流れる音に耳を澄ませていました。
長らく恨んできました。
この身が、思うままにならないことを。
いったいいつになれば、
名利に追われる日々を忘れられるのでしょうか。
夜は更け、風は静まり、
水面の波紋は絹のように穏やかになります。
――小舟に乗り、このまま去っていき、
残る生を、江や海に託して生きていきたい。
——『臨江仙・夜飲東坡醒復酔』
この詞は、蘇東坡が人生の大きな試練に遭った後に詠んだもので、
行間の一字一句には、数々の風波をくぐり抜け、
幾多の帆影を見尽くした末の、淡々とした心境が表れています。
当時の蘇東坡は、依然として物事に囚われず、伸びやかで大らかでした。
世界や生命に対する熱意も失ってはいませんでしたが、
より多く語られているのは、
人の世の広大さを知ったうえでの、手放しと解放の感覚です。
私は最近、ある動画を見ました。
宇宙飛行士が宇宙空間に身を置き、
軌道上から地球を振り返ったとき、
心に走る極度の震撼が、認識の劇的な転換をもたらすという内容でした。
それは天地への畏敬と、
自身の小ささをはっきりと自覚する体験であり、
そこから執着を手放し、自分を再構築するに至るのだそうです。
この感覚は、心理学では「総観効果(オーバービュー・エフェクト)」と呼ばれています。
蘇東坡もまた、幾重もの浮沈を経て、
天地の広さと世の道の険しさを知り、
その内面は、かつての若き気概とは大きく異なるものとなっていました。
「醒め」と「酔い」は、どちらも多くを語らずとも通じ合う、達観の境地なのです。
私は今も、息子のことを思い浮かべます。
あるとき、冗談めかして彼にこう言いました。
「あなたの人生経験は、どこか蘇東坡と少し似ているね」。
すると彼は、ただ微笑み、
手にしていた本を置き、茶杯を掲げて一口すするだけでした。
たとえ人生が芝居のようなものだとしても、
三十余年を生きてきた彼自身、
これほどまでに展開が激しく、
瞬く間に天地がひっくり返るような出来事を、
予想していたわけではありません。
あらがう間もなく暗流に押し流され、
流言に覆い尽くされ、ついには真実を釈明する余地すら失ってしまいました。
歴史を振り返れば、蘇軾もまた、言葉ゆえに罪を得、
「木秀于林、风必摧之(秀でた木は必ず風に折られる)」のごとく、
命の危険にさらされながら、遠地へと左遷されました。
一代の才子がそうであったように、
当時の息子も、根拠のない噂によって人生の底へと突き落とされ
「社会的死」とも言える境地に追い込まれ、
不安から心理的な病を患い、命を絶とうと考えたことさえありました……。
それでも、
「私を殺せなかったものは、私をより強くする」という言葉のとおり、
彼を愛する人、彼が愛する人々の静かな支えがあり、
彼は荊棘の中から抜け出しました。
苦しみはやがてかさぶたとなり、
涙は乾いても、愛だけは消えません。
彼は淡々と、そして醒めた眼差しで世の冷暖を知り、
自らの命の尊さを、より深く理解するようになったのです。
試練は彼を打ち倒すどころか、
かえって、より広い天地へと押し出しました……。
人は、このように生きることもできます。
洒落た本色を失うことなく、
より淡く、穏やかに、
風波に微笑みながら向き合って生きることが。

林を突き抜け、葉を打つ雨音に、
耳を傾ける必要はありません。
吟じ、口笛を吹きながら、ゆっくり歩けばよいのです。
竹の杖に草鞋の足取りは、
軽やかさでは馬にも勝ります。
――何を恐れることがありましょう。
蓑に煙る雨の中を、
この一生、思うままに生きていけばよいのです。
身を切るような春風が、酔いを覚まさせ、
少し肌寒さを覚えます。
それでも山の端から差す斜めの光が、
静かにこちらを迎えてくれます。
ふり返って、かつて風雨にさらされ荒れすさんでいた道を見やると、
――もう帰ろう。
そこには、風雨もなく、
晴れもない。
——『定風波・林を打つ葉音を聞くなかれ』
※逆境の中にあっても、心を揺らさず、自然と人生を受け入れる境地を語った詩
この詩は、私が『水調歌頭・明月幾時有』に次いで
最も愛している東坡の詞です。
わずかな言葉の中に、その一生が語り尽くされています。
これは、蘇東坡が黄州へ左遷された折に書かれたもので、
若さゆえの気負いは洗い流されつつも、
胸中には、なお落ち着いた余裕が残されています。
老境に至ってすべてを見極めた達観というよりも、
試練をくぐり抜けたあとの澄み切った透徹さが、そこにはあります。
人生に風雨はつきものです。
ならば、歌いながら歩いていけばよいのです。
振り返れば、険しく切り立った道もあれば、
激しく揺れた日々もあり、荒涼として定まらない時もあります。
それでも、何より大切なのは一つの心――
揺るがぬ心、誠実な心、そして燃えるように熱い心なのです。
ロラン・バルトはこう言いました。
「非凡であろうとするなら、まず真摯でなければならない。」
真実の人として生き、
困難に対しても誠実に向き合い、一歩一歩ゆっくりと歩む。
心に山や海を抱いていれば、
風雨が真正面から迫ってきても、
胸を張って快く受け止めることができます。
蘇東坡は絶地から立ち上がりました。
おそらくこの先に、どのような運命が待ち受けているかは、
まだ知り得なかったでしょう。
それでも彼は、天と地の間に凛として立ち、
恥じるところなく生きました。
その洒脱な風骨が刻み込まれた千古の名句は、
今なお無数の同じ響きを持つ人々の心を揺さぶり続けています。
私は、息子の中にも、
このような透徹さを見ています。
グラムシ※は言いました。
「悲観主義は知性のもの、楽観主義は意志のもの」
※グラムシ:アントニオ・グラムシ(Antonio Gramsci)
20世紀イタリアの思想家・哲学者・政治理論家。ひとことで言うと、「困難な時代に、人はどう希望を持つか」を考え続けた思想家。
蘇東坡は幾度も鍛え上げられた末に、
かえってより強靭な楽観精神を花開かせました。
息子もまた、幾重もの打撃を受けながら、
そこで立ち尽くすことはありませんでした。
自ら道を切り開き、より広い次元へと生き方を拡張していったのです。
ギターを学び、ボクシングを鍛錬し、
テニスをし、ハーフマラソンを走り、
ドキュメンタリーを撮り、歌を書き、芝居をつくる――。
彼は廃墟の上に、自分だけの芸術の城を築き上げました。
その努力によって、彼の価値はより多くの人に見いだされました。
三年間で三枚のプラチナアルバムを発表し、
世界で最もストリーミング再生された華語歌手の第八位となり、
十を超える個人音楽賞を受賞。
監督したドキュメンタリー『八月』は再生回数1900万回を超え、十以上の国際的な賞を獲得しました。
挫折は、臆病な人を脅かすことはできても、
苦難の本質を見抜き、
怨まず、悲しまず、恐れず、
胸の内の消えぬ火種を守る者を打ち倒すことはできません。
その火は、目の前を覆う迷いの雲を払い、
自らの進む道を照らします。
一人の人が自らの意志を堅く守り、
外物に縛られることなく、夢を携えて船出するならば、
その人が足を踏み入れる天地は、
どこであれ、その人ならではの光を放つのです。
私は息子と、あの共に過ごした最も暗い時期について語り合ったことがあります。
その中で私は、彼の中に、
蘇東坡とよく似た楽観と
つらい状況でも前を向いて受け止める強さを見出しました。
彼はすでに執着を手放し、
善意と前向きなエネルギーを胸に、人生という「走行」を続けています。
「過去に囚われていて、何の意味がある?
生き続けること、歩き続けることこそが一番大切なんだ」
その言葉に、私は驚き、深い感慨を覚えました。
私自身にとっては、このまだ終わっていない経験に対し、
息子ほど軽やかに受け止めることは、まだできません。
しかし、執着というものが最も深く傷つけるのは、
他でもない自分自身の心と身体です。
この打撃と執着によって、
私はすでに片方の目の光を永遠に失いました。
忘れることはできません。
心痛に眠れなかった幾夜もの日々も、
目の前で舞台の幕が下りるように
光が一切差し込まなくなった瞬間も。
そして、かつてより健康だった自分自身と別れを告げたことも――。
過去を手放し、再び歩み出すこと。
それこそが、私自身に対する救済なのです。
作家・莫言のある言葉は、私に強い衝撃を与えました。
「命を最も消耗させるのは他人ではなく、あなた自身の考えだ
……実のところ、人生には手放せないものなどない。
近隣との小さな争いから、生死という大事に至るまで、
手放しても、手放さなくても、結末は大きく変わらない。
違いは、手放した人は軽やかさと喜びを得て、
手放せない人は一生“重荷”を背負って生き、
幸せになれないということだ」
「本当にあなたを傷つけるのは
出来事そのものではなく、
それをどう捉えるかという考えだ。
重く受け止めるほど傷は深くなり、
軽く受け止めれば傷も浅い。
無視すれば、もはや傷つくことはない。
心の中の執念から抜け出せない限り、
どこへ行っても囚われの身なのだ。」
手放してこそ、生活の温もりを感じることができます。
手放してこそ、人生のさまざまな味わいを生き生きと受け取ることができます。
手放してこそ、私は再び自分自身に戻り、重荷を下ろし、幸せを探し求める勇気を取り戻せるのです。
蘇東坡を読み、息子と語り合う中で、
私はまるで千年前の古人と再会したかのような気がしました。
谷底へと突き落とされ、全身に傷と埃をまといながらも、
彼は微笑んで立ち上がり、衣をはたき、清らかな一襟を広げ、
振り返って、胸の内を解き放つように声を上げます。
行く手に風雨があろうとも意に介さず、悠然と――
「誰が恐れるものか。
一蓑の煙雨※、平生に任せて生きるのみ!」
※一蓑の煙雨=逆境をそのまま引き受け、飾らずに生きる姿
人は、まだ別の生き方もできるのです。
逆境を修練へと変え、運命への執着を手放し、
自分だけの意志と輝きを生き抜く。
心のあり方を自ら守ることができたなら、それこそが、円満なのです。

蘇東坡は、私にとって
永遠に読み尽くすことのできない「千古の風流人物」であり、
その光は今も変わらず世の中を照らし続けています。
数奇な運命の中にあっても、彼は人生を滋味深く生き抜きました。
衣食に事欠く状況にありながらも、
その知恵によって、
東坡肉、東坡酒、焼き牡蠣、羊蝎子(羊の背骨料理)などを“生み出し”ました。
巧みさは、必ずしも筆を執ることに限られず、
工夫する心があれば、そこには自ずと静かな喜びが宿るのです。
私も息子も、彼の人格的な魅力と比類なき才能に深く心を打たれ、
千年の時を隔てた文学を通して彼と「出会いました」。
順境における意気揚々とした姿、
逆境にあっても卑屈にも高慢にもならない在り方、
そして、絶境においてさえ失われない淡々とした落ち着き―
―それらを知ることができた幸運を、私はしみじみと感じています。
『人生得遇苏东坡(人生で、幸運にも蘇東坡に出会うこと)』にある次の言葉は、まさにその思いを言い表しています。
「大切なのは、私たちが人生の岐路で関門に出会ったとき、
まるで千年前から届く遠い笑い声が聞こえてきて
『人は、このように生きることができる』と教えてくれることだ」
最近、息子はドキュメンタリー作品『隐者山河(隠者たちの山河)』を観て、
私に勧めてくれました
(そのラストも『水調歌頭・明月幾時有(水調歌頭・明るい月はいつ出るのか)』の吟誦で締めくくられています)。
※『隐者山河』:2023年公開の中国ドキュメンタリー。世俗から距離を取り、信念と表現を貫く芸術家たちの生き方を描く。
その中で語られていた芸術家の考え方が、特に強く印象に残りました。
芸術の意味と力とは、信仰にも似た、揺るぎない重みをもつ支えであり、
静かに人を潤しながら、絶えることなく続いていくものだ、というのです。
蘇東坡の文学も、まさにそうでした。
しなやかで霊性に満ち、人に力を与え、生活に着想をもたらします。
―人は、まだ別の生き方ができるのです。
なぜなら、
「最も柔らかな力こそが、最も堅固な人間の世界を築くことができるのだから」

2025年もまもなく過ぎ去り、
2026年の鐘の音が、今にも鳴り響こうとしています。
新しい一年において、
私たち一人ひとりが執着を手放し、
人生を抱きしめ、ありふれた日々の中で、
自分自身にふさわしい幸福と喜びを得られますように。
そして、私たちが蘇東坡のように、
順境にあっても驕らず騒がず、逆境にあってもくじけることなく、
こだわりを離れ、しなやかで前向きな心で人生の試練に向き合い
自分だけの輝きを生き切ることができますように。
――なぜなら、私たちは知っているのです。
人は、このように生きることができるのだ、と。


張ママが「ブログで語った息子チャンジャーハンの話」の感想
ママの、今回の文章。
まるで この約5年間の出来事を 走馬灯のように 見ているような思いがしました😢
あれだけの誹謗中傷を受けて、ひとことの弁明の機会ももらえず、
突然、完全封殺されてから ここまでくるのに どれだけの困難があったかを思うと
いまでも、やるせない気持ちでいっぱいになります。
しかも、いまだに本国での「ハンハンの不当な封殺状況」は、
なにひとつ改善されていないのだから…なおさらです。
それでも ハンハンは自分の努力で、前に進んで、世界に知られる歌手になり、
彼が作った初めてのドキュメンタリー映画が、多くの賞を獲得するほどの才能を見せつけてくれたわけです😢
これをミラクルと呼ばずになんと呼ぶ?とさえ思うけれど、
これは奇跡でもなんでもなく ただひたすら ハンハンだからできたことであり、
彼のたゆまない努力が 成し遂げたことなのだから もう「感嘆」という言葉しか浮かびません。
あれから、もう5年もたとうとしているのが いまだに信じられないのだけど…
ママがブログで書いてくれた話を読むと、ハンハンの力の源泉が 感じられるような思いがしました。
このブログをお読みくださっている読者様の中には、
もしかすると、最近、ハンハンのことを知った方もいらっしゃるかもしれません。
もし、あの813事件のことを知らない方がいらしたら、
ぜひ、これまでの経緯を知ってくださると 幸いです。
下のリンクは 過去に書いたカンタン解説です。だいたい2024年までの出来事がわかります😢
カンタン解説 チャンジャーハンの現在。813事件、封殺後から活動再開、現在までの記録
ハンハンの2026年が 最高によい年になりますように。
クランクアップした作品が 大成功することを願っています。
今年も1年ありがとうございました
2025年も今日で終わり。今年も1年、いろいろなことがありましたネ。
このブログを始めたときには「正義は必ず勝つ」と思っていたのだけれど、
現実はそうはいかず、ほんとに複雑なまま、いつのまにか4年、そして5年目に突入するとは…
想像もしていませんでした (;´д`)トホホ
でも その「想像もしていないカタチ」で、自力でファンの前に戻ってきたハンハンがいて、
その努力と精神力に本当に感動する 月日でもありました。
ハンハンママがブログで書いていた通り、
逆境にあってもくじけることなく、
こだわりを離れ、しなやかで前向きな心で人生の試練に向き合い
自分だけの輝きを生き切ることができますように。
――なぜなら、私たちは知っているのです。
人は、このように生きることができるのだ、と。
今年も1年ありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願いいたします💙
ではでは今日は このへんで。ここまでご覧くださりありがとうございましたww
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