MENU

チャンジャーハンのブランドEHZZ「春夏ウエア再登場」(空港写真&動画追加も♪)

今日は、ハンハンのブランドEHZZから「初夏ウエア再登場!」のお知らせあり。
この他に、昨日の空港写真と動画の追加などなど 内容の詳細には目次から飛べます。
下記を 参照ください(〃▽〃)ポッ 

目次

チャンジャーハンのファッションブランドEHZZ「春夏商品」再発売!

まずは 今日のEHZZ公式インスタより。

EHZZ公式インスタ9/11投稿「春夏商品、明日10時から再発売!」

「夏」をここに残してください! ⏰ 明日09:00(日本時間10時)
一部の春夏ウェアが期間限定で再登場 
findyourvoice #ehzz

投稿元リンク先はこちら

春先に販売してた 「夏商品の再発売」があるとのこと!

今回も 代行さんの扱いが出るかは「??」なのだけど… 
明日10時(日本時間)から再発売があるということで。

※何が再発売されるのかは 明日ウイチャットストアで判明する模様です <(_ _)>

チャンジャーハン、昨日(9/10)空港の様子 追加写真&動画まとめ

さて! ここからは 昨晩のハンハン。
「上海から深圳」とのことだったのですが …(・・;)

昨日の写真含めたくさんアップロードされた写真は、深圳空港に到着した写真だったようです。

(昨日は上海での写真かと思ってたのだけど、どうも違うww)
(続報で出てきた動画が 明らかに到着時のものでしたww下で紹介しますネ)

チャンジャーハンin深圳空港 追加の写真まとめ

ということで まずは追加の写真からww CR:荆棘之花·0511さんより

今回 荷物も小さめなハンハン。
中秋節(旧暦のお盆)で ママのいる深圳へやってきた模様。(親孝行なハンハン♪)

すっぴんで この美肌。この写真が 結構話題だった気がします…(/ω\)

やっぱ ハンハンには笑顔が似合いますネww

そして、もうおひと方、CR:诺曼底周末さんからも。

笑顔の写真が多くて なごみますww ※1クリックで拡大できます。

あとこちらの拡大写真!指輪をいじるハンハンと… 
5:50pm(時計の針で時間判明)

夕方着便で 深圳に到着した模様。おつかれさまでしたww

チャンジャーハンin深圳空港での動画も登場!

そして動画も。明らかに到着時の VTRだったことがわかります(^-^;

※上の動画が うまく表示されていないときは こちらから飛んでください。

最後 エレベーターに乗り込む前に バイバイ~ 挨拶するハンハン。
下は BGMなしの動画。

※上の動画がうまく表示されていないときは こちらから飛んでください。ww

中秋節は、
「中国では「団欒節」とも呼び、離れて暮らす家族が集まって一家団欒のひとときを楽しむ」
とのこと。
引用元リンク先はこちら

ハンハンとママ、ゆっくりできるといいですネ (^ー^* )フフ♪

チャンジャーハンのグッドナイトストーリーIX 「気軽なお茶談義」 王増奇

さて ここからは先日、公式サイトで更新された ハンハンのグッドナイトストーリー第9回。
お茶の話を朗読したハンハンが 何を話していたのか??
朗読内容の本文含めてご紹介しますネ。

※これから紹介する和訳は、海外海哲SannaU4さんが 英訳してくださったものからの和訳です。

https://twitter.com/SannaU4/status/1833429582038421696

投稿主様のコメント和訳
先生节快乐(教師の日おめでとう)!9月10日 チャンジャーハンは私たちの最高の先生です!
最新のおやすみストーリーを翻訳するのは楽しかったです🌛さまざまなお茶やお茶の手順、古代の文学や言葉について話し合いました。ここで聞くことができます

海哲さんの英訳から和訳した「気楽なお茶談義」(グッドナイトストーリー⑨)

※ハンハンの朗読音声は 公式サイト>> こちらで聞いてくださいネ

※本文 驚くほど、めちゃくちゃ長いので ご注意ください(^^;)
※冒頭と最後に ハンハンの「自分の言葉」があります。

チャンジャーハンのグッドナイトストーリーIX 「気軽なお茶談義」 王増奇
《寻常滋味,欢喜人間》「世界の味」王増奇著より
– 張哲翰がお茶についての自身の考えを語る最後の部分をお見逃しなく。

みなさんこんにちは、張哲翰です。
張哲翰のグッドナイトストーリーへようこそ。

今日は王増奇の「気楽なお茶談義」を読みますね。

※ここから下が朗読部分。最後に ハンハンのお茶に関する考えを伝えるトークがあります。

私はお茶に関しては本当に初心者です。
お茶はよく飲みますし、1日に3回茶葉を交換します。
毎日起きて最初にすることは、お湯を沸かしてお茶を入れることです。

でも、あまりこだわりはありません。
茶葉にもこだわりがありません。

青茶、緑茶、花茶、紅茶、烏龍茶、手に入るものは何でも飲みます。
ほとんどのお茶は人からもらったものです。

1本飲み終わると、もう1本開けます。
碧螺春(洞庭山の緑茶)を飲んだ翌日は、
蟹爪水仙(水仙茶という烏龍茶の一種のことかもしれません)を飲むことができます。

でも、どんなお茶でも、きちんとした品質でなければなりません。
茶葉が悪ければ、茶卵を作るために取っておきます。

『北京人』(姜泰の著作)では、姜泰はお茶を飲むのは
「喉の渇きを癒し、唾液の分泌を促し、排尿に効く」だけだと信じていますが、
私はお茶には心をリフレッシュするという別の機能があると思います。

陶安の『陶庵夢想』では、閔老子が淹れたお茶は、
まるで魔法のようであると表現されています。

しかし、私は董日珠の考えに少し賛成で、
「『濃く、熱く、満ちている』という3語の教えがお茶の原理を要約している」と考えています。

私は熱すぎるお茶を飲むのは好きではありませんし、
お茶を淹れるときにカップの縁まで注ぐのも好きではありません。

私の故郷では、お茶やワインを客に出すときは
「ワインは杯になみなみと満ちているべきだが、
お茶は、浅くあるべきだ」と信じられています。

お茶をカップに注ぎすぎるのは失礼、さらには侮辱とみなされます。
したがって、残るのは「濃い」という1語です。

私はお茶をとても濃く飲みます。
私はよく会社の会議に出席するのですが、
ある女性の同僚が私のお茶を一口飲んで「まるで薬の味がする」と言ったことがあります。

そのため、お茶に関する記事を書くことができていません。
書くとしても、ありきたりな発言ばかりです。

小学校5年生の夏休み、祖父はなぜか急に興奮して、
私に勉強を教えることにしました。

「廊下」の左側には2つの空き部屋があったんですが
奥の部屋は仏壇で、丁雲鵬の仏像が飾られており、
仏衣は赤で、その下には銅製の烏山仏像がありました。
祖母は朝晩、線香を焚きに来ました。

外の部屋はもともと貯蔵室でした。
梁には干し野菜やちまきの葉が吊るされていました。

壁際には「臭塩水」の瓶があり、
グルテン、胃袋、タケノコ、アマランサスの葉を入れて発酵させていました。

窓際の四角いテーブルが私の机でした。

祖父は毎朝来て『論語』を1章教えてくれました。
残りの時間は、大文字と小文字を1枚ずつ書かされました。

大きい字は『桂峰碑』、小さい字は『仙謝公家伝』から書き写しました。
どちらも祖父が書道の教本から選んだものです。

一日おきにエッセイを書かなければなりませんでした。
正式な八部作ではなく、「義义」というジャンルで『論語』を解説するものでした。

テーマは祖父が決めました。
全部で何本の義エッセイを書いたか覚えていません。
今でも覚えているのは「孟子反不伐义」というテーマのエッセイだけです。

祖父は質素な暮らしをしていましたが、
お茶に関してはかなりこだわりがありました。

祖父は、宜興の平底の濃い栗色の土瓶で淹れた龍井(龍井茶としても知られる)を飲んでいました。

祖父はそれを小さくて上質な磁器のカップに注いで飲みました。
祖父は濃いお茶が好きで、
急須の半分以上まで茶葉を入れていました。

祖父はゆっくりと飲み、一口一口味わい、
後味を楽しむために一休みしていました。

祖父は時々私の書道や義理の文章を見て、
また別の一杯を持ってきて、お茶を飲ませてくれました。
それは本当に良い香りでした。

その時から私は龍井茶の美味しさを知り、
濃いお茶を飲む習慣は、この初期の経験に多少影響を受けています。

その後、私が社会に出てから、龍井茶を飲むと、
祖父のことを思い出し、孟子に反対していたことを思い出すこともありました。

私の故郷には、「喝早茶」(朝のお茶を飲むこと)
または「上茶馆」という伝統があります。

茶室に行くということは、包子、蒸し餃子、シューマイ、千層ケーキ(メラルーカ)を食べることです…
もちろん、お茶は常に体験の一部です。

軽食が提供される前に、まず甘粛(乾燥した豆腐の細切り)のボウルが運ばれます。
もともと甘粛は茹でず、単にお湯をかけていただけでした。

甘粛は広いボウルに塔のように積み上げられ、
食べる直前に、給仕が茶碗から醤油、酢、ゴマ油などの調味料をその上に注ぎます。

熱いお茶を飲みながら甘粛を食べることは、単に素晴らしいことです!

抗日戦争中、私は昆明に7年間住んでいましたが、ほぼ毎日茶室で過ごしました。
「浸る茶室」「泡茶馆」は西南連大の学生独特の言葉で、
地元の人は「座る茶室」と呼んでいました。

「座」には時間を過ごすという意味がありますが
「浸る」はそれをさらに進めたものです。

この言葉は北京から持ち込まれたもので、
「浸る」は長い間深く浸かることを意味し
「時間を無駄にする-泡蘑菇(文字通りキノコを浸す)」
という表現の「貧乏な浸り-穷泡」と同じ語源です。

連大の学生はよく茶室に半日浸かっていました。
そこではおしゃべりしたり、本を読んだり、記事を書いたりと、
いろいろなことをしていました。
ある教授は茶室でサンスクリット語を読んでいました。

茶室に浸かることのチャンピオンとも言える大学院生がいました。
彼の姓は呂で、変わり者でした。

彼はかつて中国の半分を徒歩で旅し、多くの本を読みましたが、
出版したことはなく、ほとんど話しませんでした。
彼は茶室に「根を下ろして」いたのです。

朝、昼、晩、お茶を頼んで一人で座って本を読んでいました。
彼は茶室に洗面用具を置いて、目覚めるとすぐに顔を洗って歯を磨いていました。
その後、彼は四川省を放浪し、貧困と悲惨のうちに亡くなったと聞きました。
かわいそうな人です!

昆明の茶館では、品質に違いはなく、
主に蓋付きの茶碗(盖碗里)で淹れた青茶を売っていました。

その後、文林街に「現代風」の茶館がオープンし、
ガラスのカップで緑茶と紅茶(雲南省の赤いお茶、Diān Hóng 滇红とDiān lǜ 滇绿)を売っていました。

雲南省の緑茶は新鮮なグリーンピースのように鮮やかで、
雲南省の紅茶は中国の赤ワインのように赤く、茶葉が厚かったです。

特にDiān Hóng(滇红)は何度も淹れることができ、3回淹れても色が変わりませんでした。
私はDiān Hóngのほうが、上質な赤いお茶、Mén Hóng 门紅(キームン茶)や英德の紅茶(英德)よりも美味しいと思いましたが、それは私の偏見かもしれません。

もちろん、スリランカ(セイロン)のリプトン 利普顿にはかないませんが、
リプトンは変な味だと言って、好きではないという人もいます。

好みは人それぞれで、それを強制する方法はありません。

昆明では、焙じ茶(カオチャ)を飲んだことがあります。
茶葉を粗い陶器の焙じ壺に入れ、炭火で半分焦げるまで焙じ、
熱湯を注ぐと、芳しい香りが立ち上ります。

数年前、大理の路上で焙じ茶の壺が売られているのを見て、
ためらいましたが買わなかったのです。
たとえ買ったとしても、ガスコンロでは、
焙じたのと同じ味は出ないでしょう。

1946年の冬、開明書店は呂陽で宴会を催しました。
食事の後、私たちは巴金さんの家で功夫茶の工夫茶を飲みました。

私たち数人は淡い黄色の昔ながらの円卓を囲んで座り
、陳雲珍(蕭山)が茶器をすすぎ、炭を熱し、水を注ぎ、
急須に水を注ぎ、茶を濾すという手順を「演じる」のを見ました。

私たちはそれぞれ小さなカップ3杯を飲みました。

功夫茶を飲むのは初めてで、深い印象を残しました。
お茶がとても濃くて、小さなカップ3杯が精一杯でした。
巴夫夫妻のほか、金怡と黄尚も同席していました。

あっという間に43年が経ちました。金怡と蕭山はもう私たちと一緒にいません。
病弱で体調の悪い巴さんは、功夫茶を飲む気力も興味ももうないでしょう。
宜興茶器もおそらく消えてしまったでしょう。

かつて杭州でおいしいお茶を飲んだことがあります。
1947年の春、同じ中学校で教鞭をとっていた同僚数名と杭州へ旅行に行きました。

西湖の美しい景色のほかに、地元の名物が二つ、
私に忘れられない印象を残しました。

一つは「带把」Dài Bǎ(取っ手を持参)です。
「把」とは、生きたソウ魚の身を背骨から丁寧に外し、
素早く紙のように薄く切る調理法のことです。

この切り身に上質な秋醤油をかけて生で食べます。

魚は甘く、信じられないほど新鮮で、サクサクしていました。

古代中国ではこれを「切脍」Qiè Kuài(生の肉のスライス)と呼んでいたのだと思います。

もう一つは虎莞(虎泉)で飲んだ龍井(龍井)茶です。
それは本物の十峰龍井の雨前の新鮮な芽でした。

それぞれの芽は旗と槍の完璧な組み合わせで、ガラスのカップの中でまっすぐに浮かび、優雅に上昇したり沈んだりしていました。

お茶は淡い色でしたが、非常に香りがよく、その香りが私の肺を満たしました。
本当に格別でした!

しかし、信じられないほど高価でもありました。
お茶一杯の値段は銀貨1枚で、食事1回分の値段よりも高かったです。

十峰龍井の評判は当然のものでしたが、虎泉の水がなければ、これほどおいしい味になることはなかったでしょう。
その時、お茶の品質にとって水がいかに重要かを実感しました。

私が飲んだ良い水には、昆明の黒龍潭(黒龍潭の湧き水)の湧き水があります。
黒龍潭まで馬に乗って急いで行った後、茶屋で湧き水で淹れたお茶を一杯飲むのは本当に満足でした。

湧き水は茶屋の軒先のすぐ外、小さな四角い池にあり、
地面から水が湧き出しているのを見ることができました。

井岡山の水も非常に良く、澄んでいて滑らかです。
水によっては「滑らか」な質感があります。

「温泉水滑洗凝脂」という言葉は誇張ではありません。
井岡山の水でシーツを洗うと、洗えば洗うほど白くなります。

狗古脑茶で淹れると、水にどんな物質が含まれているのかはわかりませんが
鮮やかさと風味が十分に高まります。

世界で一番、二番目に良いと言われる泉については、
飲んでみて特に特別なことは感じられませんでした。
済南は「泉の都」として知られ、眺めるには美しい泉がありますが、
お茶を淹れるとなると、水に特に注目すべき点は感じられませんでした。

本当に水が悪いところもあります。例えば塩城です。
塩城はまさに「塩の都」という名にふさわしく、水は本当に塩辛いです。

中流以上の家庭では「天降水」を飲んでいました。
雨の日には中庭に布を張って雨水を溜め、大きな壺に貯めてお茶を淹れていました。

私が飲んだまずい水は菏沢の水でした。
菏沢は世界一の牡丹で有名で、土壌がアルカリ性で、牡丹はアルカリ性の土壌でよく育ちます。

牡丹を見るために菏沢を訪れた時、花は確かに素晴らしかったのですが、お茶は飲めませんでした。

緑茶でも烏龍茶でも、すぐに紅茶に変わり、色は醤油のように濃く、塩辛くて苦い味がしました。
菏沢を出て涼山へ向かった後、旅館に着いてまずしたことは、アルカリ性の味がしない甘い水でさっとお茶を淹れることでした。

昔の北京では、一日の始まりにお茶を飲むのが伝統でした。
お茶を飲んで、一日中心地よく過ごせるようにするためです。
これはあらゆる社会階級の人々に共通する習慣でした。

1948年、子午線門の歴史博物館で働いていたとき、
年配の衛兵がまずストーブでコーンミールケーキを焼き、
次に順番にやかんのお湯でお茶を淹れていました。

お茶を十分に飲んでから、彼らは子午線門タワーの展示室にある持ち場に向かいました。

彼らは主に花茶を飲んでいました。
北京人は花茶(香り付き)を好み、花茶だけが本当のお茶だと信じています(ジャスミンの花を「茶葉花」と呼ぶ人が多い)。私は花茶が特に好きというわけではありませんが、老舎氏の家のような良い花茶は例外です。

老舎さんはお茶なしでは一日も過ごせなませんでした。
彼がモスクワで会議をしたとき、ソ連は中国人がお茶好きであることを知っていたので、
彼のために特別に湯沸かしポットを用意しました。

ところが、彼が一杯淹れてほんの数口飲んだところで、
ウェイターが来てお茶を流しました。

老舎さんは憤慨してこう言いました。
「なんてこった!中国人が一日中お茶を飲んでいることを知らないのか!」

朝から晩までお茶を飲むのは中国人特有のことなのかもしれません。
外国人は一般的にお茶を「食事」のように飲むので、
ウェイターが半分しか入っていないカップを見て、
老舎さんはもう飲み終わってもう飲みたくないと思ったのも無理はありません。

龔定安は碧螺春(びるろちゅん)が世界最高のお茶だと信じていました。
私はかつて蘇州東山の「花彫亭」で摘みたての碧螺春を飲む機会がありました。

もともと裕福な華僑の邸宅だったこの亭は、
輸入した堅木で建てられ、長寿を祝う八仙人、福徳長寿の三星、龍、鳳凰、牡丹など、
さまざまなモチーフの精巧な彫刻で飾られており、
まさに派手な装飾のコレクションでした。

しかし、碧螺春茶自体は確かに素晴らしかったです。
お茶は大きな茶碗で淹れられたので、少し味が損なわれたように感じました。

後で陸文福に聞いたところ、碧螺春は伝統的に大きな茶碗で淹れるのだと言いました。
上質なお茶と粗い器の組み合わせは、私にとってはかなり珍しいように思えました!

私はかつて湖南省桃園で擂茶(すり茶)を飲んだことがあります。
すり鉢に茶葉、古い生姜、ゴマ、米、塩を入れて、硬い木製のすりこぎで細かくすりつぶし、
そこに熱湯を注いで作ります。
擂茶については『湘行二記』に詳しく書いているので、ここでは省略します。

お茶は確かに様々な料理や食べ物に取り入れることができます。
杭州には龍井虾仁(ロンジンエビ)があり、なかなか美味しいようです。

邱聖栄はかつて龍井茶を使って団子を作ったことがありますが、これは非常に独創的だと言えます。
日本には茶粥(チャ粥)があります。

『俳人の食物』には、俳人が小集団で集まると
食べ物は極めてシンプルであると書かれていますが、茶粥は欠かせない料理の一つです。茶粥とはどんなものですか?

私はかつて粗い茶葉でスープを沸かし、ご飯を炊いて粥にし、
それが茶粥だと思っていました。

しばらくの間、自分で考案した茶粥を毎朝飲んでいましたが、
とても美味しいと思っていました。

四川の樟茶鸭子は、ヒノキの枝、クスノキの葉、茶葉と一緒に燻製にされており、
お茶の味はしないのにお茶の香りがします。

私はかつて龍井茶風味のチョコレートを食べたことがありますが、それはほとんどいたずらでした。上海の人が言うように、チョコレートと龍井茶は「一緒には合わない」(弗塔界)のです。

++

….15.30分…今夜の話を終える前に、小哲の考えを少し(以下 ハンハンの話です)

「お茶を飲むことは、私の毎日の習慣になっています。
お茶を淹れないと、一日が何か欠けているように感じます。

リハーサルの前やボーカルトレーニング中は、自分でお茶を淹れて飲むのが習慣になっています。
熱いお茶を飲むと声がよく出るようになると信じているので、この習慣を続けています。

また、お茶はアルコールと同じように、人と人とのコミュニケーションを促進することができると感じています。
アルコールは夜に関連しているかもしれませんが、お茶は昼間に適しています。

そのため、日中に何かを話し合う必要がある場合は、お茶を飲んでおしゃべりしたり、理想や創造性について話したり、人生に関する哲学的な質問について考えたりすることができます。

プーアル茶、岩茶、白茶、紅茶、緑茶など、さまざまな種類のお茶について知ることができて幸運だと思います。
それぞれに独特の風味があります。もちろん、お茶には爽快感を与える刺激的な効果があるので、夜に飲みすぎないことが最も重要です。夜にお茶を飲みすぎたり、濃く淹れすぎたりすると、一晩中眠れなくなってしまいます。

では、これでこのチャットは終わりです。
チャンジャーハンのグッドナイトストーリーでした

また次回お会いしましょう

原文サイトはこちら

いやはや 本当に すごい長文でした…皆さま大丈夫でしたか?
中国の人にとっての「お茶」が持つ意味が、日本とはずいぶん違うことに ドビックリ。

ハンハンのお茶に対する思いも聞けて 興味深い朗読でした<(_ _)> 

(これまでと違って刺激的な話は全然出てこないので
もしかすると 聞いてるうちに 本当に寝てしまいそうな気も…
今回の朗読は まさにグッドナイトストーリーかもしれません( ̄∇ ̄;)大汗)

ではでは今日はこのへんで。ここまでご覧くださりありがとうございましたww

ブログランキングに参加しています!

いつも応援ありがとうございます! 
下のバナーを押してくださるとランキングに反映されます。ぽちりと1回よろしくお願いいたします♪

にほんブログ村 テレビブログ 華流・アジアドラマ(韓国以外)へ
にほんブログ村
目次